連載
#12 現場から考える安保
防弾チョッキ・拳銃に手錠… 海上自衛隊の「警察」、立入検査隊とは
海上自衛隊の「立入検査隊」をご存じでしょうか。積み荷が疑わしい船に乗り込んで捜索する専門の部隊で、7月末で49隻態勢になる護衛艦ごとに、その乗員たちで編成されます。「海の警察」の海上保安庁より緊迫する局面での活動もありえるほどで、レアな現場を訓練の取材で見ることができました。(朝日新聞政治部専門記者・藤田直央)
海自護衛艦「むらさめ」のVBI(立入検査隊)、ボートに乗って不審船の貨物検査へ。核兵器などの密輸を防ぐ米韓などとの多国間訓練がきょう房総沖であり、取材してきました。記事は追って。#自衛隊 pic.twitter.com/D0i6vLZw2b
— 藤田直央 (@naotakafujita) July 25, 2018
「脱落防止は確実に」。護衛艦「むらさめ」艦内で訓練に備える立入検査隊の10人の隊員に、上官が指示を刻みます。ヘルメットに5~6キロの防弾チョッキを着けた20~30代の隊員らは、懐中電灯や携帯無線、手錠、訓練用の模擬銃を手渡し合いながら次々と身につけていきます。
7月25日、房総半島沖で海上自衛隊が行う船舶検査訓練が報道陣に公開されました。核・生物・化学などの大量破壊兵器や関連物資の密輸を防ぐPSIという国際的な取り組みの一環で、米国や韓国からも参加。「むらさめ」は米国、中国、ドイツ、トルコのメディアも乗せ、朝の横須賀港から訓練海域へ向かいました。
「むらさめ」が晴天の浦賀水道を抜けた午前9時ごろ、訓練は艦内で開始。立入検査隊が整列した室内に放送が響きます。
「本艦は日本近海において、大量破壊兵器関連の物資を積載している嫌疑のある国籍不明船舶に対する情報を得た。これに対する船舶検査活動を実施することを上級司令部から令された」
「立入検査隊、用意!」
放送が終わると、隊長の指示に隊員らが聞き入ります。
「国際VHF(無線)にて停船要請を実施。対象船舶は停船し、これより船舶検査を実施する。船籍はアルファ国。船長、航海士、機関長の3名乗船。使用言語は英語。乗員は作業用ナイフを数本所持しており、船橋(船の指揮所)へ集積せよとの指示に従っている」
そして「各班の任務」を説明。容疑船に乗り込んだ後で乗員を見張る役、船長とやり取りする役、貨物を調べる役に分かれ、母艦の「むらさめ」とも連絡を取り合って検査を進めます。「特別機動船(移動に使うボート)は対象船舶付近で待機し、不測事態に備える」
「むらさめ」は午前10時ごろに房総半島沖で停船。海面へボートが降ろされます。甲板から縄ばしごで乗った隊員らはすし詰めになり、波を立てて約4百メートル先にある容疑船役の貨物船へ。メディアはついて行けないので甲板から眺めますが、カメラの望遠レンズ越しに緊張が伝わってきました。
相手は無線でのやり取りで「指示に従っている」とはいえ、容疑をかけた船に通告した上で乗り込むわけですから。
ボートが容疑船に接すると、隊員らは揺れる縄ばしごをつかんで腕力に任せて登り、甲板に上がると銃を構えて警戒。船員の所持品検査で「船橋へ集積せよ」と指示していた作業用ナイフを機関長がまだ持っていることがわかり、出させるという展開もありました。
隊員らは船橋で船長に積み荷の目録を出させ、航海士に案内させて実際の積み荷と照合。「開封された痕跡のある空の段ボールを発見。乗組員は何も知らないと言っている」という報告が「むらさめ」のスピーカーから流れます。どうなるのか……「引き続き精査」という状況のまま、午前11時過ぎに訓練は終わりました。
ボートから「むらさめ」に戻った隊員らの表情が若干和らぎます。甲板で上官が声をかけ、反省点を含め二言三言のやり取り。各護衛艦ではこのように立入検査の司令を受けると、乗員の登録メンバーで立入検査隊を編成し対応します。主に若手で、隊長は海上自衛隊の学校で船舶検査専門の教育や訓練を受けた隊員が務めます。経験者の乗員は年を重ねると指導する側に回ります。
海上自衛隊が立入検査隊の態勢をつくるきっかけとなったのは、2000年成立の「船舶検査活動法」でした。(ここからちょっと堅い話になりますが、「え?」という話も出てくるので、もう少しおつきあいただければ幸いです)
日本政府は1999年に、朝鮮半島有事などが起きた場合に対応する米軍への後方支援を念頭に、放置すれば日本の平和と安全に重要な影響を与える「周辺事態」という概念を考えだしていました。船舶検査活動法により、内閣が周辺事態と判断した時は、自衛隊が民間船に乗り込んで積み荷を調べ、行き先の変更を求めることもできるようになりました。
その周辺事態という言葉は2015年成立の安全保障法制でなくなり、地理的制約をなくした「重要影響事態」に代わっています。それでは現在では、海上自衛隊はどんな場合に船舶検査をできるのか。そして、今回の訓練ではどんな事態を想定したのでしょう。
自衛隊が実力行使をするのは本来は戦時で、相手は民間人ではありません。「むらさめ」前甲板の砲門や両舷の魚雷発射管がそれを物語ります。PSIでの船舶検査のように海の治安を守る警察的な仕事は、むしろ海上保安庁になじみます。
それでも、厳しい環境で活動ができる自衛隊には、船舶検査ができるケースが法律でいくつか定められています。海での治安維持が海上保安庁の手に負えず自衛隊の出番となる海上警備行動や、2009年成立の海賊対処法による海賊対処行動もそうです。
では、周辺事態に代わってできた重要影響事態ではどうでしょう。重要影響事態や、これも安保法制で新たにできた「国際平和共同対処事態」にも対応する新たな「船舶検査活動法」によると、船舶検査をするには、対象の民間船が船籍を登録する国の同意を得るか、国連安全保障理事会での経済制裁決議があることが条件になっています。
つまり、ある国が国際社会の平和を脅かしているとして国連安保理が経済制裁を決議し、同じ状況を内閣が重要影響事態か国際平和共同対処事態と認定すれば、その国への経済制裁として自衛隊による船舶検査が可能になるというわけです。
実は、この日に大量破壊兵器の拡散防止を掲げる訓練が始まり、護衛艦「むらさめ」艦内で立入検査隊の隊員らが集まった時、隊長は「現在の状況」を伝える中でこう言い切りました。
「我々はこれより国連安保理決議に基づき船舶検査を実施する」
自衛隊ができる船舶検査で、国連安保理決議が根拠となるのは重要影響事態か国際平和共同対処事態の時です。そして、訓練の段取りもこの両事態に対応する新たな「船舶検査活動法」に沿っていました。容疑船への呼びかけ、無線での船名や船籍の確認、乗船してからの書類と積み荷の検査――。
立入検査隊の隊長は、上官から渡された一枚紙を元に隊員に説明していました。「ああ、海上自衛隊は今回、安保法制で自衛隊の活動範囲を広げた重要影響事態のような状況を想定したんだな」と納得しかけたところで、「え? 変だぞ」と思い直しました。
それは、隊長の説明が後半、9ミリ拳銃と特殊警棒を持つ隊員らの「武器使用上の留意事項」に及んだ時です。
「警察比例の原則にのっとる。条件は、自己と他の隊員の防護のため、及び職務執行に対する抵抗の抑止のための2点とする」
これがなぜ変かというと、法律上の理屈があわないのです。
自衛隊ができる船舶検査で、武器を海上保安庁や警察のように「職務執行に対する抵抗の抑止」にまで使えるのは、自衛隊が出ざるを得ない特別な状況で海保に代わって「警察権」を行使する、海上警備行動や海賊対処行動の時になります。
では、自衛隊が「国連安保理決議に基づき」重要影響事態や国際平和共同対処事態で行う船舶検査での武器使用はどうかというと、自分や近くの人を守るためにしか使えないのです。それは、安保理決議をふまえた経済制裁に危ない場所から離れて参加するという、船舶検査活動法の趣旨からくるものです。
確かに海上自衛隊にすれば、立入検査隊の隊長が説明した「想定」のように、船舶検査をする際に安保理決議という国際的なお墨付きがあり、さらに武器使用の権限も広いほど都合がいいでしょう。
でも、その「想定」がいろんなケースに備える別々の法律から条件をつまみ食いしたものだったのなら、この訓練は法律上はあり得ない「想定」で本末転倒ですし、実際に事が起きた時に現場の隊員らが混乱するもとにさえなります。
また、大量破壊兵器問題の担当として今回の訓練を主管した外務省は、事前の説明で「PSIは特定の事態や対象国を想定しないので、今回の訓練にもそうした想定はない」と繰り返していました。当日に現場で特定の事態を想定した海自の訓練を目の当たりにしても、「訓練に想定があるのは本来の姿ではない」と主張しました。
しかし、PSIの原則が特定の国を狙い撃ちにしていないことと、自衛隊が訓練の実効を高めつつ法律の枠内とすべく想定を詰めることは、全く別の話なのです。
そうしたことをきちんと整理しないまま、大量破壊兵器の拡散を目論む勢力を意識した日本の船舶検査の能力の誇示に傾くあまり、今回の訓練は実態から乖離し、国民に説明できないような世界へと入り込んでいなかったでしょうか。
また、この訓練に米韓からは沿岸警備隊が臨みましたが、日本の海上保安庁は参加しませんでした。日本海で違法操業をする北朝鮮漁船や尖閣諸島に近づく中国公船への対応に忙しいからという理由ですが、外務省の担当者は「海保が訓練に来ればリアリティーが増したのに」と残念そうでした。
安倍政権が「日本の安全を脅かす事態にシームレスで(切れ目なく)対応する」と訴え、安保法制を通してから3年近く。海上自衛隊と海上保安庁、さらに言えば外務省との連携は、船舶検査ではまだまだ道半ばでした。房総半島沖での訓練にそんな思いを強めながら「むらさめ」で戻り、午後5時40分ごろ、ようやく日差しの弱まってきた横須賀港で下艦しました。
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