IT・科学
なんだか和む…「不思議ロボット」30年作り続ける中国の農民発明家
中国の貧しい農家に生まれた呉玉禄さんは、30年間、ロボット作りを続けています。制作中の事故で大けがをし、自宅は全焼、離婚の危機にも陥ったこともあります。2004年、ようやく発明家の賞を受賞。2010年の上海万博にも出展し、海外メディアに名前が知られるように。「ロボットで儲けようとは思っていません」と語る呉さんに、発明への思いを聞きました。
呉さんが最初にロボットを作ったのは1987年です。
「我が子のように名前をつけました。最初の子は『呉老大』です」
「老大」は日本語で言うと「太郎」。その後、すべてのロボットに「呉」の名字を与え、生まれた順に「老二(二郎)」、「老三(三郎)」…と、ちょっとシンプルですが愛情のこもった名前をつけました。現在、一番下の子は「呉老六十三」(六十三郎)です。
最初の太郎は、簡単な歩行しかできませんでした。弟たちは、それぞれ個性を持っています。トンボ返り、壁登り、囲碁や将棋打ちが、絵描き、ダンス、さらに寝たきりになった老人の寝返りの補助など、着実に進化しています。
呉さんは「最も頭よいのは『呉老五』です」と自慢します。
「呉老五」は、お茶を入れたり、タバコに火を付けたりすることができます。
「一番好きなのは『呉老三十二』です」と、子どもの前でも、わりと堂々とえこひいきをする呉さん。
「呉老三十二」は、おしゃべりをしながら、リヤカーを引くことができます。
ちなみに、「呉老三十二」のセリフは「呉玉禄は我が父です。父を連れて町へ行きます。どうもありがとう!!」です。
最新作の「呉老六十三」は、障害者が歩く時の補助ができるように作られており、実用化が期待されています。
呉さんは、1962年に北京市通州区馬務村の貧しい農家に、5番目の男の子として生まれました。小さい頃から学校の勉強が苦手でしたが、南京錠の構造など機械には興味があったそうです。
「何個かの錠を壊し、その内部の構造を研究していましたね。小学生の時は、マスターキーも自分で作っていました」と語ります。
勉強が苦手だった呉さんは、中学校には進みませんでした。
「勉強も畑仕事も嫌だったので、発明をして村人たちの役に立とうと思いました」
当時、家族や村人たちは、手作業でトウモロコシを脱粒をしていました。それを見た呉さんは自動脱粒機を発明し、負担を軽くしてあげました。重労働だった種まきや肥料をまく作業のために、自転車を改造した機械を作ったこともありました。
そんな呉さんの「アイデア」に、隣の村からお見合いにきた妻も感動します。
「最初、彼女は『農家なのに畑仕事が嫌いなんて…無理』と思っていたらしいです。でも、私が器用に色んな道具を作っているのを見て、心変わりしてくれました」
やがて人間のように歩ける機械を作りたい、と思うようになった呉さん。1987年に、後の「太郎シリーズ」の初号期、歩けるロボット「呉老大」を生み出しました。
しかし、発明の道は決して順調ではありませんでした。
「呉老二」を作っている時、爆発事故を起こします。呉さんが使う部品の多くは「ゴミ」頼り。ある時、呉さんはゴミ収集所で電池らしいものを見つけます。それを電源にしようと思い、プラスとマイナスの両端をつなげました。その途端、爆発。実はそれは「電池」ではなく雷管でした。
爆発によって左手は十数針を縫う大けがを負い、現在も一本の指にまひが残っています。
また、「呉老五」を作った時には、電線がショートし、火の玉が呉さんの顔を直撃、病院に運ばれました。その時、駆けつけた妻が探し出せないほど、呉さんをの顔は真っ黒になっていたそうです。
一番、深刻だったのは、自宅の焼失です。変圧器をオフにすることを忘れてしまい、電線から出火。さすがに妻は幼い息子2人を連れて家出し、真剣に離婚も考えたそうです。
ロボットだけに専念する呉さんを、周りの村人たちは理解できず、明らかに浮いていたそうです。
当時は呉さんの家庭では、家事や畑仕事は全部奥さん任せで、当然、収入にも影響しました。
「お金もなく、ロボットを作るために借金もしました。周りの村人からは『遊蕩児(まともな職業につかない人)』と呼ばれていましたね」
転機が訪れたのは2004年です。農民発明家コンテストで「呉老五」が一等賞を取り、1万元(約15万円)の奨励金ももらいました。ロボットで得た初めての収入でした。このお金で村人たちにごちそうして、発明について語りました。そこから、ようやく評価されるようになったそうです。そして、2010年の上海万博に自作のロボットを出展できるまでになりました。
ただ、呉さんは、ロボットで金もうけを考えているわけではないと言います。
「ロボットで得損を計算していません。私はロボット作りが好き。それだけです」
小学校しか出ていない呉さん。独学で色んなロボットを作ってきましたが、限界も感じつつあります。実は、呉さんの次男は大学でコンピューターを専攻しています。最近では息子の協力で、ソフトウェアの改善をしているそうです。
「寝たきりの人の寝返り補助ロボットや、障害者のリハビリの介護ロボットなどは、息子のおかげでできました」
これからも、息子と協力しながら、人々の役に立つもの作るのが夢だという呉さん。
「年を取ってきましたので、将来もことも考えなければなりません。これからもロボット作りにこだわるのか、技術開発に専念して他の会社に使ってもらうのか、悩んでいます」
1/14枚