地元
「西郷どん」の“生々しい奄美” 地元出身の歌手が「感謝する」理由
NHK大河ドラマ「西郷どん」では、字幕つきのセリフがつくなど、奄美大島の文化、歴史が注目されました。実は、ドラマのエンディングソングを歌っているのは、地元出身のシンガー、城南海(きずき・みなみ)さん(28)です。島唄の開放的なイメージと、薩摩藩に支配されていた歴史。それでも「西郷どん」で描かれたリアルな島の姿について「本当にありがたい」と城さんは語ります。「奄美目線」で見た「西郷どん」について、話を聞きました。(朝日新聞デジタル編集部記者・寺下真理加)
――ドラマの最後に史跡紹介のBGMとして流れる今回の新曲「西郷どん紀行~奄美大島・沖永良部島編~」は、城さんの島唄とジャズピアニストの山下洋輔さんの演奏が響き合っています。テレビでは音が小さかったですが、音源を改めて聞くと涙を誘いますね。
「実は、山下洋輔さんはドラマの第1回にご出演されているんです。西郷さんが子どもの時、痛めた肩を診断したお医者さんの役で。山下さんのルーツが鹿児島で、ご先祖様が西郷さんと関わりがあったそうです」
「ジャズだから当然、一発録りで、ドキドキでしたが、毎回違うアプローチで新鮮な体験でした。歌いながら表現を探っていく感じ。(脚本家の)中園ミホさんがスタジオで繰り返し音源を聴いて『この曲を聴いてから脚本を書きたかった!』と言って下さって、うれしかったですね」
――鈴木亮平さん演じる西郷どんと、二階堂ふみさん演じる島編のヒロイン、愛加那との第1子、菊次郎が生まれる場面で流れた歌「愛加那」も印象的でした。二階堂さんの鬼気迫る演技が島の景色にリアリティーを吹き込んでいます。「西郷どん紀行」も「愛加那」も、城さんが作詞を手がけたそうですね。島唄のようにきこえ、歌詞カードを見て、意味がようやく分かったのですが。
「富貴晴美さんが作曲した音楽に、私が島の言葉で歌詞をつけました。私としては、島唄とポップスの中間のような歌と思っています。愛加那さんのことをしっかり知らなければと、島で西郷さんと愛加那さんのことに詳しい方にお話を伺ったり、2人が住んだ集落『龍郷』の暮らしぶり、方言を教えてもらったりしました」
「島の言葉の意味が分からなくても、音楽を通して伝わるものがあればと思います。私もドラマを見ながら、二階堂さんの演技に涙がこみ上げっぱなしです」
「薩摩に支配されていた時代ですから、島の人は、本来なら、薩摩の人間が好きじゃなかったはず。でも愛加那さんと惹(ひ)かれ合ったとすれば、それだけ西郷さんは魅力的な人だったということ。実際、時がたつにつれ、島の人々から西郷さんは尊敬される存在になっていく」
「一方で愛加那さんは、3年後、夫と離ればなれになり、最後は自分の子どもも夫の元に送ってしまい……。孤独な人生、と考えることもできる。本当につらかったはず。それでも西郷さんとの3年間に、彼女の人生のドラマがギュッと詰まっている。だから作詞も自然と、別れの切なさにフォーカスしていきました」
――島の人間としての苦悩、女性としての苦悩と。
「そして、母親としての苦悩。ドラマにある通り、『アンゴ』は島にいる時だけの奥さん、という宿命です。いつかは鹿児島へ帰る人、それでも一緒にいたい。その思いが勝って、愛加那さんは西郷さんとの結婚を決めたんだと思います」
――「西郷どん」放映で奄美への関心が高まってきたさなか、自然遺産登録の延期が決定しました。いったん申請を取り下げ、2年後に向けて再提出を目指す、と報じられています。
「島では登録を目指して、みんなで頑張ってきましたけど、実は奄美の観光客の受け入れ態勢というのは、必ずしも整っていない状況があります。奄美の仲間とは『準備期間が出来たと思えば、とポジティブに考えて、またみんなで盛り上げていこう』と言い合っています」
――「唄島(うたしま)プロジェクト」も始動しました。
「奄美ゆかりの15アーティストが集まって、『ウィー・アー・ザ・ワールド』のように、全員参加で一つの歌を作り上げていく企画です。みんな普段から仲が良くて、都内でも結構、『奄美つながり飲み』をします」
「あと、カラオケ好き、歌好きも多いです。島唄は土地の民謡として今も残っているけれど、昭和歌謡、デュエットソング、懐メロ、J-POPとかも人気で、飲み始めると、男女も世代も関係なく、誰かが必ずマイクを握っている」
「プロジェクトに参加して、あらためて奄美って唄の島=『唄島』なんだな、と感じています。もっと、文化的な魅力として、歌の島、音楽の島をアピールして行きたいですね」
――やはり2002年ごろ、元ちとせさんの「ワダツミの木」のヒットは、大きいですよね。
「そうなんですよ。今回、『唄島』の決起集会は渋谷で開かれました。ミュージシャン50人くらいが集まった大きな集会。そこにいる人たちが『こっちは紀元前メンバー』『こっちは紀元後』なんて話している。どういう意味かというと、『ワダツミの木』以前は『紀元前』なんです、奄美にとっての。たとえばバップグループの『柳屋クインテット』さんとかも『紀元前』です」
「私の中学時代にちとせちゃんがデビューして、私は彼女と同じ中学の後輩だったので、学校は大騒ぎでした。元ちとせ=島の希望、みたいになっていました。『奄美アイデンティティー』を、自分から公にして、それがポジティブに評価されて、人気につながっている。そんなこと、島の人たちにとって初めてだったので。島唄、島の言葉の価値が本格的に再評価されるようになったのも、『紀元後』のことです」
――自分は社会人1年目だったのですが「エキゾチックな歌い方。レゲエみたいで格好いい」と毎日のように聴いていたものの、受験の時に覚えた「薩摩藩による奄美大島の搾取」という知識が、恥ずかしながら当時の自分の脳内で全く結びつきませんでした。
「私は音大で勉強する中で、アイルランド民謡と島唄を比較考察した経験もあって、ファンの方にも時々、このことはお話しするんですが、私の親の世代までは、奄美出身ということを自ら進んで話せなかったそうです」
「学校では標準語を習って、島の言葉をしゃべってはいけない、島唄は歌ってはいけない。鹿児島に行く時は、奄美出身と言わない。その背景には、薩摩藩に支配され、文字で史実を残せなかったつらい時代がある。そんな奄美の人にとって、歌を歌い継ぐことは、書き残せなかった歴史を後の世代の記憶に残すための、大切な手段だったのです」
――「西郷どん」では、奄美が支配されていた場面も描いています。
「『西郷どん』で、その『残せなかった時代』を映像化する意味って、すごく大きいと思っています。実際、放映が始まって、島の内外の人から『昔の島の暮らしは、あんなだったんだろうね』と言われることが多いです。一方で、鹿児島の人にとっては、見ていて心苦くなる面がある、と聞きました」
――搾取する側ですものね。
「奄美の黒砂糖が薩摩の力になっていた。そして力のある薩摩が、日本の政治の流れを変えていった。もちろん今回のドラマ放映まで、そのことを知らなかった人も、たくさんいらっしゃると思うし。島の人間の多くは長い間、公には言わず、胸にしまってきたことですから。大河ドラマは、島の歴史を知ってもらうための本当にありがたい機会だと思っています」
――自然遺産登録の再提出まで2年の猶予ができたわけですが、城さんの今後は。
「とにかく今回、山下さんから大きな刺激を受けたので、いよいよジャズにチャレンジしてみようと意欲が湧いてきているところです」
「オリジナル曲がまだ少ない自分が、大河ドラマのエンディングを歌うなんて、ものすごい幸運なので、もっと曲作りに挑みたいです。ジャズと島唄は、フリースタイルという部分で共通していますよね。そういう共通点をレコーディングの時、すごく感じることができて、心地よかったんです。クラシックって再現音楽なので、楽譜と違うことは基本、しちゃいけないですから」
――城さんと言えば、民放のカラオケ番組の「絶対女王」の印象も強いのですが、型のある世界から、今度は、型から自由な世界へ?
「奄美が自然遺産登録される頃には、また新しい城南海の表現、新しい島の魅力を発信していたい。他の『唄島』のメンバーも、それぞれの表現で、それぞれの思いを広めていくんだと思います。今は『紀元後』で、愛加那さんの頃と比べても、ずっといい時代です。唄島メンバーたちは凹(へこ)むどころか、いよいよ『このチャンスを逃さない!』という高揚感を持っています。しまんちゅのリベンジ、見てて下さい」
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城南海(きずき みなみ)1989年、鹿児島県奄美市生まれ。鹿児島県内の高校に進学し、2009年にデビュー曲「アイツムギ」を発表。シングル「西郷どん紀行~奄美大島・沖永良部島編~」(カップリング曲「愛加那」)を6月20日にリリースする。6月30日からは全国ツアー「ウタアシビ2018夏」も開催。
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「唄島プロジェクト」奄美出身アーティスト15組が歌う曲「懐かしい未来へ」を制作し、学校などに無料配布するほか、売り上げの一部を自然保護基金として活用。
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