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タコ公園、なぜ愛され続けたのか? 調布に44年、閉園時に2000人来場
9月30日をもって閉園した調布の「タコ公園」。なぜここまで愛されたのでしょうか?
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9月30日をもって閉園した調布の「タコ公園」。なぜここまで愛されたのでしょうか?
東京の調布駅前にある公園が、9月30日をもって閉園しました。シンボルだった「タコの滑り台」にちなみ、地元の人たちから「タコ公園」と呼ばれていました。最終日には調布市主催の「お別れ会」や、野外上映会が開かれるなど異例の対応も。駅前の一公園がなぜここまで愛されたのか? 複数の関係者に話を聞きました。
閉園したのは、「タコ公園」こと調布駅前公園です。開園は1972年(昭和47年)ですが、それ以前から「緑の小公園」として親しまれていて、タコは1971年に設置されたそうです。
当初、タコは赤色でしたが、1989年(平成元年)の公園大改修に合わせてピンク色に。その後、2009年(平成21年)に再び赤く塗り直され、今に至ります。
作ったのは、公園遊具の設計や施工などを手がけている前田環境美術(東京都渋谷区)。複数の滑り台が一体となった遊具を設計する中で「これに頭を載せたらタコになるんじゃないか」というアイデアから生まれたそうです。
同社ではタコの滑り台を全国200カ所以上に設置。現在新設はしていませんが、日本各地から「長く使いたい」とメンテナンスの要望が寄せられているといいます。
なぜ、こんなに愛されているのか? その理由について代表の清水拓子さん(69)はこう推測します。
「今の時代は、安全基準に沿うことばかり頭にあって、売れればいいという遊具が多いと思うんです。タコさん滑り台は子どもたちを観察して、子どもの心理を考えて時間をかけて作りました。だからこそ、今でも愛されているんだと思います」
閉園が告知されたのは市報5月5日号。京王線の地下化に伴い、駅前広場や地下駐輪場などを整備することになり、閉園が決まりました。
駅前広場へのタコ移設を求める声も上がりましたが、鉄筋モルタル製のため多額の費用がかかります。設置から40年以上が経っていることもあり、結局、タコは取り壊されることになりました。
撤去が決まってからは、いくつものイベントが現地で開かれ、ツイッター上でも盛り上がりました。
「#タコ先輩の思い出」とハッシュタグをつけて、「タコさんに翻弄されながらも、娘は成長しました、ありがとう!」「息子が初めて自力でタコさんの中に上がれた時は嬉しそうだったのが思い出されます」と、思い出とともにコメントする人たちが相次ぎました。
そして迎えた最終日。日中は市主催の「タコのお別れ会」が開かれました。吹奏楽バンドによる演奏があり、保育園児たちが紙で作った花などを飾り付けました。
夕方からは、調布市文化・コミュニティ振興財団主催の「さよならタコ公園 映画のまちの公園で野外上映」を開催。最後に同じ思い出を共有してもらおうと、児童向けの短編映画を上映しました。財団によると、のべ約2000人が参加したそうです。
日が暮れたにもかかわらず、多くの人が公園を埋め尽くし、タコには「大好きなタコ公園 さよなら」「ずっとありがとう またどこかであそぼうね」といった手書きのメッセージがあちこちに書き込まれました。
日付が変わった10月1日午前0時すぎ。残っていた人々が外に出て、市の委託を受けた業者が黄色い立ち入り禁止のテープを公園入り口に巻き付けて、44年の歴史に幕を閉じました。
なぜ、こんなに愛されたのか? 市の緑と公園課の代田敏彦課長(49)はこう話します。
「閉園にあたってイベントが開かれるなんて初めてです。昔からあった遊具なので親子2代にわたって遊んだ方もいて、思い入れが強いんでしょうね。駅近くにあって場所もよく、利用者の多い公園だったというのも理由だと思います」
財団のコミュニケーション課主任・鈴木麻美子さん(37)はこう推測します。
「学生にとってはタコが目印の待ち合わせ場所であり、成人式では会場のすぐ隣にある公園です。子育て世代になって子どもを連れてくる人もいます。幼いときだけでなく、ライフステージの至るところで関係していたから思い入れがあるんだと思います。野外上映の後に公園の歴史を振り返るスライドショーを流したのですが、涙を流す人もいました。私もその一人です」
長年にわたってタコ公園の写真をとり続けてきた、市内に住む西山貞子さん(81)。1993年に写真詩集「タコのすべり台」を、2011年には日本各地のタコ滑り台を撮影した「私のタコ」を出版しています。
1971年に調布に引っ越してきて、通勤の際に見かける公園が気になっていました。タコを被写体として選び、1983年から約10年かけて撮影したのが「タコのすべり台」です。
「子どもたちはただ滑るだけでなく、滑り台の縁(へり)の部分を滑るなど、見る度に新しい遊び方をしていましたね」と西山さん。一人で遊んでいた子を誘って鬼ごっこをしたり、小さい子を抱えて滑り台の上にのぼったり、大きな子のまねをして小さい子がムチャをしようとしたり。心と体が発達していく様子が感じられたそうです。
「好きにならないと被写体は応えてくれない」。日頃からそう思っていた西山さんは、どんどんタコのことが好きになったそうです。そのうちに「神様がこっちを向いてくれた」と思える瞬間があり、シャッターを押したといいます。
なぜ、タコ公園はこんなに愛されたのか? 西山さんはこう話します。
「私がカメラを通じてタコに呼びかけたように、子どもたちも遊びながら愛情を注いでいたからだと思います。私にとっても、子どもたちにとっても、タコ公園は心を解放できる場所だったんです」
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