連載
#4 やせたい私
25年間「今日は死なない」を積み重ねた女性 摂食障害の壮絶な日々
中学1年で症状が出始めた摂食障害は、40歳前後で回復するまでに、25年近くの時間を要しました。「ずっと居場所がなかった。私の経験が、摂食障害を抱える若い人たちの役に少しでも立つならば、話していきたい」。回復したいま、東京都内の会社員女性(42)はそう口を開きました。拒食から始まり、やがて過食へ。苦しくなるまで食べ物を口から詰め込み、罪悪感から絶食し、市販薬の下剤を一気のみ――。そこから抜け出すまでの日々は、どんなものだったのか。女性は、静かに話しはじめました。(朝日新聞科学医療部・武田耕太)
中学1年の秋か冬だったと記憶しています。お風呂に入っていて、ふと「おなかが出ている」と感じました。何のきっかけもなく突然のことでした。161センチで47キロ。もともと太っていたわけでもありません。でも、そこから少しずつ食事量を減らし始めました。
その少し前に、学校の教師から性的ないたずらを受けていました。「これは誰にも言ってはいけない。自分が悪いんだ」。当時の私は、なぜかそう思っていました。
体重は、徐々に減っていきました。それは、うれしくて、すがすがしい経験でした。達成感がありました。体重が減ると、変な自信のようなものが生まれました。テンションがあがっていく感じです。勉強もしていたし、学校生活も積極的に取り組んでいたと思います。
1年近くたち、35キロを下回ったころでしょうか。布団が重く感じるようになりました。寝返りをうつと、骨が布団にあたって痛い。歩くのもゆっくりトボトボ、という感じ。家から学校まで5分ぐらいだったのが、10分、15分、20分と時間がかかるようになり、午前中だけ行って帰ってきたり、調子が悪いと欠席したりするようになりました。
「何があったのか」と母から問い詰められ、そこでいたずらを受けていることを打ち明けました。学校に連絡し、その教師はいなくなりました。
そのころ、発熱したことをきっかけに、父の友人のクリニックを受診し、「拒食症です」と告げられました。ものすごくびっくりしました。「すぐにでも入院が必要」と言われましたが、どうしてもいやで、通院で点滴をしてもらっていました。
一番やせているときで、体重は32キロになりました。
中学2年から3年にかけての春休みぐらいからだったと思います。極限までやせた反動なのか、今度は過食が始まりました。
高校に入ると、帰り道にスーパーに寄り、大量のお菓子を買って帰る。そして、自分の部屋で勉強しているふりをして、詰め込むように食べます。
少しずつ体重が増えていくのですが、過去に32キロまでやせた「実績」があるので、「またいつでも本気になればやせられる」「これは本来の自分ではない。仮の姿」と思っていました。
満腹になるまで食べると、その後、罪悪感にさいなまれます。私は食べても、自分で吐けないタイプの過食症でした。
そのため、翌日は1日何も食べず、その夜に下剤をのむ。そんなことを繰り返していました。体重は67から68キロぐらいまで増えていました。
関東の大学に進学し、一人暮らしになると、過食はひどくなりました。
そのころ、自分のなかにひとつの「ルール」ができました。「夜中の0時までは、食べ続けてもいい」というものです。そこまでは食べるけれども、その代わり、翌日は絶食する。水などカロリーのないものはOK。これを「リセットの日」と呼んでいました。
そのうち、カロリー計算をし始め、例えば1日4000キロカロリーぐらいとってしまったら、それを取り返すには1日ではダメ、3日は絶食しないといけない、と思うようになりました。1日過食し、3日間絶食。そして3日目の夜に下剤をのんでいました。
絶食すると、色素性痒疹(ようしん)といって、かゆみを伴う皮疹が出るようになりました。とてもかゆく、かいたところがその後、茶色いシミになりました。絶食がよくないとは分かっているのですが、自分なりに「リセット」の作業がないと気が済まなかったのです。
就職しても過食は続いていました。
以前から、絶食の「リセット」の期間中に、体を動かしていたのですが、それがエスカレートしました。
1日はひたすら食べ続ける過食。その後3日間は絶食の「リセット期間」とし、仕事から帰宅後の真夜中に4時間ほど外を歩き続け、3日目の夜に下剤を一気にのむ。
50錠近くを一気のみし、トイレに駆け込んでいました。
でもリセットの作業は本当につらかった。下剤をのんだ後、毎回「これを最後にしたい。終わりにしたい」。そう思いながら、やめられなかった。働き続けていたけれど、居場所はなくて、この世の中から消えていなくなりたい、とずっと思っていました。
あるとき、通勤中の電車の窓から、自分が毎晩歩き続けている大通りが見えて、「もうこんなことは終わりにしたい。本当の意味でリセットしたい」と思いました。就職してからずっと住み続けていた街から、引っ越すことを決めました。それが4年ほど前のことです。
引っ越ししようと思えるようになったころから、回復はゆるやかに始まっていたのかもしれません。
引っ越した後、過食の量が自然と減り、リセットの作業もゆるやかになっていきました。もちろん、過食してしまうこともあったのですが、その量や頻度が減っていきました。
中学生で拒食症と診断されてから、病院を受診はしていました。でもいつも数回で通院をやめてしまって、続きませんでした。だから、あまり医療のおかげで回復したという実感はありません。
なぜ、回復が始まったのか、自分でもよく分かりません。
ただ、40歳になるちょっと前、当事者が集まる座談会に参加したことがあります。それまでは、こうしたイベントに「行ってみよう」という気持ちになったことはなかったのですが、そのときは自然と行ってみたくなりました。
私が一番年上ぐらいで、10~20代の女の子たちが集まっていました。その話を聞きながら「いま頑張っているんだな、つらいんだな」と思いました。そのとき、「若い人のことを思えるようになった自分は、もしかして回復しているのかも」と思ったことを覚えています。
やせたい気持ちはいまもあります。体形が良くない、という自覚もある。でも、体重をいま、それほど意識しなくなり、体重計に毎日乗る、というようなこともなくなりました。
いま振り返ると、ここまでとにかく長かった。思えば中学生で拒食症と診断され、入院を言われたとき、きちんと治療に向きあっていれば、ここまで長引かず、もっと早く回復していたのかも、と考えることもあります。でもその時間は取り戻せない。かかった時間を受け入れるしかない、といまは考えています。
せっかく25年の時間を費やしたのだから、何らかの形でこの経験を生かしたい。苦しんでいる若い人たちに少しでも役に立ちたい。そう考え、昨年6月、摂食障害の予防・啓発活動をする「日本摂食障害協会」(事務局・東京)に、サポーター登録をしました。
ボランティアでイベントや勉強会の手伝いをしたり、体験の発表をしたりする役割です。
私自身は、ずっと居場所がありませんでした。だから、摂食障害に苦しむ若い人たちの居場所をつくってあげたい、という漠然とした思いをいま持っています。
摂食障害は人によっていろいろですし、若い人たちに伝えられるメッセージはそんなに多く持っていませんが、どうか死なないでほしい。
「今日は、死なない」
その積み重ねで、私は生き延びてきたように思います。
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