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「ポケモンしとったじゃろ!」出産の不安と向き合った”妻との7日間”
妻は7月下旬に出産した。産前は里帰り出産で別々に暮らしていたため、父親になる自覚が低く、電話で泣かれたり、怒られたりしてばかり。極限まで下がった妻の信頼を取り戻すため、出産直後の7日間、夏休みを利用して妻が入院する病室に泊まり込み、付き添った。産前産後に詳しい助産師の市川香織・東京情報大准教授(看護学)の言葉とともに「里帰り出産」のリアルな日々をお伝えします。(朝日新聞記者・山本恭介)
東京での仕事を昼で終え、妻が出産予定の岡山県の病院に到着したのは7月30日夕方。帝王切開を翌日に控え、この日入院した妻は会って早々、「私、大丈夫じゃろか」と不安を口にした。
4月から早めの里帰りをしていた妻は、しばらく会わない間にバリバリの岡山弁に戻っていた。帝王切開のリスクを医師から聞いて不安が増し、術後の痛みも心配だという。
「リスクはどんな手術でも必ず説明しておくものだから」「麻酔があるから大丈夫って隣の席の先輩が言っていた」。
私は産前、見たいテレビを優先するため、妻の悩みを聞かずに電話を切るという失敗をしていた。過ちを繰り返さぬよう、不安を聞き取り、色々と声をかけると少し安心したように見えた。
夜は病室への宿泊を病院から許可されたが、寝る場所は寝返りもうてないほど幅が狭いソファ。深夜3時ごろまで寝付けなかったが、ベッドで寝息を立てる妻の膨らんだおなかを見ると、父親になる自覚も自然と高まる気がした。
市川准教授の言葉
31日夕方、手術開始から2時間弱、義父母と待つ病室で赤ちゃんと対面した。時間差で運ばれてきた妻は、体に何本も点滴の針が刺さって痛々しかったが、麻酔が効いているため痛がる様子はあまりない。
枕元にはスイッチがあり、痛くなった時に押すと鎮痛薬が注入されるという。助産師に10段階でどれくらい痛いか聞かれて「2」と答えていた。手術経験がない私にとっては、あまりピンとこない。
授乳が始まったのは手術翌日の8月1日から。赤ちゃんは新生児室で泣くたびに病室に連れてこられ、母乳をあげる。助産師から指導を受けながら、妻も試行錯誤。赤ちゃんもあまりうまく飲めていないようで、泣きやまないこともあった。ただ、助産師が抱けば不思議と泣きやんだ。
「助産師さんが抱くと泣きやむんだね」「私、抱き方下手なのかな」と肩を落とす妻。それを聞いた妻の母は「助産師さんは何百人と赤ちゃんを抱いているんだから」と声をかけていた。
市川准教授の言葉
「痛ぃぃ~」。2日、副作用を起こさないため、手元で押す鎮痛薬をこれ以上使えなくなり、痛みが出てきたらしい。痛みで涙を流す妻の様子に慌てる私は、「痛がっています!」と助産師を呼ぶことしかできなかった。
10段階の痛みを聞かれると「6」と答えていた。おなかを10センチ以上切った痛みはなかなか想像できないが、痛み止めの座薬や飲み薬を使うと少し楽になるようだった。
だが授乳の時間になってももだえる妻。助産師からの授乳の時間の知らせに私が「すみません、痛いらしくて無理です」と応答。水を渡したり、足のマッサージをしたり、してほしいことを聞いて、それを繰り返した。
予定では2日にベッドを出て歩き始めることになっていたが、痛みのため延期に。3日に何とか歩けたが、予定通りできなかったことに対して妻は「私は劣等生じゃわ」。
医師も助産師も、焦らなくていいと言っており、私は横で何度もうなずいた。できないことの連続で、自信をなくしたり、不安になったりという機会は多いと感じた。
市川准教授の言葉
4日は、私にとって少し特別な日だった。街中を歩いてポケモンを集めるスマホゲーム「ポケモンGO」のイベント日で、この日しか出ないレアなポケモンを捕まえねばならなかった。ポケモンGOがリリースされた2年前からほぼ毎日プレーしてきて、これまでもイベントは一度も欠かしたことがなかった。
眠れぬベッドで悩みに悩んだ末、少しだけならと、午前9時に「散歩してくる」。猛暑のなか出かけ、ゲームに2時間ほどいそしんだ。途中、ポケモンGO仲間の同僚とも連絡を取り合い、現状を話すと「バレたらリアル家庭崩壊ですね」と心配された。
汗だくで病室に戻ると、妻は開口一番、「ポケモンしとったじゃろ」。汗が冷や汗に変わる。これまでも、急に散歩に行ったり、寄り道をしたりして、妻にポケモンをしていることがばれたことがあり、お見通しだったらしい。「子どもが生まれたんだから、もうポケモンはやめてください」。妻にストレスを与えてしまったと反省した。
市川准教授の言葉
この日から赤ちゃんと病室で一緒に生活するようになった。泣いたら母乳をあげたり、おむつを変えたり、自分たちですることが増え、退院後の生活に近い状態と感じた。
授乳をする時にクッションを用意したり、オムツやタオルを変えたりと、できることをした。出産前に、自治体が主催するプレパパママ教室に一人で行き、オムツ換えなどを学んでおいたことが役に立った。
夜中は狭いソファでよく眠れないうえ、眠れたと思ったら赤ちゃんが泣くという繰り返し。妻と共に体力が削られ、この生活は退院まで続いた。だが、2人で試行錯誤しながら赤ちゃんと向き合うのは楽しくもあった。
これがもし、おなかの痛みがある妻が病室で一人でやるとしたら、相当孤独で大変だろう。退院後には、これに食事の準備や洗濯、部屋の掃除など様々なことものしかかる。考えるだけで不安になる。出産後、母親の7~10人に1人がうつになるというデータにも、うなずける。
市川准教授の言葉
妻がふと、「普通に産んであげたかったけどな」と口にした。自然分娩ではなく、帝王切開で産んだことに引け目を感じているらしい。
出産の仕方で母親が悩むことがあるということは本や記事で読んでいたが、妻にもそういう思いがあったようだ。「母子ともに元気ならば、産み方なんて何でもいいじゃん」と言うと、納得していた。
退院前日の5日、産後うつに関するアンケート用紙が配られた。「赤ちゃんがかわいいと思えない」「自分が母親としてやっていける自信がない」などの質問事項が並ぶ。妻の回答を見せてもらうと、際だって不安に思っているような回答はなく、安心した。
妻からは退院日、付き添ったことに感謝された。産前から、感謝されるようなことができた記憶はほとんどなかった。病院関係者に「この人はいつまでいるのだろう」という目で見られながらも入院生活に付き添ってよかったと思えた。
妻はこれから岡山の実家で1カ月余り過ごしてから東京で私と一緒に住む予定だ。本当に大変なのは、それからだろう。それまでに出来る準備をしておきたい。私は退院日に東京に帰り、翌日は保育園の見学に新生活をイメージしながら行くことができた。
これまで、保育園選びはどこか妻にお任せだったが、その気持ちは消え、主体的に考えるようになった。父親としての自覚が、高まっていることを感じた。
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