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白黒写真を自動でカラー、AI進化に写真家は?ハービー山口さんに聞く
人工知能によってモノクロ写真を自動的にカラー化する技術が進んでいます。何百万枚ものデータで学習し、違和感のないカラー写真に仕上げるプログラムも公開されています。モノクロ作品を手がける写真家、ハービー山口さんは、そんな人工知能の出現について「作家として『そんなことしてくれるな』という心配は、ないです」と語ります。ベテラン写真家が考える「人工知能と人間の関係」について聞きました。
1950年に東京に生まれたハービー山口さんは、1964年の東京五輪によって変わる東京を間近に見ながら、育ちました。
1973年、写真家になるためロンドンに渡りミュージシャンらを撮影。10年の滞在中、ボーイ・ジョージやザ・クラッシュら一流のアーティストや街の人々を被写体に活動します。
帰国後は、福山雅治さん、松任谷由実さん、ゆず、山崎まさよしさん、布袋寅泰さんらトップミュージシャンを撮影。その一方で同潤会代官山アパートメントをテーマにした『代官山17番地』など、建物をテーマにした写真集も手がけてきました。
モノクロ写真についてハービーさんはこう語ります。
「カラー写真というのがあるのに、あえて情報を捨てることで、人々の表情や光、そういったものを強調したい」
それは、水墨画や大理石の彫刻に似ていると言います。
「肌や髪の色を無視した大理石のダビデ像に『なんで白一色なんだ、不自然だ』と言う人はいないわけです。水墨画だって『木があるのに緑色をつけないんですか』とはならない」
ハービーさんのような写真家にとってモノクロは「色を省略してシンプルにするぶん、人物の表情や光、構図を強調しようとする作者の方法論です」と語ります。
そんな作家の土台となるモノクロという手法を、人工知能でカラー化してしまう。
場合によっては嫌がる作家もいそうですが、ハービーさんは「こういった形で昔の写真が若い人たちに伝わるのはいいことですね」と好意的です。
「色を追加することで、記録としての情報がプラスされる。作者の思いとは別に価値が増します」
今回、ハービーさんの許可を得て、同潤会アパートの写真をカラー化に取り組みました。
同潤会アパートは、1923(大正12)年の関東大震災の翌年、当時の内務省が義援金約1千万円を元に財団法人「同潤会」を設立し、同会が1934(昭和9)年までに東京と横浜の計16カ所に建てた集合住宅です。
鉄筋コンクリート造りで耐震・耐火性を高め、当時は珍しかった水洗トイレやエレベーターなども採り入れられました。
老朽化により、1980年代から建て替えが進められましたが、年月を経た外観の美しさや歴史的な価値から、取り壊しを惜しむ声もあがりました。
カラー化のプログラムは早稲田大の石川博教授らの研究グループが開発したものを使用しています。
実際のカラー化の作業は、これまでも古い写真のカラー化を試みてきた首都大学東京准教授の渡邉英徳さんと、取り壊される前の同潤会代官山アパートメントを訪ねたり、同潤会青山アパートメントの中などで同潤会アパートに関する展示を開催してきた建築家、いしまるあきこさんとで取り組みました。
まず、ハービーさんの写真集からカラー化に適した写真を選び、そのまま人工知能に判断してもらい色づけをしました。
この時点では、植物が生えていないようなところを緑にしてしまうなど、ところどころ、判断ミスが見られます。
次に、いしまるさんのと一緒に、ハービーさんが写真を撮った同潤会代官山アパートメント解体の1〜2年前にあたる1996年、1997年の資料をあたりながら、できるだけ正確な色に補正していきます。
渡邉さんは、カラー化の意義を「完全な色を復元することではない」と言います。
「自動化されたカラーの写真を見て、実物を知っている、いしまるさんが意見を言う。資料を見ながら議論をし合う。さらに、作家としてモノクロ写真に込めた思いをハービーさんから聞く。このプロセスが大事なんです」
いしまるさんは、渡邉さんからカラー化した写真を見せられた時に「すごい違和感を持った」そうです。
「どうしても、ああだった、こうだったと言いたくなってしまった」。そんな自分の反応から同潤会アパートへの思い入れの強さを確認したと言います。
「やっぱりハービーさんの元の写真はすばらしい。この作業を通じて、あらためて気づかされました」
ハービーさんには、自身のモノクロ作品を自動でカラー化してしまうという行為に抵抗はなかったのでしょうか?
「作家として、そんなことしてくれるなという心配は、ないんですよね。写真が一人歩きしてもいい。自分の作品を見た人が10年後、作品がカラーかモノクロか曖昧(あいまい)になっても、その人の心の中に取り込まれたら、それでいいんです」
作家と作品の関係は歌に似ていると言います。
「森山直太朗の『さくらさくら』という歌。4月の誕生日に彼女が自分のために歌ってくれたとします。多少、音程が違っても、女性のキーでも、それが大事なんですよ。原曲は森山直太朗作詞作曲というオリジナルがあるのだから」
幼い頃、腰椎(ようつい)カリエスを患い、つらい子ども時代を過ごしたハービーさん。
カメラで生きて行くことを決め、ロンドンで修行。若き日のヴィヴィアン・ウェストウッド、U2のメンバーらのポートレートで実力を認められてきました。
「きざな言い方をすれば、どう料理させようとも揺らぐことはない」
人工知能には踏み込めない作家としての自信と覚悟が、カラー化を面白がる気持ちにつながっているのでしょう。
「自分がカップラーメンの開発者だとしたら、買った人はどこで食べようが関係ない。キャンプで食べることもあれば、久々に家で食べて『こんなにおいしかったんだ』って思うこともある。開発者は自信を持っているから、いかなる状況の下でも食べてもらっていい。そういうことだと思います」
一方で、ハービーさんは、人工知能の発展によって、最適な答え、便利で効率的なものだけを追い求めてしまうことにならないか、気がかりだと言います。
「便利なことを得る反面、私たちは何かを失うんだということを考えなきゃいけない。建築に対しては居住空間という機能だけでなく、デザインや雰囲気など心に訴えるものを私たちは求めています」
同潤会アパートを初めて見た時の衝撃を、ハービーさんは「あの心に刺さる、あれは建築家の魂が一人の写真家の心をとらえたんでしょう」と振り返ります。
「建物を撮影しながら、同潤会が好きで何度も足を運んでいるような人がいることに気づきました。そうしたら、人も撮んなきゃいけないや、と思うわけで。そうやって出会いが生まれていったんです」
今後も人工知能のような技術が進化していくことは避けられません。
「こうした便利で優秀な装置を前に、我々は人間の心を大切にできるのか。そこでアートというものの価値が問われている気がします」
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