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全盲の男性、タンデム自転車で琵琶湖一周 2日間で150キロ走った理由
自転車で琵琶湖を1周する「ビワイチ」を、全盲の山野勝美さん(66)=滋賀県彦根市=が11月に達成しました。4月から県内の公道走行が解禁された2人乗りのタンデム自転車で、晴眼者とペアを組み、2日間で約150キロを走りきりました。以下はその道中を、自分も一緒に自転車で走って見届けたい、と思い立った無謀なおっさん記者による「伴走取材記」です。(朝日新聞彦根支局・大野宏)
11月23日朝。滋賀県彦根市の最低気温は6.5度、冷たい雨が降る。普段なら寝床へ逆戻りする天気だが、上から下まで雨天装備を着込んだ。
ノートパソコンを入れて5キロ近いデイパックが肩に食い込む。「なんだってこんなことを思いついちゃったんだ?」。10年もののロードバイクにまたがって、ふと考えた。
10日前、取材先で県視覚障害者福祉協会の職員さんから「副会長の山野さんがビワイチに挑戦する」と聞いた。すぐ取材を申し込み、使う自転車を見せてもらって驚いた。
タイヤは一般的なロードバイクの27インチより二回り小さい24インチ。変速は3速、ハンドルやサドルは「ママチャリ」同然、重量約20キロとずっしり。自分がもう1人いたとして「これでビワイチやれ」と言われたら、2人そろって逃げ出すぞ、という第一印象だった。
山野さんは視覚障害者マラソンの大ベテランで、フルマラソンの自己ベストは3時間台。ただ、自転車での長距離経験はない。晴眼者で前席を頼まれた平岡行雄さん(65)は登山歴こそ長いが、自転車は「家の近所の田んぼへ行くぐらい」。試走では時速15キロ程度しか出ていないという。
「大丈夫かな?」との思いから「自分もご一緒させてもらえませんか?」と口走っていた。ただ、大丈夫じゃないのが誰だったかは本番で明らかになった。
午前8時。前席に平岡さん、後席に山野さんが乗り込み出発。「せーの、はいっ」と平岡さんが声を掛け、2人が息を合わせてペダルを踏み込んだ。山野さんのマラソン練習に伴走した経験もある黒田一臣さん(46)さんがロードバイクで伴走し、2人の安全を確保する。
タンデムの弱点は2人分の重量とホイールベースの長さ。低速時のバランスが取りにくく、きついターンは苦手。ママチャリと似たようにブレーキを前席が操作するだけなので急制動も効きにくい。「前後の信頼関係が大事」と山野さんはいう。自転車経験が少ない平岡さんに頼んだのは、3月まで県立視覚障害者センターの所長として、ともに仕事をしてきたからだ。
生まれつき視力が弱かった山野さんがタンデムに出会ったのは30年ほど前だ。家族旅行で訪れた観光地で、小学生だった息子とサイクリングロードを走った。息子が前席に座ってハンドルを操作し、山野さんは後席で一緒にペダルをこぐ。「親子で一緒に遠出やスポーツを楽しむことなんてなかった。貴重な時間でした」
10年ほど前、視覚障害者らでつくるランニングクラブで2台を購入したが、運動公園などでしか乗れない。昨年、三日月大造知事との対話の席で公道走行の解禁を訴え、県道交法施行細則の改定につながった。その成果をアピールしたい。「滋賀で自転車やるなら、やっぱりビワイチ」と挑戦を決めたわけだ。
冷たい雨の中、2人は時速20キロ弱で車道を行く。後席の山野さんは「視覚障害」と書いた蛍光色のビブスを着用。黒田さんは同色の「伴走」ビブスを着けて後方に付き、車にアピールする。記者はその後ろだ。
速くはない。ただ、黒田さんと記者は「お二人とも強いですねえ」と感心していた。1時間近く走ってもペダルの回転数が変わらない。ビワイチ最大の難所・賤ケ岳の急坂も、サドルに座ったまま。風邪明けの山野さんはマスクが濡れ「呼吸ができなくなって大変だった」そうだが、登り切っても休まなかった。
記者は感心ばかりもしていられない。ペースを上げて先行し、ハンドルバッグからカメラを出して、追いついてきた一行を撮る。カメラをしまって追いつき追い越し、次の撮影スポットまでまた先行する。プロの自転車ロードレースなら、車やバイクでやる撮影法を自分の脚でやれば、きついのは当たり前である。
スタートから約60キロの高島市のコンビニで休憩した時、前輪のパンクに気づいた。持参のチューブに交換したが、空気が入らない。替えチューブも穴が空いていたらしい。「先に行ってください」とリタイアを宣言し、お二人と黒田さんを見送るしかなかった。
しかし、思わぬ助けの手が。
賤ケ岳のふもとでは、元同僚の堀江昌史(まさみ)さんが古民家を改装し「丘峰喫茶店」を営んでいる。来春まで育児休業中だが、夫の森下諒平さんが駆けつけてくれた。替えのチューブまで持って。軽トラックに自転車ごと乗り、約20キロを「中抜き」して、大津市に入ったあたりで山野さんたちに追いついた。
湖西はこの辺から赤く舗装されたサイクリングロードが続く。ただ、山野さんたちは車道を走り続ける。タンデム車は「自転車」ではない。車道走行が原則で、歩道は走れない。でも自転車歩行者専用道の通称「赤道」は走れるはずなので、後で尋ねてみた。
「僕が『車道を走りましょう』と言ったんですよ」
「赤道」は舗装はなめらかだが、始終段差がある。前席の平岡さんは視認してブレーキを握るが、後席の山野さんはわからずこぎ続け、走りがぎくしゃくする。JR湖西線の高架下を抜けるため、タンデムが苦手な直角ターンも多い。「車道の方が楽」と山野さん。記者は積極的にサイクリングロードを使ったが、より自動車から守られるべきタンデム車が走れない(走りにくい)現実には矛盾を感じた。
日が傾いてきた午後3時過ぎ、宿泊地の大津市堅田に着いた。約90キロを7時間ちょっとで走破した計算だ。「雨と向かい風はこたえたけど予定通り」と山野さん。「お尻が痛い」と平岡さんはぼやいていた。
24日は前日から一転して絶好の自転車日和に。午前8時半に宿を出た山野さんたちは、息を切らせて琵琶湖大橋の急勾配を登り切り、東岸を北へと向かう。
この日の大阪本社版夕刊に記事が載ることになり、記者は前日にも増して写真撮影に「奔走」した。ノートPCを出す余裕はなく、追い抜いて、スマートフォンで撮ってはまた追いかけ、の繰り返し。途中で「琵琶湖大橋でショートカットしても『琵琶湖1周』と言えるのか?」と問い合わせがあった。
厳密には「北湖1周」。通称「キタイチ」だが、大津市周辺の西岸は車道が狭くて危険なので「フルイチ」より推奨する向きも多い。ビワイチ認定証を発行する「輪の国びわ湖推進協議会」も認めてくれる……と説明していたら、完全に山野さんたちを見失った。
2日目で一番きつい「岡山の上り」を登り切っても見えない。必死でペダルを踏み、路側のコンビニに目をこらしたが、いない。最近出した覚えのないスピードで飛ばしまくり、彦根市に入ってしまい、ようやく「追い抜いちゃった?」と気づいた。「岡山」を下りきってトイレ休憩をしていた山野さんたちを見落としたらしい。
残り数キロで最後の休憩をした。山野さんが「もう限界」と漏らし、どきっとする。「でも最後の力を振り絞って。マスクも取りましょう」。午後1時半、奥びわスポーツの森に帰り着き、ようやく笑顔が出た。
「達成できたのは、一に練習の成果。二に伴走の黒田さんのおかげ。平岡さんが精神的に楽になった」と山野さん。10月から練習で全コースの半分以上を走ってから本番に臨み、150キロを走りきった。
「疲れたけど、今日は天候にも恵まれ、タイヤの走行音とさわやかな風を楽しめました」と山野さん。これからタンデムでビワイチをしようという視覚障害者にアドバイスをお願いしたら「しんどいからやめとき」と笑った。「1日や2日で回るより、無理なく走れる距離に細かく分けた方が楽しい」との心だ。
「ちょっとその辺まで、家族や近所の人と一緒に行く」使い方がタンデムの理想だという。外出に消極的になりがちな視覚障害者の活動半径を広げるツールとして「健常者にも障害者にもタンデムの楽しさを知って欲しい」。
山野さんと平岡さんは自転車をトラックに積んで帰路に。「明日はマラソンで視覚障害者の人を10キロ伴走する」という黒田さんは自走だ。残されたのは、脚が「売り切れた」記者と自転車。よれよれで彦根へと向かっていると電話が鳴って「滋賀県版で『達成した』記事を載せるから原稿を」。仕事でのビワイチはこれきり、と心に決めた。
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