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観音像ドーン!長浜の異色アンテナショップ、上野に作った深い理由
上野といえば、西郷さんでも、パンダのシャンシャンでも……ありません! 知る人ぞ知る穴場スポット、それは1体だけ展示された「ある観音さま」です。遠く滋賀県長浜市から「定期的」に展示替えもされています。実はこれ、アンテナショップなんです。1体の観音さまで地元をアピールする異色の「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」とは何か? 観音像ドーン!の魅力を探ります。(朝日新聞大阪社会部記者・岡田匠)
上野公園の西郷隆盛像から徒歩1~2分。京成上野駅の目の前、10階建てのオフィスビル1階に観音ハウスはあります。広さ70平方メートルのフロアに、長浜産ヒノキを使った3.5メートル四方の観音堂が設けられています。
5月、この中央のガラスケースに鎮座していたのは、高さ約1メートルの馬頭観音立像です。平安後期の作とされ、長浜市高月町の横山神社でまつられてきました。
この観音さまは三つの顔を持っています。正面の温和な表情に対し、左右の顔は怒りに満ちています。普段は長浜市の「高月観音の里 歴史民俗資料館」にいる観音像を、遠く離れた大都会東京のけんそうのなかで拝むと、より一層、心が落ち着くような気がしてきます。
平日でも入館者は数十人。
「京都や奈良の仏像のように有名ではないが、こんなに心に響く仏像があるなんて」
初めて訪れた新宿区の主婦、遠藤ひろ子さん(70)は、穏やかな表情で語ります。
「博物館のように何体も並んでいると慌ただしい。1体なら、じっくり拝むことができる」
4回目という足立区の男性(67)は「地域の人たちが必死に守ってきた情熱が伝わってくる。次は、どんな素朴な観音さまが来るのかワクワクする」と話してくれました。
以前「再びお会いしたい観音さまリクエスト」投票を館内で行い、多くの声をいただいた横山神社の馬頭観音さまを現在お招きしています。「私は馬頭観音さまに一票入れました!」とスタッフに声をかけていただいた方に、お礼に手作りの小さなカード立てをプレゼントいたします。https://t.co/pWEok91ST1 pic.twitter.com/1f2HeMRd9j
— びわ湖長浜KANNON HOUSE (@KANNONHOUSE) 2018年5月29日
琵琶湖の北東にある長浜市には、平安時代から室町時代に作られた130体の観音像が伝わり、「観音の里」として知られます。
もとは霊山・己高山(こだかみやま)(923メートル)の山岳信仰の修行者が彫ったのが始まりとされます。
戦乱などで寺が廃れても村人が小さなお堂で「村の守り本尊」としてまつってきました。戦国時代には田んぼに埋めたり、川に沈めたりして守ってきました。
しかし、過疎・高齢化が進み、次世代にどう伝えていくかが課題になっています。
こうした観音信仰を知ってもらおうと、市は2014年、東京芸大で観音展を開き、18体を展示したところ、21日間で約2万人が訪れました。
そこで市は、観音像を中心としたアンテナショップのような情報発信拠点として、2016年3月に観音ハウスを開設。
市から観音像をトラックで運び、2~3カ月に1回入れ替えます。これまでに11体を展示しました。観音像のほか、市の名所などを映像で紹介しています。
観音像は透明なガラスケースに入っているので、360度、見回せます。入場は無料。近くに東京国立博物館や国立西洋美術館があり、入場者には若い女性や子育てを終えた世代も多いそうです。
湖北の観音さまが多くの人を魅了する理由について、東京芸大の薩摩雅登教授(美術史)は「質の高さ」を挙げます。平安時代、仏像制作の中心は京都でした。「長浜は京都に近く、すぐれた仏さまが残っています」と言います。
さらに「住民の思い」も欠かせません。京都に近いぶん、戦乱も多く、寺社は焼けました。ただ、住民は信仰深く観音さまを守ってきました。ひとつの集落でなく、それぞれで守ってきたので、1カ所に集まっていません。
「京都や奈良と違い、琵琶湖の北東の長浜は魅力があるけど、なかなか見に行けない。行ったとしても1日で見られる観音さまは限られます。それが東京にきてくれるうえ、2~3カ月で交代なのでリピーターが増えるわけです」
ここで疑問がわきます。なぜ上野に?
実は、この場所に作ったのは、琵琶湖と上野の歴史的なつながりを考えてのことでした。
陰陽道では、鬼が出入りし、忌み嫌う方角を鬼門(北東)と言います。
京都の鬼門には比叡山延暦寺、そのふもとに琵琶湖があり、琵琶湖に面して長浜市があります。
これに対し、江戸初期、江戸城の鬼門に延暦寺と同じ天台宗の寛永寺が建てられ、琵琶湖に見立てた不忍池ができました。
「延暦寺、琵琶湖、長浜市」の位置関係と「寛永寺、不忍池、観音ハウス」をなぞらえているのです。
観音ハウスの学芸員の増田ひろみさんは「長浜市の職員が自転車で上野を走り回って、この場所を見つけました。今では当たり前になっている東京の歴史にも思いをめぐらせてほしい」と話します。
京都に暮らし、寺や神社の取材を続けている記者が観音ハウスに関心を持ったのは、琵琶湖のなかにある竹生島の宝厳寺の住職から「上野におもしろい観音堂ができたんや」と教えてもらったことがきっかけでした。「そこにあるのは、たった1体だけやぞ」
1体だけ展示? そんな施設は、あまり聞いたことがありません。寺でもなければ、博物館でもない。施設や長浜市の担当者、長浜の住民に話を聞いていくと、観音さまを守る人々の思いが感じられました。
上野では、観音像を守り続ける住民を招いたトークショーも開かれています。昨秋には、平安後期に作られた聖観音立像を守る伊吹茂樹さん(90)が保存の難しさを明かしました。
約30年前、像をまつるお堂が雪の重みで崩れかけ、住民が資金を出し合って新たな集会所を作りました。その住民は二十数世帯に減り、高齢化も進んでいます。
伊吹さんは「観音さまは文化財というより信仰の対象。地域にこもっているだけではなく、東京に出て、多くの人に拝んでもらえば観音さまも喜ぶ」と話していました。
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