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メキシコ地震、「死者の日」を陽気に過ごす理由 留学生が見た被災地
今年9月、メキシコを襲った大地震では、約300人が犠牲になりました。現地に留学生として滞在している丸田理乃さんは、大災害という悲劇の中で、日本とメキシコとの違いを肌で感じたと言います。明るく過ごす「死者の日」の光景、独特な避難方法、家族のつながり。現地での日々を丸田さんにつづってもらいました。
メキシコを襲った地震から1カ月たった11月。現地では震災後の初めての「死者の日」を迎えた。死者の日にはオフレンダと呼ばれる祭壇が家や市町村に飾られる。
震災後初めての「死者の日」は、メキシコ市のオフレンダに9月19日の文字が刻まれていた。また、テレビのニュースには震災現場に手向けられたたくさんの花が映し出されていた。
Reforma(レフォルマ)で行われたDesfile de Dia de muertos(デスフィレ・デ・ディア・デ・ムエルト)という死者の日のパレードでは、世界各国から駆けつけた救助隊の格好をした人たちが、救助犬、大きなヘルメット、救急車と共に先陣を切って行進した。
その奮闘ぶりが度々テレビで伝えられた日本の救助隊に扮した人が通ると、見ている観客たちからは、「ありがとう」の歓声と拍手が飛び交っていた。
「死者の日 Día de muertos」とは、日本のお盆のように、様々なしきたりのもと故人を迎えるのだが、厳粛な日本とは異なる。
「死者の日」の期間にはメキシコ全体がまるでお祭りのようなハッピーな空気に包まれる。お墓は数々の食べ物や色とりどりの花で美しくきれいに飾られ、陽気な音楽の演奏、そして家族、親戚が一同に集う。
メキシコでは「死」の捉え方が日本と異なり、「死」はポジティブに考えられてきた。そのため日本では想像もできないようなイベントが繰り広げられるのだ。
大きな震災の後、日本なら自粛になるようなイベントが、 今年もメキシコ各地で様々な内容で行われた。死に対して日本人がネガティブな考えを持つのに対して、メキシコ人はポジティブにとらえ、そして彼らのエネルギーに変えている。
地震に対する避難訓練は、メキシコでも行われている。しかしその内容は、日本とは大きく違う。
私が今まで学校などで体験した地震の避難訓練では、身を低くし頭を保護し丈夫な机の下など安全な場所に避難をする。そして、慌てて外に飛び出さないで揺れが収まるまでじっとしていることを教えられた。
メキシコ人の小学校の中では、警報が鳴った後、避難ルートからいち早く、建物の外に出て避難場所に行くという訓練をしている。
メキシコ市では、1985年の地震より避難訓練が毎年に行われている。9月19日も地震が起きる2時間前の11時にも市をあげて避難訓練を行っていた。
そして、2017年9月19日火曜日午後1時14分(日本時間9月20日午前3時14分)ごろ、メキシコの首都メキシコ市より約150km離れたプエブラ州アソチアパンでM7.1の大きな地震が発生した。
小学1年生の子供を持つメキシコ人の母親の話によると地震発生直後、子供は一目散に庭に飛び出したと言う。訓練通りとはいえ、揺れが収まるまで外に飛び出してはいけない日本と大きな違いである。
そこには、建物の耐震に対する信頼度の違いもあるのかもしれない。
メキシコ市は、建築物の耐震において最も厳しい基準を採用している都市である。だが、汚職が蔓延(まんえん)しているメキシコでは、新築でも耐震基準を満たしていないビルが少なからずあると言われている。
9歳の子供を持つメキシコ人の母親は、「子供の学校では非常口というマークが無い。突然の地震発生で教員がいなかったクラスがあり、子供は混乱した」と語った。
教員の誘導が無かったことに、今更ながら母親の間では不安の声が広がっていると述べた。
メキシコでは一つの家にアニメの「サザエさん」のように二世代、三世代の家族、兄弟が当たり前に暮らすことが一般的だ。
日本に多い核家族や、独り暮らしだと、地震による不安や、停電や繰り返し襲ってくる余震に対する恐怖心が積み重なり、心に重くのしかかってくる。メキシコは大家族のため、お互いの心を支え合うことができ不安が少ない。
家族が多ければ、つらい状況の中でも笑顔になれる回数も多い。日本からメキシコに来て驚いたのは家族の絆の強さだ。国民の大半がカトリックであり、家族を大切にするのはカトリックの教えでもある。
“生きる意味は他者とのつながりの中で成立するもの。誰もが1人では生きていくことが出来ない。”と言う考えがメキシコ人の心に根付いていると感じた。
メキシコでは独り暮らしをしている人は、とても少ない。都心部へ地方から出てきている人は、大抵、親戚の家に身を寄せる。知り合いがいない人は、シェアハウスに住んでいる。
私たち留学生は、ホームステイやシェアハウスをするのが一般的である。日本のように一人寂しく孤独死ということは、まず無い。そして私たち留学生も、昔からの家族のように受け入れてくれる。
メキシコ市内で最も被害が大きいソチミルコのサングレゴリオと呼ばれる地区は、ほとんどの家が倒壊した。
彼らは、チナンパ(運河の浮島)と呼ばれる場所で農業を仕事とし、低所得者である。そのため、自分たちの手で建てた家が倒壊した。
「家を失った家族、親戚は少しでも住めそうな家に身を寄せ合って暮らしている。私たちは貧しく、住む家はみすぼらしいが、でもここには家族でいられる幸せがある」と70代の男性は語った。
明るく陽気に過ごす「死者の日」。とっさの避難の方法。そして、家族とのつながり。物資に恵まれなくても、心が満たされている幸せ。
悲劇の中だからこそ、日本との違いを色濃く感じてしまった。
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丸田理乃(まるた・りの)早稲田大学大学院生。メキシコの魅力に取り憑かれ留学すること5回(外務省「日墨戦略的グローバル・パートナーズシップ研修計画」。文部科学省「トビタテ!留学 JAPAN 日本代表プログラム」など)。現在、メキシコ政府外務省奨学生としてメキシコ国立自治大学( UnivercidadNacional Autonoma de Mexico )の研究生としてメキシコ市に滞在中。
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