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NewsPicksとヒット連発、SNSで大暴れ 剛腕編集者・箕輪厚介
不況と呼ばれて久しい出版業界。ビジネス書も傾向は同じです。そんな中、出版大手の幻冬舎がソーシャル経済メディアの「NewsPicks」と協業して昨春に立ち上げた書籍レーベルは、電子書籍を含めて累計100万部を突破。その中心にいるのが、幻冬舎の編集者・箕輪厚介さん(32)です。「情報があふれすぎて価値が下がっている今、本には体験やストーリーを乗せて売るしかない」と、イベントなどに参加できる会員制サービスと連動させたり、制作・販売の過程を自身のオンラインサロンやSNSで共有したりと、本を売る買うだけにとどまらない関係を作ろうとしています。そうした考え方をまとめ、8月末には初の著書『死ぬこと以外かすり傷』を刊行。編集者の常識にとらわれない活動を続けている箕輪さんに話を聞きました。(聞き手・丹治翔)
幻冬舎とNewsPicksの協業レーベル「NewsPicks Book」は毎月1冊のペースで刊行。NewsPicksが展開している月額5千円の「アカデミア会員」には、サービスの一つとして書店での販売前に配送しています。3~10万部がヒットの目安とされるなか、実業家・堀江貴文さんの著書『多動力』が30万部を超えたのを始め、『お金2.0』(佐藤航陽著)が20万部、『日本再興戦略』(落合陽一著)と 『読書という荒野』(見城徹著)が10万部を超えました。箕輪さんはNewsPicks Bookの編集長として関わっています。
――ここまでの手応えはどうですか
始める前はこんなにうまくいくと思いませんでした。どちらかといえば、「最初は売れずに、毎月文句を言われるのかな」とネガティブな予想だったので。ダメな部分を修正しながら、3年、5年というスパンで安定的なビジネスになればという気持ちでした。
それが、短期的にはベストセラーを何冊も出し、長期的にみても会員が着実に増えた。今は3千人以上になったので、書店で1冊も売れなくても、書籍単体で見れば損をしないスキームになりました。
何回でも言ってやろうか。
— minowa2.0/箕輪厚介 (@minowanowa) 2018年6月7日
変われ!常識を突破せよ!とメッセージを発してるビジネス書の編集者が1年前と同じことをやってたら詐欺だよ。
変わってるビジネス書の編集者いる?
いないよね。俺くらいだよね。
ビジネス書、もうこれでいいじゃん!
ニューズピックスブック読めばいい。 pic.twitter.com/JzDmjlZzye
――協業はどういう経緯ですか
「書籍はギャンブルすぎる」とこれまで言われてきました。前作が10万部売れた作家さんでも、次回作までに2年や3年かかると、またゼロから「売れた、売れない」のレースにさらされる。これって本当にばかばかしいと思うんです。
だったら、買ってくれた10万人の読者を何らかの形でつなぎとめて、次はそこからのスタートにすればいい。他のビジネスでは当たり前ですけど、ちゃんとフォロワーを作るということです。出版社のビジネスがどんどん厳しくなる中で、「安定的に本が売れるようなプラットフォームを作りたい」という思いが幻冬舎にはありました。
それで2年ぐらい前に、社長の見城(徹)さんに言われたんです。「何かできないのか」って。デジタルを活用した展開も見据えていたので、社内ではネットに精通していた僕が担当に。
自社だけで進めるのか、どこかと組むのか。色々考えた中で、魅力を感じたのがNewsPicksでした。
――どうしてNewsPicksだったのですか
僕自身が読者として読みたいのが、いま一番輝いて走っている人たちの生き方を切り取ったコンテンツ。NewsPicksはそういう人にフィーチャーした記事が多くて好きでした。さらに運営している人たちは、いいコンテンツを作るだけでなく、ビジネスセンスもすごいあった。紙メディア出身者も多くて理解もある。NewsPicksとの座組みが一番、インパクトがあると思ったんです。
佐々木(紀彦)さん(当時はNewsPicks編集長、現在はNewsPicks CCO)に話をもちかけたら、向こうもちょうど、「(既存の)1500円会員より高額な、5千円ぐらいの月額サービスをやりたいと思っていた」という話で。佐々木さんはすごい本好きなので、「じゃあ箕輪さん、本作って下さい。流通までお任せします。こっちは、本と連動してイベントをしたり、動画コンテンツを作ったりします」と僕たちの提案にすぐ乗ってくれた。その時、「月5千円で最先端のビジネスの情報や体験を網羅できるサービス」を目指したんです。
佐々木さんとは、相性がいいけど性格的には真逆です。あの人は本当に、日本の未来を考えていますが、僕は即物的というか、面白いと思ったことはガンガン行動して、世の中の話題になるよう仕掛けていく。
どっちか一方だけだとダメだと思うんです。僕だけだと危ういというか多分事故になるし、佐々木さんたちだけでは、良質だけどおとなしくなってしまったかもしれない。ブランド立ち上げ期のエンジンが必要な時では組み合わせがちょうどよかったんです。
――スタート前に心配だったのはどの点ですか
幻冬舎は理解がある会社ですが、経営者側は「安定的なプラットフォームを作れ」という一方で、「売れる本も作れ」と言うから数字も死守しなければならない。
当たり前ですけど、口では「長期的なビジネスモデルを作ろう」と言っても、実際はやっぱり、出す本が売れるか売れないか。まさにギャンブルのような短期的な結果が重視されるので、仮にすぐ結果が出なかったときに、会社として我慢してもらえるかなというのが一番不安でした。
NewsPicks Bookの世界観が広まって、「これから会員が増えていくな」と僕が確信していても、実際に本があまり売れていなかったら、単なる絵に描いた餅になる。「売れてねえじゃねえか。もうだめだ、やめろ」と言われてしまう懸念が、一番リアルにありました。
でも、すごい良かったのは、「ベストセラーを出せ」という既存の価値観においても、『多動力』や『お金2.0』などで成果を出せた。そして会員も、NewsPicksの人たちと作ったスキームで安定的に増えていった。短期的にも長期的にも、いい軌道に乗れていると思います。
――そのベストセラーでは、箕輪さんが毎回、先頭に立って本を売ろうとしているのが印象的です。特に月額約6千円のオンラインサロン「箕輪編集室」では、発売前から書籍の内容を公開し、サロンのメンバーを巻き込んで、ムーブメントを作っている。オンラインサロンはどうして始めようと思ったのですか
もともとはホリエモン(堀江貴文さん)のサロンがきっかけです。昔からホリエモンの本は売れてましたけど、安定的に5万部を軽く超えるようになったフェーズがあって。その理由が何かって考えたら、オンラインサロンだったんです。
本の構成の一部を担当したり、SNSで拡散させたりするのを、サロンのメンバーがわちゃわちゃと楽しんでやっていて、発売前から「前バズ」のような盛り上がりがありました。そこから販売が始まると、初速の売れ行きがガーンと出て、アマゾンや書店のランキングに入る。そうすると、ホリエモンファン以外の人たちにも本の評判が届くような流れが出来ていたんです。
堀江さんとの最強タッグで、今年ビジネスマンガ界に革命を起こす!@takapon_jp pic.twitter.com/ibnANRH8Zt
— minowa2.0/箕輪厚介 (@minowanowa) 2018年2月21日
僕は編集者として『多動力』を絶対に売りたかったので、これを実践しました。ホリエモンサロンの30人ぐらいに、ゲラを読んでもらい、感想を拡散してもらったんです。そうしたら、初速がすごいよかった。
正直、半信半疑ではあったんですよ。10万部、20万部売れるような本を目指しているのに、「30人が頑張ったところで」って。「ぶっちゃけ、あんまり意味なかったよね」っていうオチになる気もしていました。
それがやっぱり、ツイッターって掛け算の文化なので、つぶやきが倍々ゲームで拡散していったんですね。そこに有名人が絡むこともあって、結構大きな現象になった。ホリエモンもくまなくリツイートしてくれましたし。
最初の火種って、実は数十人でいいんです。大きなCMを打って何千人、何万人を動かそうとしても、ピクリとも動かないこともあるけれど、僕が30人に顔を突き合わせて本気で「どうしても売りたいから、一緒に頑張ってほしい」と言って本物のファンをつくっていけば、バーっと燃え広がっていく。
それまで僕も、「オンラインサロンって結局、おままごとだよな」と思っていたけど、「これは本物だ」と思ったんです。
――それですぐに始めたのですか
いや、その時はそこで思考が止まってました。僕というイチ編集者が始めて人が集まるなんて思ってなかったので。
今は、箕輪編集室がきっかけになって、オンラインサロンが第二次ブームになっていますが、僕が始めた1年前はどちらかと言うと1度盛り上がった熱が冷めてました。「ホリエモンやキングコング西野(亮廣)さんしか結局うまくいってないね」という空気だったんです。
だけど、急に予定が空いた週末があって、「暇だし、オンラインサロンやるって言ってみようかな」と思って、アシスタント募集のツイートをしたら、DM(ダイレクトメッセージ)が一気にきた。その時、「この人たちは絶対に入るな。5千円で10人入ったら、5万円の収入になる」と思ったんです。当時の5万円って、僕にとってはめっちゃ大きかったので。
「オンラインサロンやります」ってつぶやいたら、「僕にやらせてください」という人が出てきたので、細かい手続きはお願いして、その日か翌日ぐらいに募集を始めました。そうしたら、あれよあれよと言う間に、50人ぐらいが集まったので驚きましたね。
それが去年の夏です。そこから、色んなフェーズを経ましたけど、今は1300人近いコミュニティーになりました。
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