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「5月35日」が危険な投稿?…天安門事件の影響、ネットの世界にも
1989年6月4日、中国で天安門事件が起きました。事件の影響は今も続いており、ネット空間では書き込めない言葉がいくつかあります。事件があった日の日付や天気も「危険な投稿」としてブロックされます。それだけでなく一見、無関係でタイプミスのような「5月35日」も。天安門事件を振り返ります。
1989年4月、民主化運動に寛容だった胡耀邦元総書記が死去し、学生らが天安門広場の人民英雄記念碑前で追悼集会を開きました。
これをきっかけに、大規模な民主化要求のデモが発生。これに対し、中国共産党は「動乱」と位置づけ、6月3日夜から翌朝にかけて、人民解放軍が学生らに発砲し、武力制圧しました。当局は319人が死亡したと発表していますが、犠牲者数ははるかに多かったとされています。
中国のインターネットで、「天安門事件」は規制の対象になっています。そして、規制の対象は年々拡大しています。
「6月4日(月)、曇り、おはよう」――。中国版ツイッター「微博」で、このような文章も「公開に適しない」として削除されました。また、「今日」「広場」「民主」といった単語の検索も制限されました。
さらに規制は隠語にも広がっており、「5月35日」(5月31日+4日)や8の2乗を表す言葉(答えが64=6月4日)も「関連法規と政策に基づいて表示できない」との表示が出てしまいます。
また、追悼をイメージさせるろうそくの絵文字も削除されてしまいます。
天安門事件をめぐっては、戦車の車列に一人で立ちはだかる男性を写した有名な1枚の写真があります。
誰もが教科書などで一度は見たことがあるだろう、この写真。撮影したアメリカのニューズウィークのカメラマン、チャーリー・コールは世界報道写真賞の最優秀報道写真賞を受賞しています。
「無名の反逆者」「戦車男」と呼ばれている男性ですが、過去には「生存説」も出ています。
香港の中国人権民主運動情報センターの盧四清代表は1998年4月6日、「青年が逮捕を免れ、いまも生存している」との見方を明らかにしました。
男性の名は「王維林」で、「事件が再評価されるまで公の場に姿を現すことはないだろう」と語りました。また、同センターが入手した中国当局の内部資料によると、江沢民氏は1990年末、台湾の大学関係者に「青年の名は死者や逮捕者の中になく、見つかっていない」と述べた、といいます。
男性は1998年に発売された米誌「タイム」において、レーニン・ガンジー・サッチャーなど名だたる偉人に並んで、「20世紀の指導者・革命者20人」に選ばれました。
「天安門事件」が起こった1989年ですが、日本も含めて様々な出来事が起こった年でした。
日本では1月7日、昭和天皇の崩御により、「平成」と変わり、11月9日には事実上、ベルリンの壁が崩壊、そして東欧各国で独裁者の退陣から、民主化の起こっていった、そんな年でした。
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