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ザコが主役「北斗の拳」舞台が教える…かけがえのない「普通の人生」
「あべし」「ひでぶ」。この2語にぴんときたら、「北斗の拳」ファンに違いない。「北斗の拳」が初めて舞台化されます。ただし、ケンシロウもラオウも登場しません。主役は「あべし」と言いながら逝ったザコたち。そこに至るまでの、本編には登場しないザコの生き様が描かれます。でも、なんでケンシロウ出ないの?
「北斗の拳」は1983年に週刊少年ジャンプで連載が始まった漫画。原作は武論尊、作画は原哲夫が手がけました。
グロテスクな描写や名台詞と共に、多くのファンの心に強く刻まれ、今も各地で話題を集めます。
例えば、2016年3月に開通した「北海道新幹線」の「新函館北斗駅」には名前が共通しているという点だけで、ケンシロウの銅像がたてられました。今年誕生した新横綱稀勢の里が、ラオウの化粧まわしを締めたこと記憶に新しいですね。
伝説の暗殺拳「北斗神拳」の伝承者・ケンシロウは、核戦争で文明と秩序が失われ、食料争奪戦が起きている世界で常に戦い、勝ち続けます。
暴力が支配する弱肉強食の世の中に、弱者=ザコは通用しません。「おまえはもう死んでいる」と決めゼリフを放たれながら、みんなあっという間に死んできました。名前すら知られないまま・・・。
舞台「北斗の拳―世紀末ザコ伝説―」(9月6日~10日 東京ドームシティ シアターGロッソ)が決まったのは、昨年秋。ここがびっくりなのですが、原作者サイドからの「ザコを舞台化してほしい」というオファーだったそうです。
脚本は漫画原作の舞台化に定評のある劇作家の川尻恵太さん、演出は劇団「開幕ペナントレース」の村井雄さん(39)。
「北斗の拳」の大ファンという村井さんは、自分の劇団の舞台が同じ時期にもあるにもかかわらず、「自分史上、最大の反射神経を使ってOKしました」と言います。村井さんに、ザコを描く意味について聞いてみました。
「子供の頃、漫画は当然主人公を中心に読んでいきますよね。学校でも『ケンシロウと悟空(ドラゴンボール)のどっちが強いんだろう?』が男子小学生の話題の中心。でも、今回、もう一度読んでみると、違う物語が見えてきました。ケンシロウに共感できなくなってきたんです。かっこよすぎてまぶしいというか」
「それよりも隣で死んでいく人の方が気になりました。人は誰もが必ず死ぬわけで、年齢を重ねればそれだけ、死は現実的になっていきます。横綱もスポーツ選手も多くが年下。昔は、僕だって『読売巨人軍に入りたい』『総理大臣になりたい』なんて夢をもっていたわけですけれど、そうなれない自分にも気づき始めています」
「おぎゃーと生まれた自分の始まりは想像できないけれど、終わりは想像できるというのが大人。だから、死に方の研究材料にしてほしいと思っています」
ーー死に方といっても、「あべし」って死ぬ人、現実にはなかなか・・・
「俳優やスタッフと、死ぬ瞬間はどんなだろうって話し合っています。実はアドレナリンがでて気持ちいいんじゃないのか。最期だと思って、自分の美学を貫くんじゃないのか」
「プロレスでラリアットをくらう人って、自分がどう倒れたら、お客さんからかっこよく見えるか考えるらしい。死も同じで、他者から美しく見えるよう演出するのではないのか」
「『北斗の拳』はケンシロウが主人公ですが、ザコたちが死ななかったら、あのせりふも言えないわけで、成り立たない。漫画の中ではケンシロウを輝かせるために、ザコたちは必死に目をむいて、コミカルに死んでいくわけです。死んでしまう自分にとって自分の死に際は見えません」
「『北斗の拳』では、ザコは必ずケンシロウか誰かに殺されます。逆に言えば死に際を誰かに見られている。ザコたちにとって、死に際は他人に見せるための他人のものでしかない。そこに最期の人生の美学が生まれると思っています」
ーーあわよくばケンシロウにかっこいいと思って、語り継いで欲しいわけですね
「それなのに ケンシロウにとってはザコの死は重要ではない。そういう悲しさの先にあるのがザコの死です。だから、舞台では、悲しさの前段階とも言えるザコの人生にスポットライトを当てて、いろいろな方法で、あえてぱっと死なせてしまいます。彼らの人生が刻み込まれたらいいなと思っていますから」
ーーケンシロウがでないのに、どう死んでいくのでしょう?
「シルエットっぽいのが映ったり、歌の中で死んでいったり、いろいろ考えていますよ~」
ーー俳優さんはザコ役をすぐにOKしたんですか?
「出演を依頼したとき、『ケンシロウは誰ですか?』とみんなに聞かれます。『でません。あなたの役はザコです』」
「ザコしかでないので、台本はザコA、ザコB、ザコCのせりふがつらつら並んでいるんですね、それが見にくいので役名は『A』『B』『C』にしてくれとかいう会話が稽古場で続いています」
「北斗の拳に登場するザコで色白はおかしいから、『日焼けします!』って稽古以外の時間は外にいつづけたり、『ザコは誰にも追いかけられないから後なんてきにしないから』と小道具のバイクにバックミラーはいらないと主張したり、今は、みんなザコになりきっていますね。演出する自分は『最強のザコ使い』と言われています」
ーー楽しそうな稽古場ですね
「でも、『あべし』なんて言えるザコは上級です。今回登場するのは、ページのコマにも入らず、漫画の中で死んだ上級ザコの肉片があたって、誰にも見えないところで死んでいるザコたち」
「舞台では、仲間のために食料を必死に調達してきたために疲れて死んでしまったザコが出てきますが、彼の遺体を見て、みんな、はっと気付く。『あいつの名前はなんだった?』」
ーー!!!
「ケンシロウのようなヒーローは当然見たことがない。彼らが生きているのは、インターネットはもちろん、ラジオもテレビもない時代です。『見られただけで死んでしまうような、強いやつがいるらしい』と内々で話している」
「現実と近いと思いませんか。例えば、大会社の社長は、エレベーターですれ違うことはあるかもしれませんが、会っているとはいえない。社長の訓示かなにかを、双眼鏡で見ないと米粒ぐらいにしか見えないぐらいの場所にいる感じです。『うちの社長ってさぁ~』とか言いながら」
「大スターにいたっては、現実にいるとはわかっているけれど、一生会えない人という感じです。『あの人、こんな人らしいよ』と遠くからあこがれてみていることが、すでに自分がザコだと認識しているのかなって」
ーーザコって悪いことなのでしょうか。みんなケンシロウを目指した方がいいですか?
「僕たちはみんなザコです。多くの人が自分はザコだと思っているはずですし、そう思うとすごく軽くなります」
「とはいえ、『いやー俺なんてザコだし』と誰かに言って、『そうだね』なんて言われた日には傷つきます。『ネタだったのに・・・違うと言って欲しかったのに』と」
「もちろんケンシロウになることを夢見ることも大事です。でも、全員がなれるわけではない。だから、自分=ザコだと思っておくと虚勢を張らなくてもいいし、楽しく生きられるかもしれない。自分をいじめる友人だって、めんどくさい上司だって、みんなザコ。そんな相手のために自殺なんてバカみたいと思えるかもしれない」
「あえて、むかつく課長を誘って見に来てください。『なんでおまえと見に行かなきゃ行けないんだよ~~』と言っていた課長だって『Youは Shock』(アニメ『北斗の拳』の主題歌『愛をとりもどせ!!』byクリスタルキング)が流れた瞬間、背筋がぴんとなって、帰りには『ザコも最高だな』と話せる友人になるはずです」
取材を終えて…
「雑魚」。広辞苑で調べると、種々入り交じった小魚。転じて大物に対する小物のこと。何の特徴もないその他大勢に見えますが、「北斗の拳」のザコはみんな個性豊かです。確かに、誰もがあこがれるスターではないけれど、「ザコ=どうでもいい人物」ではない。個性あふれるザコ目指して、これからも生きて行けそうです。
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