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難病で急逝した母「また親子しようね」 その後に妊娠判明、娘の思い

難病と診断され、半年で急逝した母が病床で娘に語ったひと言について取材しました。

かにこさん(左)の結婚式で、娘の涙をぬぐう母
かにこさん(左)の結婚式で、娘の涙をぬぐう母 出典: かにこさん提供

目次

 「もしこのままダメだったら、あんたのところに生まれ変わってくるでね」。難病と診断され、半年で急逝した母が病床で娘に語ったひと言。死去から3カ月後、不妊治療を休んでいたタイミングで子どもを授かったことがわかりました。「母が送り出してくれた命だと思って、大切に愛情いっぱいに育てたい」と話す娘に、闘病中のことや現在の思いを聞きました。

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昨年12月に亡くなった母


 関西在住の「かにこ」さん。現在は専業主婦の30歳で、11月に出産を控えています。

 そんな彼女が6日、ツイッターにこんな文章を投稿しました。

 お母さん闘病中に一度だけ私の前で涙ぐんだことあって「もしこのままダメだったら、あんたのところに生まれ変わってくるでね。お母さんのこと大好きな子やでね。またよろしくね」って言った。

 火葬場で私は「また親子しようね」って約束して送り出した。3年出来なかったのに、自然に妊娠した今回の話。

 昨年12月に亡くなった母とのやりとりを記したものです。

 この投稿に対して、「思わず泣いてしまいました」「お母さんからの最高のプレゼントですね」「人のツイート見てうるっとしたの初めて」といったコメントが寄せられ、リツイートは3万、いいねは18万を超えています。


「大丈夫やて。私頑張るで」


 かにこさんの母が、難病「ALアミロイドーシス」と診断されたのは昨年6月。アミロイドと呼ばれる線維状の異常たんぱく質が全身の臓器に沈着し、機能障害をおこす病気です。

 翌月、中部地方に住んでいた母は東京の専門医を受診。自覚症状もなく、医者からも「大丈夫じっくり向き合っていきましょう」と言われました。

 かにこさんには年が15歳離れた弟がいて、当時は中学生で部活動が最後の時期。母は部活やクラブの役員なども精力的にこなしていました。

 悪化し始めたのは、9月に短期入院したあたりから。化学療法を行いながら自身の骨髄を移植することになりましたが、症状が悪化して移植のタイミングが見つかりませんでした。

 母は「大丈夫やて。私頑張るで」と気丈にふるまっていましたが、11月末ごろには1人で立って歩くと倒れるように。だんだん食欲もなくなり、話す言葉も少なくなってきました。

母が病床で使っていたうちわ。裏には自分を励ますような言葉が書いてあったそうです
母が病床で使っていたうちわ。裏には自分を励ますような言葉が書いてあったそうです 出典: かにこさん提供

母の言葉が震えていたから


 そんなころ、病室で母と交わしたやりとりが、ツイートに記された文章です。

 結婚後、なかなか妊娠せずクリニックに通っていたかにこさんは、半年ほど前に仕事をやめていました。自身も不妊治療を経験していた母は、そのつらさを知っていたようです。

 たわいもない話をしていると、母が「あのさー、もしこのままダメだったら……」と話し始めました。「あんたのところに生まれ変わってくるでね。またよろしくね」。

 かにこさんは「えー、賢くていい子だといいなぁ」と軽く返しましたが、母の気持ちを思うと胸がしめつけられました。闘病中、娘の前で一度も泣いたり、弱音を言ったりしなかった母の言葉が震えているのがわかったからです。

母が闘病中に綴ったノートと、娘に宛てた手紙、それを書いたペン
母が闘病中に綴ったノートと、娘に宛てた手紙、それを書いたペン 出典: かにこさん提供

母と長く一緒に過ごせた半年間


 マンスリーマンションを借りて母の病院に毎日通っていましたが、12月に入って会話もままなくなり、話せたときにもつじつまの合わないことを言うように。

 心電図の波形が乱れてきて、父と弟を呼び寄せた翌日、交代で母についていた伯母と父から連絡が入り、母が亡くなったことを知らされました。12月12日の早朝、57歳でした。

 「とても安らかな顔だったので信じられない一方、少し安心したのを覚えています」

 夫の理解もあって、母と長く一緒に過ごせた半年間。足のマッサージをしたり、ご飯や歯磨き、トイレへの移動を手伝ったり、母のために自分の時間を使えたことが、亡くなった後の気持ちを整理するためにも良かった、と今は思います。

 「ほんの短い間の親孝行だったと思いますが、大人になって手をつなぐことさえなくなってしまっていたので」

 幼いころから大好きで、友達みたいに恋愛話をしたり、漫画やドラマを勧め合ったり。15歳離れた弟を育てながら、祖母の介護もする母は「強くて、明るくて、なんでもできて、スーパーお母さん」でした。

結婚式でドレス姿のかにこさんと手をつなぐ母
結婚式でドレス姿のかにこさんと手をつなぐ母 出典: かにこさん提供

約3カ月後に妊娠が判明


 そんな母が亡くなって約3カ月後の2018年3月。かにこさんの妊娠が判明しました。不妊治療を休んでいたなか、自然と授かった命です。

 弟の受験を気にかけていた母。その受験直後に妊娠がわかったことは、「よっしゃ終わった! はよ行こう」と母が送りだしたのではないか、と感じています。

 ツイートが注目を集めたことについては、こう話します。

 「こんなに話題になるとは思わず、びっくりしました。でも、母がいない世界でも、母の言葉が、行動が、人の心を動かすことが嬉しかったです。私の出産を応援してくれる方も多く、母がいなくなっても与えられることばかりで、とてもありがたいです」

 最後に「いま、お母さんにメッセージを送るとしたら」と尋ねると、こんな答えが返ってきました。

 「頑張って出産するから、これからも見守ってね。お母さんがしてくれたみたいに、愛情いっぱいで育てるからね。また会う時に、たくさん話したいことがあるから、そのときはたくさん褒めてほしいし、たくさん話がしたいよ」

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