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PTAの「おかしな正論」 このブラックさ…「世の中そのもの」かも?
小学校や中学校のPTAのお役目ってどんなイメージでしょうか。保護者のみなさんに聞いてみると、「これって必要な仕事?」と感じても、「子どものためだ」という空気に押されたり、みんなもやっているからと我慢していたり。取材で出会ったのは、おかしな正論がまかり通ってしまう、実はブラックな世界。職場とか地元とか、あちこちに転がっている理不尽とも共通していました。
PTAに渦巻く同調圧力を知ったのは、ネットを使ったPTAについてのアンケートに全国から集まってくる意見を目にしたときでした。
保護者が入会するのも退会するのも自由なはずなのに、入学と同時に入会したことになっている。
「広報係」「校庭開放係」など、係の分担を決める時は、じゃんけんやくじ引きで押しつけあうほど「いやいや」なのに、「じゃあその係をなくそう」とは言い出せない。
家庭の事情を理由に係の免除を頼んでも、「わがまま」と言われてしまう。
強制的で不寛容な組織への不満がつづられていました。
この結果を全国組織である日本PTA全国協議会の当時の会長に見てもらったところ、「みんなが一緒にやらなければ」「子どものためだ」との反応が……。
平行線の議論に、PTAへの入退会の自由を徹底させた、ある小学校の元会長の言葉を思い出しました。
「子どものためという言葉は、親を思考停止に陥らせてしまうことがある」
子どものためだと言われると、個人の主張が、何でもわがままのように聞こえてしまうというのです。
集団のなかで言われたことには意見をせず、与えられた仕事をきちんとこなすことが最優先されて、活動そのものの意義や成果はなおざり。想像するだけで、息が詰まります
友人の30代の会社員の女性は、昨年長女が小学校に入学しました。
店で泣いている我が子に「うるさい」と苦情を言ってきた相手に、「子どもなんだから泣くのは当たり前だ」と食ってかかるような、言いたいことは言うタイプです。
ところが、PTAに関してはそうはいきませんでした。
入学前の学校説明会で配られたPTAについての説明には、会費が給食費と一緒に引き落とされることや、全員が必ず毎年一つは係をすることなどが書いてありました。
大前提である入退会の自由はおろか、入会の意思確認にも触れていません。
友人は「おかしい」と思ったけれど、「とても言い出せる雰囲気じゃなかった」と振り返ります。
「みんな黙って聞いていたし、子どもに影響が出たらかわいそうだから……」。結果、日程の希望すら聞いてもらえないパトロール当番などに不満を持ちながらも出かけています。
意識して振り返ってみると、世の中は無言の圧力であふれていました。
たとえば、私の中学時代のバスケットボール部。通った公立中学は、どこかに入部するのがまるで決まりのようで、数少ない「帰宅部」の生徒は不良扱いでした。
早朝や休日も、練習を休めば「さぼり」「根性がない」。夏場に体育館を締め切って、水は数時間に1回の休憩時間しか飲めませんでした。
競技が上達するかどうかは脇においても「がんばることが大事」と信じ、周囲も同じようなものなので、疑問を抱きもしませんでした。
もしかしたら、私たちはこんな経験を通じて、かなり早い段階から「みんなと同じようにすること」や「意見を言わずにがんばること」が何よりも正しいという意識を、植え付けられているのかもしれません。
社会に出ても同じようなことがあります。
建設関連会社に勤務する30代の男性からは、「その日の仕事が終わっても、帰りづらい雰囲気がある」と聞きました。誰もはっきり言葉にしないけれど、「遅くまで会社で働く社員が偉い」という空気があるのだといいます。
みんなが帰りたいのを我慢しているので、監視されているような気がして、なかなか帰れない。
男性も「『一番早く帰ったヤツ』にはなりたくない」という謎の尺度が自分の中にできている」と打ち明けます。
お互いに、お互いを縛り合い、「被害者」でもあり、「加害者」でもあるという不思議な状態です。
PTAでも、みんなでラクをするより、苦痛を公平に背負うという選択に陥りがちです。
改革を目指して執行部に入った保護者が、役員の数を減らすなど組織のスリム化を提案すると、役員経験者たちから「来年からラクになるなんてずるい」という苦情が出たというのです。
「なんでも公平」というと一見正しいようですが、そうとは限らないことがよく分かるエピソードです。
はびこる理不尽は変えられないのでしょうか。まだ数は少ないですが、改善に成功したPTAもありました。
活動は義務ではないという本体の姿に立ち返って、運動会や夏祭りなど行事ごとに「やりたい人」を手を挙げて集まるボランティア活動に変えたり、負担の重い活動自体をやめてしまったり。
独断で成し遂げた「ワンマン会長」もいれば、仲間を募って数年かけて取り組んだ人たちもいました。
多くのケースに共通するのは、「鼻つまみ者」の存在です。
任意加入の徹底を訴え続けた女性は、地域の役所からは「要注意人物」とされました。
町内会など外部の団体とのしがらみを断ち切ろうとした男性会長は、校長や地域の「ボス」から煙たがられていました。
強制加入に抵抗してひとり非会員になった女性は、教頭やPTA会長から厄介者扱いされました。
「決まりがあるわけでもないのに、社会に染みついていること」は数えきれません。異議を唱えるためには、「当たり前」を「おかしい」と言わなければなりません。
もしも周りに変わった意見を言う人がいたら、その人が、あなたを縛っている鎖を、少しほどいてくれるかもしれません。
そして、自分なら何ができるのか、私もあなたも、考えてみませんか?
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