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青森「金魚ねぶた」、なぜ山口でも?ルーツは江戸、市民の熱意で発展

左が青森の「金魚ねぶた」。右が山口の「金魚ちょうちん」(柳井市提供)
左が青森の「金魚ねぶた」。右が山口の「金魚ちょうちん」(柳井市提供)

目次

 真っ赤な体にぎょろっとした大きな目。青森県では、7月後半になると、町中のあちらこちらに金魚型のちょうちん「金魚ねぶた(ねぷた)」が現れます。実はよく似たものが、山口県柳井市にもあります。本州の両端で、なぜ同じような風習が?(朝日新聞青森総局・山本知佳記者、山口総局・山本悠理記者)

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JR青森駅前のバス乗り場では、大量の金魚ねぶたが旅行者を迎えている=青森市
JR青森駅前のバス乗り場では、大量の金魚ねぶたが旅行者を迎えている=青森市

気軽にねぶた気分味わえる「金魚ねぶた」

 記者(山本知佳)は青森に赴任して3年目。夏の青森といえば「ねぶた祭り」です。7月末から8月8日ごろまで、「青森ねぶた祭」や「弘前ねぷたまつり」など、毎日のようにどこかでお祭りをしています(「ねぶた」と「ねぷた」は違います。青森は「ぶ」。弘前は「ぷ」。間違えると地元の人に指摘されますのでご注意を)。

 青森県人にとって、「ねぶた祭り」とは無条件に血が騒ぐものです。

 「金魚ねぶた」は、そのねぶた祭り期間中、飲食店やデパートなど、様々な店の店先に飾られます。どの土産店にも、金魚ねぶたをかたどったお菓子やキーホルダーは必ず置いています。人形型のねぶたより分かりやすいし、何よりかわいらしい。気軽にねぶた気分が味わえます。

金魚ねぶたのキーホルダー=青森市
金魚ねぶたのキーホルダー=青森市

山口で発見、思わず二度見

 そんな記者が実家に帰るため、山口県岩国市の空港に降りたつと、視界の端に入ってきたのは、ぶら下がった赤い丸っこいちょうちん。

 え、なんで山口に金魚ねぶた?

 思わず二度見。よく見ると、尾びれの形が違う? でもそっくり。なんだこれは。

 じっくり比べてみると、山口県の金魚ちょうちんは、光源が入れられるように頭頂部が空いているのに対し、青森県の金魚ねぶたは、下部に小さい隙間が空いているくらいです。

 また、山口県の金魚ちょうちんは赤白が基調で落ち着いた色合いなのに対し、青森県の金魚ねぶたは荒く描かれたうろこ模様が特徴的です。

山口県柳井市の「柳井金魚ちょうちん祭り」で並んだ金魚ちょうちん。赤白が基調だ=柳井市提供
山口県柳井市の「柳井金魚ちょうちん祭り」で並んだ金魚ちょうちん。赤白が基調だ=柳井市提供
青森市の「ねぶたの家ワ・ラッセ」に飾られている金魚ねぶた。荒く描かれたうろこ模様が特徴的=青森市
青森市の「ねぶたの家ワ・ラッセ」に飾られている金魚ねぶた。荒く描かれたうろこ模様が特徴的=青森市

どちらも「ある金魚」にそっくり

 両者に共通するのは、尾びれが胴体より大きいところや胸びれが長いこと。どちらも背びれはありません。この共通する特徴、かつて津軽藩で飼われていた「津軽錦」という金魚とそっくりなのです。

 青森県弘前市の体験型観光施設「津軽藩ねぷた村」の檜山和大さん(44)によると、「金魚ねぶたは、津軽錦がモチーフになった」といいます。江戸時代、京都から金魚を持ち帰った津軽藩士が藩主に献上。ただ、当時は上流階級しか金魚を見ることができず、あこがれた庶民がねぶたにしたと言われているとのことでした。

 金魚ねぶたがいつごろから存在していたかはよく分かっていません。青森市にある文化交流施設「ねぶたの家ワ・ラッセ」の吉岡隆さん(56)に聞くと、1800年代の祭りでは、米俵など縁起ものに似せた箱灯籠の運行が主なもので、金魚も縁起のいいものの一つとして運行されていたといいます。

金魚ねぶたのモデルになった津軽錦=青森県営浅虫水族館提供
金魚ねぶたのモデルになった津軽錦=青森県営浅虫水族館提供

北前船で弘前から柳井へ

 なぜ、1千キロも離れた山口に似たちょうちんがあるのでしょうか。

 青森のねぶた関係者に聞くと、「知らない」「山口に似たものがあること自体初めて聞いた」のオンパレードでした。

 では山口側では知っている人はいるのでしょうか。ちょうど朝日新聞山口総局に、同期の記者がいます。調べてもらいました。

 はい、ここから山口総局の山本悠理が担当します(同じ名字で紛らわしくてすみません)。

 青森の山本記者の疑問を解消すべく、柳井市文化財保護審議会の松岡睦彦会長に聞いてみました。すると、案外あっさり答えが返ってきました。

 「江戸末期、弘前の金魚の灯籠を土産に持ち帰ったのが始まりです」

 松岡会長によると、柳井の染物屋「さかい屋」の主である熊谷林三郎という人物が、北前船で東北まで行商に行った際に持ち帰ってきたといいます。言い伝えによれば当時は白かったそうですが、金魚だからという理由で、伝統織物「柳井縞」で使われていたのと同じ染料で赤く塗られたということです。

 観光協会や柳井市に聞いても、「由来は青森のねぶただ」とのこと。実際、青森県の日本海側は北前船の寄港地として栄えた歴史があります。北前船が運んだのは上方の文化だけではなかったようです。

「柳井金魚ちょうちん祭り」の様子。金魚ねぶたが運行される=柳井市提供
「柳井金魚ちょうちん祭り」の様子。金魚ねぶたが運行される=柳井市提供

市民の熱意で「金魚ちょうちんの街」に

 こうして林三郎が作り始めた金魚ちょうちんは、その息子などに受け継がれましたが、第2次世界大戦を経て、一度途絶えました。戦後、大島郡(現・周防大島町)に住む上領芳宏さんが復活させたと言われています。

 現在、柳井の郷土民芸品として、金魚ちょうちんが県内外で広く知られるようになったきっかけは1972年頃、市内の河村信男さんが小学生にちょうちん作りの指導を始めたことでした。その後、河村さんは「柳井を金魚ちょうちんの街として盛り上げたい!」と、県内外で宣伝し、講習にも向かい、作り手を増やしてきました。その努力が実り、柳井市は「金魚ちょうちんの街」として知られるようになり、祭りも始まりました。

 「柳井金魚ちょうちん祭り」の原型となるものが始まったのは1992年。金魚ちょうちん自体は昔からあったのですが、祭りが開かれるようになったのは、わりあい最近のことなのです。近年では祭りの期間中、県内外から毎回8~9万人が訪れるといい、柳井市にとっての一大イベントです。

 市の中心部にある「白壁の町並み」にはずらりと金魚ちょうちんが並び、幻想的な夜を演出してくれます。市職員の中には、金魚ちょうちんの顔を描いた名刺を持つ人もいるなど、今では柳井市の顔と言っていい存在です。

 柳井を金魚の街に作り上げた河村さんは5年前に亡くなりましたが、その後、妻の政枝さん(85)が「河村信男工房」を開き、ちょうちんを販売しています。人気は高く、予約で数カ月待ちの状態だということです。

 金魚ちょうちんは作り手によって目の位置が異なるなど、その人の個性が出て面白いと、政枝さんは言います。「主人が一生懸命に広めた金魚ちょうちん。これからもずっと、柳井の夏を彩り続けて欲しい」と話しました。

 ということで、山口の山本からは以上です。

たくさんの金魚に囲まれた河村政枝さん=柳井市
たくさんの金魚に囲まれた河村政枝さん=柳井市

地元に愛され、独自に発展

 はい、再び青森の山本です(紛らわしくて本当にすみません。知佳です)。やはり、二つの金魚はつながっていたんですね。それぞれが独自の発展をとげ、地元の人に愛されてきたって、面白いですね。

 ただ、職人や祭りの交流は今のところ「聞いたことがない」とのことです。

 そんな両方の金魚を、東京では今だけ見られます。墨田区の「すみだ水族館」では、昨年から夏~秋の間、本物の金魚とともに、青森の金魚ねぶたと柳井の金魚ちょうちんの両方を展示しています。今年も両方の共演を見ることができます(イベント期間はHPで確認を)。よろしければ、じっくりと見比べてみてください。

【関連リンク】
すみだ水族館の「東京金魚ワンダーランド」
山本知佳記者の机の上に置いてあるミニサイズの金魚ねぶた=青森市
山本知佳記者の机の上に置いてあるミニサイズの金魚ねぶた=青森市

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