グルメ
緑内障で闘病、知られざる短編型作家 大手が出版しない理由とは?
電脳マヴォを創刊して10カ月ほど経った2012年の秋、ある無名の同人誌作家から投稿があった。
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電脳マヴォを創刊して10カ月ほど経った2012年の秋、ある無名の同人誌作家から投稿があった。
竹熊健太郎 電脳マヴォ編集長
共同編集記者■多摩美術大学非常勤講師・電脳マヴォ編集長=竹熊健太郎
電脳マヴォを創刊して10カ月ほど経った2012年の秋、ある無名の同人誌作家から投稿があった。非常に面白かったので連絡を取ったら、その時点で数年の執筆歴があるらしく、それまでに描いた作品の総集編として450ページもある自費出版の短編集『オダギリックス!』を送ってきた。
収録されていた作品はどれもアイデアが面白く、ネーム(ストーリー構成)の完成度は「プロでもなかなかこうはいくまい」と思えるもので、驚いた。これが小田桐圭介氏との出会いだった。
彼の初期作品に『さくらちゃんがくれた箱』という短編がある。大学受験に失敗した「としお」が主人公。ある日、彼が押し入れを整理していると、一つの箱が出てきた。彼は思い出す。ああ、これは「さくらちゃんがくれた箱だ」と。
さくらちゃんは、主人公の幼なじみで、とても仲が良かったが、よその町に引っ越していって、それきりになっていた少女である。彼は箱を開けた。すると、なんと、子供の頃のままのさくらちゃんが中から出てきた。性格は全く変わらず、おてんばで可愛い女の子で、しばし彼は童心に帰る。
すると彼女は、あるお願いをしてくる。「穴を掘ってほしい」というのだ。主人公は彼女を連れて、昔、一緒に遊んだ近所の林へ行く。そこから物語は、全く意外な方向に展開し、最後に、あっと驚く結末が待っている。
一読して私は、自分がこれまでの人生で読んだ短編漫画の中でも一、二を争う傑作だと思った。
もう一つ、『あたし、時計』と言う作品も紹介する。のどかな山村に立つ「人の形をした時計台」。「彼女」は、村人に時間を知らせるため、24時間、休みなく仕事をしている。
そこに、見知らぬ男の子が訪ねてきて、時計に話しかける。「5時の時報をもうちょっと遅くしてもらいたいのです。そうすれば、もうちょっと皆と遊べるから」。時計の彼女は「それはできないわ。時は正確に刻まないと、あたしの存在する意味がなくなっちゃう」と断る。
男の子は、毎日、話しかけてくる。時計は、彼の両親がいないこと、自分の村では仲間はずれにされていること、居場所がなく自分の存在意義がわからずに悩んでいることを知る。
時計の彼女は、「皆、何かしら役割を持って生きているけれども、大切なのは、あなたが『何をしたいか』だと思うわ」と答え、「個」の重要性を少年に説き始める。次の瞬間、彼女はハッとして、「何を小難しいことしゃべってるんだ?」と我に帰る。
牧歌的でありながら、ミヒャエル・エンデの児童文学を読むような、哲学的な問いを含んだ漫画である。しかし、この牧歌的に見える作品の冒頭そのものが、驚きの終結へと読者を導く罠なのだ。
読者は、読み進めるうちに、児童向けメルヘンを読んでいたつもりが、実は「違う種類の作品」を読まされていることに気がつくだろう。この作品は、冒頭以外の何を書いてもネタバレになるので、もどかしいが、ぜひ、お読みになられることをお勧めする。
映画「シックス・センス」を思わせる凝りに凝った設定とストーリーから導き出されるどんでん返し、最後に深い「哀しみ」が漂う『あたし、時計』の結末は、小田桐圭介の真骨頂と言える。
作品を読んだ私は、これほどの才能の持ち主が、無名のままサラリーマン兼業の同人誌作家として「埋もれて」いることに、いぶかしい思いを抱いた。
本人に話を聞くと、数年前にある大手出版社で新人賞をとったが、編集者から長編を要求され、結局その出版社とは、うまくいかなかったという。小田桐さんは、文学でいうなら芥川龍之介や太宰治と同じ「短編型作家」なのだ。
近年、良質な短編漫画を発表する場が少なくなった。理由は、商業出版社は「長編連載」で単行本を何十巻も出し、利益を上げている現実があるからだ。必然的に、編集者は新人にも長編を要求する。短編型作家は、無理をして自分を長編型に変えないと生き残ることが難しい。または、小田桐さんのように、自分の作家性に忠実に、同人誌で作品を発表し、会社員で生計を立てる道を選ぶことになる。そういう作家が、実はたくさんいるのである。
かつては、こうではなかった。80年代初頭に漫画界はニューウェーブの風が吹き、大友克洋や高野文子が注目を集めた。そういう新人の短編を発表する短編漫画雑誌が、80年代まではたくさんあった。現在のような長編偏重主義は、文学の世界で芥川龍之介がデビューできないような、いびつな世界だと私は思うのである。
最後に。小田桐圭介さんは、現在、持病の緑内障と戦っている。この夏も、手術を受けたばかりだ。すでに視界の大部分が失われているというが、まだ見ることは可能で、本人の漫画を描く気力は衰えていない。漫画家から視界が失われたら、音楽家から聴覚が失われたのと同様の悲劇である。小田桐さんがこれからも作品を描き続けられるよう、切に祈っている。
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〈たけくま・けんたろう〉 1960年生まれの56歳。多摩美術大学美術学部の非常勤講師で、元・京都精華大学マンガ学部教授。漫画をはじめとしたオタク文化を題材にした執筆や評論をしながら、2012年に無料Web漫画雑誌「電脳マヴォ」を開設。
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