感動
今、トランプ氏に見てほしい映画…日系人画家ミリキタニの数奇な人生
就任早々、難民や中東・アフリカの7カ国の国民の入国を制限する大統領令に署名したトランプ大統領。今から70年以上前にも、アメリカ大統領の命令によって12万人が強制収容所に送られる出来事がありました。ニューヨークの路上で絵を描き続けたジミー・ミリキタニさんもその一人です。今、ミリキタニさんの数奇な人生をたどった10年前のドキュメンタリー映画がリバイバル上映されています。偶然重なったこのタイミングに「トランプ氏に見てほしい映画」として注目を集めています。
ミリキタニさんは、1920年6月15日カリフォルニア州サクラメントに日系2世として生まれました。画家として羽ばたこうとしてた矢先、1941年のルーズベルト大統領による大統領令によって、強制収容所へ送られます。
映画『ミリキタニの猫』は、2006年に発表されました。
2001年1月、監督のリンダ・ハッテンドーフさんが、路上で猫の絵を描いていたジミー・ミリキタニさんと親しくなり、そのまま撮影が始まりました。
映画には2001年9月11日のテロの場面も描かれます。パニックになったニューヨークでミリキタニさんを放っておけなくなったハッテンドーフさんは、家に引き取ります。
ミリキタニさんは、映画がきっかけで数十年ぶりに来日を果たします。画家としても認められ、各地で個展を開きました。2012年10月、入居していた福祉施設でのけがが原因で亡くなりました。
リバイバル上映は、続編となる『ミリキタニの記憶』との2本立てになっています。続編では、生前のミリキタニさんを知る人が、思い出を語ります。ミリキタニさんのルーツである広島での少年時代、親戚との交流がひもとかれていきます。
映画に登場するミリキタニさんは頑固です。恩人であるハッテンドーフさんとも、たびたび衝突します。あの手この手で支援のプログラムを用意してくれる福祉施設のスタッフにも最初は反発します。
そして、ホームレスになっても、画家としてのプライドにこだわります。路上でカメラを向けられると「決めポーズ」をとります。
そんな「憎めないおじいちゃん」が抱えているのが、強制収容所という闇です。人種差別という、取り返しのつかない罪の深さが、心に刺さります。
公開から10年以上たっても、続編やイベントが続いている珍しい映画となったこの作品。
プロデューサーのマサ・ヨシカワさんは「ドキュメンタリーはお金がないので…見にきてもらうまでがたいへん。でも、この作品は、見た人が『もっと多くの人に見てほしい』と言ってくれる。だから、ここまで続けてこられました」と語ります。
1作目の『ミリキタニの猫』では「9.11」の現場に身を置いたミリキタニさんが「No war! World peace!」と訴えます。そして、リバイバル上映のタイミングで登場したのが、トランプ氏でした。
マサさんは言います。
「歴史は繰り返すのでしょうか。でも、歴史を知らないと間違いはなくせない。アメリカでは今も強制収容所の事実はあまり知られていません。今だからこそ、歴史を学ばないといけないのに」
トランプ氏は、就任してからもツイッターで過激な発言を繰り返しています。
「インターネットの攻撃的な書き込みに比べれば、ドキュメンタリー映画の発信力は弱く見えるかもしれない。でも心に響いて、そこに残ることができる。そんな深さがあるんです」とマサさん。
リバイバル上映は、東京・中野の「ポレポレ東中野」で2月17日まで(毎回午後7時の上映)。京都でも3月に上映予定。東京・新宿の「全労済ホール スペース・ゼロ」では、2月18日までミリキタニさんの絵の展示も開かれています。
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<日系人の強制収容>1941年12月の真珠湾攻撃で日米が開戦後、米政府が「軍事活動の妨害」などを理由に、主に米西海岸の日系人らを対象に実施した。42年2月の大統領令に基づいて、約12万人がアイダホやアリゾナ、アーカンソーなど7州10カ所に設けられた収容所での生活を強いられた。戦後、補償を求める運動が起き、米政府は88年に強制収容を謝罪。収容者1人あたり2万ドルの補償金を支払った。
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