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3年間、取材を断られ続けた「がんママカフェ」 かけがえのない日常
多摩ニュータウンにある小田急電鉄の唐木田駅を降りて3分ほど歩くと、住宅街に1軒のカフェがあります。定休日にもかかわらず女性たちが気さくに語り合っています。それが「がんママカフェ」と知らないと気づきません。カフェの扉の先には、有名人たちのがん闘病記とは違う、もう一つの「がんと家族」の姿がありました。
カフェの正式な名前は「カフェ・ド・スール」。ガラス張りで50席ほどあります。
ドアを開けて入ると、奥に「がんママカフェ」を始めた井上文子さん(48)がいました。東京都町田市に夫の修一さん(45)と長男の天凱くん(10)の3人で暮らします。文子さんは乳がん経験者です。
「いらっしゃい。ようこそ」
明るく迎えてくれた文子さんですが、実は3年前に取材を断られた経験がありました。その時は「まだ始まったばかり。実績がないから」という理由でしたが、何よりも大切にしていたのは、ひっそりと街に溶け込むようなスタイルを維持したかったから。PRはほとんどせず、カフェに置かれたちらしと口コミ、簡単なホームページだけ。
「メディアに取り上げられることで、来づらくなるママもいるから」
ママ友にも、ご近所にも、子どもにも、自分ががんで治療していることを話していないママが多くいるからです。だからこそ、病気と闘うことを支えるだけでなく、弱音をはくことができ、子育てと治療の両立の悩みを聞いてくれる場が欲しいという人は多くいます。
「一人じゃないよ、と気づかせてあげられる出会いの場をつくりたい」
そんな文子さんの思いもあり、会員制はとらず、会費もなく、勉強会でもなく、毎月1回、コーヒーや紅茶など飲みたいものを自分で頼み、1時間30分語り合う場の提供に徹しています。
私が「がんママカフェ」の取材にこだわったのは、有名人のがんや壮絶な生死では伝えられない、子育て世代の家族が抱えるリアルな悩みをもっと伝えたかったからです。
3年経ってやっと受けてもらえましたが、参加者が語った会話の内容はNGでした。大きなテーブルを囲んで始まり、私は対角線上の一番遠い席で遠目に様子をうかがっていると、途中から招き入れられました。
話を振られた私は、これまでの医療取材の経験をもとに、支える家族が抱える悩みを紹介しました。
一つはお金の問題です。
「がんとともに」と言われるように、「がん=死」の時代ではなくなりました。2人に1人はがんになり、特別なことではありません。
ただ、新薬は保険診療が適用されても高価なものが多いのが現実です。がん保険に入っていても、再発や転移だとあまり使えないことが多く、お金の問題は想像以上に深刻です。
「がんママのパパは、『お金がないから治療ができない』とは口が裂けても言えません。それが苦しいんです。例えば会社の上司が配慮して、時短勤務や休業を提案してくることがありますけど、家計のことを考えたらより効率的な働き方をして今まで通りの給料が欲しいのが本音です」
「子育て世代の家族は、住宅ローンや学資など削れないものが多いですよね。がんであっても母親は自分の子どもに、普通の子どもと同じようにさせてあげたいと願うんですね」
逆取材を受けた形になりましたが、そんな話を聞いて「パパたちの本音を始めて知った」という人もいました。
「がんママカフェ」で語られているのは、日常生活にかかわる悩みです。
今後の不安、仕事、お金、子育て、家事……。
例えば、抗がん剤治療の副作用で指の末梢神経がしびれることがあります。そんな副作用がある幼稚園や小学校の子どもを持つママにとって、お弁当づくりや手縫いの手提げ袋づくりはハードルが高くなります。
文子さんは「お金がある人は何でもできるんですよね。ヘルパーも雇えるし。買えるし。でもね、そういう人たちばかりではないんです」と言います。
文子さんが乳がんと診断された時、長男の天凱くんは、3年保育の幼稚園に入る前のプレスクールに通っていました。園側には事情を伝えていましたが、後日、退園を迫られました。幼稚園の行事は母親が準備に参加するなどのお手伝いが多いから、などと懸念されたためです。
都心の病院に通うときも、天凱くんを預かってくれたのは、近所の親しいママ友でした。
そんな経験があるからこそ、文子さんは体調が回復すると、時々、母親をがんで亡くした一人っ子の子どもを父親が帰宅するまで預かったり、運動会や遠足などのお弁当を作ってあげたりしています。都心の病院に通院する母親の子どもを預かることもあります。
これが、「がんママカフェ」の起源です。
「がんママカフェ」には、もう一人の立役者がいます。
「カフェ・ド・スール」のママ、田原愛子さん(64)。乳がんの転移で治療中ですが、毎日、シェフの夫とともにカフェに立っています。最初にがんが見つかってから7年目。「自然と、お客ががん患者かどうか、見極められるようになりました」とにこやかに話します。そんなお客には、そっと声をかけてきました。
「患者本人はがんと闘うけど、寄り添う家族はその痛みを分かろうとしても分からない。これからはそういう人にも寄り添えたらいいな」
女性のがんは、乳がん、子宮がん、卵巣がんなど、発症が子育て時期や働き盛りの時期と重なるものが多くあります。
「がんママカフェ」は4年目を迎えました。井上さんも治療開始から5年が過ぎ、再発や転移の不安は和らいできています。そんな今の夢は、「パパカフェ」の開催です。「がんママ」のパパやママを亡くして子育てするパパたちが、弱音を言い合えたり、相談し合えたりする場です。
1月下旬、私は井上さん一家を自宅に訪ねました。ママが治療をしていたとき、子どもはどう感じていたのか。
3歳の時の記憶はほとんどありませんでしたが、「寂しくなかった?」と文子さんが声をかけると、天凱くんはこう言いました。
「それよりも母さんが入院した時、おばあちゃんが1週間、毎日大量のおもちゃを買ってくれたんだ。逆に楽しかったよ」
文子さんが「あの時、抱っこできなかったじゃん」と語りかけると、天凱くんは語気を強めていいました。
「逆に僕は大人になったんだよ」
病気はとてもセンシティブな問題で、治ったり、日常生活に支障がなかったりすれば、あえてカミングアウトする必要はないという人もいます。
ただ、治療と生活のバランスを保つのは、想像以上にハードです。このリアルな現実、リアルな生活を知らないと、優しさや一言が逆に患者や家族を傷つけたり、苦しめたりすることになりかねません。
がん治療をする病院や患者会が開く患者サロンもありますが、話は治療中心になりがちです。30代や40代の子育てママと高齢者のがん患者では、抱える悩みも知りたいことも違います。
幼稚園や小中学校に子どもが行っている間にそっと集える場所が、「がんママカフェ」でした。3年経ってやっと取材にこぎ着けました。そこまでこだわった理由は、こんな街に溶け込むようなカフェで気軽に支え合えたらいいね、と私自身が求めていたからかもしれません。
「がんと仕事」「がんと子育て」「がんと学業」など、みなさんが抱えている悩みや課題、提案を募集します。治療と社会生活の両立支援について一緒に考えましょう。
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