話題
トルコは、なぜ選挙で「独裁」を選んだのか? 国民が払った「代償」
中東のトルコで国民投票があり、憲法の改正が決まりました。大統領の権力がぐっと強化されます。トルコの大統領、エルドアン氏と言えば、これまでも「まるで独裁者だ」という批判が絶えなかった人物。なぜトルコ国民は彼に権力を与えたのでしょうか。実は、選挙に一度負けています。そこにターニングポイントがありました。同じように「1強」首相を抱える日本も、学ぶところがありそうです。
エルドアン氏は1954年生まれの63歳。2014年に大統領になるまでの12年は、3期にわたってトルコの政治権力トップである首相を務めました。
優れた政治家です。この間、国の経済力を示すGDP(国内総生産)は2倍以上に。収入の少ない人向けの団地を大量につくってあばら屋を一掃し、高速道路や鉄道、空港といったインフラを全土に整備しました。
外交ではヨーロッパ、中東、アジアを問わず、ほとんどすべての国との関係を改善。外国からの投資が一気に増えました。
トルコ国内にはトルコ人のほか、少数民族のクルド人がおり、人口の2割近くを占めます。エルドアン氏はクルド人の権利向上に努め、独立を求めてトルコ政府との戦闘を続けてきた武装組織、PKKとの和平で合意。治安は改善し、クルド人もエルドアン氏の支持にまわりました。
演説がうまく庶民派で、支持者には気さく。その人気ぶりを日本の田中角栄元首相になぞらえる人もいます。日ごろ口うるさいドイツ、フランスといったヨーロッパの大国からも評価されていました。
ところが、だんだんと国民の自由な生き方への介入が目立つようになります。「少なくとも子どもは3人持つべきだ」「中絶は殺人」と言ったり、モスクや学校の近くで酒を売ることを規制したり、宗教教育を強化したり。
2013年には人口1400万人の大都市イスタンブールで、緑の多い公園を取り壊そうとしたエルドアン氏に反対する人びとが座り込みをしたところ、警察が催涙ガスで攻撃。これをきっかけにエルドアン氏の横暴さを良く思わない人たちが党派を超えて集まり、大規模なデモへと発展しましたが、強制的に排除されました。
2014年には、自分への批判を封じ込めようとツイッターを遮断。これは司法の命令で解除になりましたが、他のサイトも含めてネットの規制はその後も続きます。気に入らない学者や、新聞・テレビの記者たちも次々と摘発しました。
さらに、首都アンカラ郊外に超リッチな公邸を新築。東京ドーム4個分の敷地に大理石の柱を並べ、部屋数は1000室だとか。建設費はおよそ700億円だそうです。
外交でも高飛車な態度が目立つようになり、逆にトルコと仲が良いと言える国がほとんどないというところまで孤立を深めていきます。
さすがに批判が強まり、2015年6月の総選挙で、与党AKPは前回より53議席少ない258議席(定数は550議席)どまり。過半数の議席を取れませんでした。トルコ国民はこの時点で、エルドアン氏のやり方に不満を表明していたんです。
この選挙で勢力を大きく伸ばしたのが、少数民族クルド人の政党。29議席から80議席になりました。クルド人のエルドアン氏離れが進んだのに加え、エルドアン氏は嫌い、でも他の野党にも物足りなさを感じるというトルコ人の受け皿になったからです。
これを見たAKP政権は総選挙の翌月、停戦をしていたはずのクルド人武装組織・PKKに対する空爆を始めました。エルドアン氏が道筋をつけた和平合意を、自ら捨てたのです。
PKKは報復としてトルコ軍や警官を狙った攻撃に出ました。すると、「PKKはクルド人政党とつながっている」という見方がどこからともなく浮上。政党側は否定しましたが、トルコ人の間にクルド人への不信感が広がりました。
一方でAKPは、無理な要求をして、別の野党との連立協議を破談にします。このとき大統領となっていたエルドアン氏は、再選挙を指示。11月に行われ、今度はAKPが圧勝し、過半数を大きく上回る317議席(59増)を確保しました。クルド人政党は59議席(21減)と後退します。
クルド人を「敵」として叩くことで、議席の回復に成功したわけです。
その代償は国民が支払う形になってしまっています。
同じ時期に政権は、過激派組織「イスラム国」(IS)への攻撃も本格的に開始。PKK系とISのテロが相次いで起きるようになり、急速に治安が悪化しました。2016年に、この二つの組織がトルコで起こした主なテロは11件。1年間で計259人が死亡する異常な状況になっています。
こうした状況の中、2016年7月、軍の一部がクーデターを起こしましたが、失敗しました。
クーデターと聞くとぎょっとする人が多いでしょう。武力で政府を転覆する行為です。ただ、トルコでは軍は政権を握り続けず、「政治が建国時の理念から離れておかしくなったとき、軍が介入して一からやり直しにする」という経験を繰り返してきた歴史があります。
これまでも1960年、71年、80年と過去3回、軍が政権をひっくり返していました。
今回のクーデターは統制がうまくとれておらず、エルドアン氏はこの危機を乗りきりました。
直後、息つく間もなく「反クーデター」の名の下に大粛清を始めます。対象は軍人のほか警察、裁判官、学者、教員、その他の公務員、記者などあらゆる分野に及び、逮捕者5万人、解雇・停職12万人、閉鎖されたメディアは160社、政府に接収された企業は800社にのぼるといいます。
さらに、クルド人政党の党首ら国会議員13人が逮捕・投獄されました。
この人たち1人1人が本当にクーデターに関与したのかどうか、その詳細や証拠は明らかにされていません。
そんな状況で行われたのが、今回の国民投票でした。
もはやトルコには、エルドアン氏を批判する学者もメディアもほとんどありません。18項目からなる憲法改正案の内容や、野党による批判はほとんど報じられず、エルドアン氏は「改憲に反対するのはテロリスト」と繰り返しました。
ヨーロッパがトルコに送った監視団も開票後、公平な選挙報道が行われなかったと指摘。AKPが、政治的には中立であるべき公共事業の開会式を使ってキャンペーンをし、公務員や大学生を動員した疑いがあるとしています。
開票結果は改憲賛成が51.41%、反対が48.59%とわずかな差でした。
改正のほとんどは、2019年に行われる次の大統領選挙のあとから適用になります。大統領は大臣を決め、国会を解散できます。検察や裁判所の人事も、大統領の考えが強く反映されるようになります。
裁判所が大統領の意に反した判決や命令を出したり、検察が汚職を捜査することも難しくなるでしょう。「三権分立」はもはや風前のともし火です。
そして、エルドアン氏以外に大統領になれそうな人は見当たりません。目ぼしい政敵は、既にみな排除されてしまっているからです。
1/7枚