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「この世界の片隅に」ヒット導いた“3つの非常識” 前作不振でも…
11月12日に公開されたアニメ映画「この世界の片隅に」(片渕須直監督)が、ヒットを記録しています。一時は完成さえ危ぶまれるような窮地を救ったのは、インターネット上で小口出資者がお金を出し合う「クラウドファンディング」。そこには、業界の方程式を打ち破った「3つの非常識」がありました。
映画は、こうの史代さんの同名漫画が原作です。舞台は戦前から戦中、戦後にかけての広島や呉。主人公の北條すずとその周りの人たちが、迫り来る戦争に脅かされながらも日々の暮らしを生きて行く姿を、綿密な時代考証をもとに淡々と描いています。主人公の声を演じたのは、能年玲奈から改名した女優のんさんです。
公開当初の上映規模は63館と、ヒット街道を邁進中の「君の名は。」の6分の1ほどに過ぎません。通常、映画は公開直後が客足のピークで徐々に減っていきます。ところが、「この世界の片隅に」は客足が衰えず、1、2週目に動員ランキング10位を記録すると、3週目には6位、4週目には4位に上昇しました。
プロデューサーの真木太郎さんは「時間が経つごとに客が増えるなんて、業界の方程式には乗っていないね」と驚きます。しかも、1~3位は「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」など、いずれも公開規模が300館前後の映画です。年末年始にかけて、公開館数は累計195館まで伸びる予定といいます。
「この世界の片隅に」の映画化構想は、2010年にスタートしました。ところが、早くも資金繰りで壁にぶつかりました。
13年に制作に参加した真木さんは「片渕監督も原作者のこうのさんも、コアなファンはいるけど、映画としては決して派手では無い。テレビ局や配給会社の腰が重かった。1年半くらい営業を続けたんだけど、いい返事が無くて」と振り返ります。
一時は、ウェブ上で毎日配信する手法も考えたそうですが、結局挫折したといいます。
そんな時、真木さんが耳にしたのが、インターネットで小口出資者を募るクラウドファンディングで約1400万円を調達した映画「ハーブ&ドロシー2 ふたりからの贈りもの」のうわさでした。
監督は真木さんの元部下の佐々木芽生さん。手法を学んだ上でクラウドファンディングを検討しました。15年3月から2カ月間、2千万円を募ったところ、8日間で目標を達成し、2カ月間で3374人から目標額の2倍近い約4千万円が集まりました。この資金で5分間のパイロットフィルムをつくり、企業などへのプレゼン材料として制作費を調達しました。
「見た人を泣かせるほどパイロットフィルムの出来がよかった。更に大きかったのは、『これだけ応援する人の熱量があるんだ』ということを、クラウドファンディングで示せたこと。それがアピールポイントになり、段々お金が集まった」と真木さんは話します。
一方、「クラウドファンディングがうまくいっていなかったら、一体どうなっていたんだろう」ともこぼします。
片渕監督は「前作(09年公開の『マイマイ新子と千年の魔法』)の初動実績が悪くて今回の企画が興行的に危ぶまれたが、クラウドファンディングがそれを打破してくれました。『こういうものが当たる』という既存の価値観に対し、観客側から『そんなことはない。こういうのも応援したい』と支持してもらえた意味が大きかったと思います」と語ります。
映画評論家の町山智浩さんは「今のシステムでは、新機軸の作品とか、原作が売れていないような作品は、リスクが高いからお金が集まりません。この映画の成功は、過去の成功例に縛られるマーケティング主導の映画づくりに対するアンチテーゼだと思います」と指摘します。
大手配給会社も関わらず、都心のミニシアター中心の上映。真木さんは「制作費は比較的低予算の2億5千万円。公開規模が63館だと、宣伝費から言ってもテレビ広告は出せない。元々監督が手弁当でやっていた自主映画みたいなものだから」と苦笑します。それでも、ツイッターなどで口コミが広がって支持が拡大しました。
「こうのさんの原作漫画のファン」という広島市の友川千寿美さん(64)は、知人らと3万円を出資しました。
「監督が何度も夜行バスで広島に取材に来ているのを見て応援したかった」といいます。「全幅の信頼を置いていたけど、できあがったら想像をはるかに超える映画でした。」と喜びました。
友川さんのような、出資者がSNSで盛んに映画の存在を広めたのです。
著名人も後押ししました。「機動警察パトレイバー」などで知られる漫画家のゆうきまさみさんも、出資者の一人です。実は、監督と面識も無く、原作も読んではいませんでした。「でも、こうのさんの『夕凪の街 桜の国』は読んでいたし、片渕監督の過去作『アリーテ姫』『ブラックラグーン』のファンでした。作り手への信頼があったんです。いい作品になると確信できたし、できあがる作品を是非見たかった」と話します。
更に、「少しでも興味を持ってもらいたい」と、約13万人のフォロワーがいるツイッターアカウントで、何度も映画を推薦しました。
映画のエンドロールでは、一定額以上の出資者の名前が字幕で流れました。また、公開後に「海外上映を盛り上げるため、片渕監督を現地に送り出す」とクラウドファンディングで資金を募ると、わずか11時間で目標額を達成。2日間で目標の2倍超の約2600万円が集まりました。
米国生まれのクラウドファンディングが日本に上陸したのは11年3月でした。東日本大震災直後に、国内最大手のプラットフォーム「READYFOR(レディーフォー)」などが立ち上がり、多くの被災地支援事業などで資金を調達して注目されました。
市場調査を手がける矢野経済研究所(東京)によると、国内の市場規模は15年度で前年度比68%増の約363億円に上り、16年度も32%増の約477億円となる見込みといいます。最古参のレディーフォーでは累計調達額が5年で32億円に達しました。今年、レーザー加工機の販売プロジェクトでは、歴代最高額の6115万円を記録しました。
認知度も上がっています。お笑いコンビのキングコングの西野亮廣さんは、クラウドファンディングで1千万円以上を集めて絵本「えんとつ町のプペル」を執筆しました。更に、絵本の個展を無料で開催するために、クラウドファンディングで約4600万円の調達に成功しました。
今年のスイス・ロカルノ国際映画祭の国際コンペ部門で受賞した富田克也監督の「バンコクナイツ」も、クラウドファンディングで制作にこぎ着けた映画です。芸術分野に特化したプラットフォーム「MotionGallery」で1130万円を集め、2年に及ぶリサーチと撮影が可能になりました。
モーションギャラリー代表の大高健志さんは「俳優が無名だったり制作期間が長かったり、これまでお金を集めにくかった作品を世に出せるようになりました」と分析します。「クラウドファンディングの出資者はファンのコミュニティーをつくり、拡散力も強い。こうしたファンに後押しされ、芸術分野の表現の幅が広がっています」と話します。
一方で課題もあります。レディーフォー広報の大久保彩乃さんは「大手以外にも新しいサービスが乱立してきて、ノウハウの蓄積などもバラバラだ」と指摘すます。「利用者の間には『お金を持ち逃げするのでは』という心配も依然としてあります。資金調達を始める際の審査にもばらつきがある。業界で共通のルール作りが必要になってくるでしょう」と話します。
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