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熊本地震、大和さん一家の道のり 4カ月後の「おかえり」 そして…

安否不明の息子・晃さんの手がかりを捜す母親の大和忍さん。作業用の革手袋を手からはずし、ふと前を見つめた=2016年7月16日午後、熊本県大津町、福岡亜純撮影
安否不明の息子・晃さんの手がかりを捜す母親の大和忍さん。作業用の革手袋を手からはずし、ふと前を見つめた=2016年7月16日午後、熊本県大津町、福岡亜純撮影

目次

 熊本地震で行方不明になった息子・晃(ひかる)さん(当時22)を見つけたい。その一念で両親は独自に捜索を続け、4カ月後の8月中旬にご遺体が自宅に戻りました。私が捜索に同行して撮影をさせてもらったのはその1カ月前の7月でした。母・大和忍(49)さんにあらためて会いにいきました。(朝日新聞西部報道センター映像報道記者・福岡亜純)

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息子の腕時計と一緒に

 4月14日の前震の夜から、勤務先の福岡と、熊本の被災地を行き来するようになりました。

 行方不明になっている大和晃さんを知ったのは、同僚が取材した忍さんの記事でした。息子の時計を身につけて帰りを待っている母は、不安そうな表情をしていました。

行方不明になったとみられる大和晃さんの母親・忍さんは、左手首に晃さんが成人したときに贈った腕時計をつけ、不安そうな表情を見せていた=2016年4月20日午前、熊本県南阿蘇村、遠藤啓生撮影
行方不明になったとみられる大和晃さんの母親・忍さんは、左手首に晃さんが成人したときに贈った腕時計をつけ、不安そうな表情を見せていた=2016年4月20日午前、熊本県南阿蘇村、遠藤啓生撮影 出典:朝日新聞

 その後、二次被害の危険があるとして晃さんの捜索は5月1日に中止され、忍さんは、夫の卓也さん(58)と、独自の捜索を始めました。

 熊本県知事への捜索再開の要請でも、報道映像で見る忍さんはいつもうつむいていて、その硬い表情が気になりました。「笑ったらすごくすてきな顔をするんだろうな」「笑顔を撮影することができたらいいな」。そんな思いも頭をめぐりました。

前日に独自の捜索で車の一部を発見した大和晃さんの両親らが県庁を訪れ「納得できる捜索を」と要望した=2016年7月25日午後、熊本県庁、金子淳撮影
前日に独自の捜索で車の一部を発見した大和晃さんの両親らが県庁を訪れ「納得できる捜索を」と要望した=2016年7月25日午後、熊本県庁、金子淳撮影 出典: 朝日新聞

手がかりを求めて

 被災地で長期にわたる取材をするのは初めてです。東日本大震災の直後に5日間、現場を歩きましたが、何の役にも立てなかった。なので、熊本地震の報道では、絶対後悔しないことを自分の目標にしました。

 その日はちょうど、本震から3カ月の7月16日。両親と知人らが崩落した阿蘇大橋から下流約5キロの河原を捜索するのに同行できました。天気は曇りで蒸し暑く、動くとすぐ汗が出始めたことを覚えています。

安否不明のままの大和晃さんの手がかりを捜す父親の卓也さん=2016年7月16日午後、熊本県大津町、福岡亜純撮影
安否不明のままの大和晃さんの手がかりを捜す父親の卓也さん=2016年7月16日午後、熊本県大津町、福岡亜純撮影 出典: 朝日新聞

 降り続いた雨で、現場の白川は茶色くにごって水かさが増していました。至る所で白波がたつほど流れも速い。忍さんはひとり離れて、ひざをついて砂地を掘っていました。

 離れてカメラを構えました。邪魔をしたくなかったのと、望遠レンズの圧縮効果を使って、濁流と忍さんを対比させるように撮影したかったからです。

 顔をあげた忍さんの空(くう)を見つめる目は、疲れたようにも途方に暮れているようにも見えました。2度、シャッターを切りました。

「だから2人で探してたんだ」

 10月に入って、一家を訪ねました。
 自分たちで捜索を始めた時の気持ちを「このまま晃の存在が打ち消されていってしまう。連れて帰りたいの一心でした」。2人はそう語りました。

 初めは長靴で河原を歩いていたのが、大きな石で滑って足をいためそうになり、トレッキング用の靴を買ったそうです。河原までの急な坂を下りるために、登山用のロープと革手袋、ハーネス、カラビナなども、インターネットで調べながらそろえていったということでした。

大和晃さんの捜索を続ける捜索隊。岩の間から見える黄色い車の中から「人らしきもの」が確認された=2016年8月10日午後、熊本県南阿蘇村、森下東樹撮影
大和晃さんの捜索を続ける捜索隊。岩の間から見える黄色い車の中から「人らしきもの」が確認された=2016年8月10日午後、熊本県南阿蘇村、森下東樹撮影 出典:朝日新聞

 川沿いの家には一軒一軒、情報提供を求めました。地震の起こる直前に、晃さんの車の後ろを走っていたらしいドライバーも見つけ出しました。

 車が転落したとみられる場所が絞り込まれていく一方で、大雨の梅雨が忍さんを追い詰めていきました。「流れが急になった川を見て、『晃の体は(粉々になって)形がなくなっているかもしれない』とか『このまま流れに身を投げたら晃の元に行ける』とあきらめかけたことも正直ありました」

 卓也さんは「だから1人にできなくて2人で探してたんだ」と教えてくれました。

大和晃さんの遺体を収容し捜索現場を離れるヘリを見送る家族=2016年8月11日午後、熊本県南阿蘇村、後藤たづ子撮影
大和晃さんの遺体を収容し捜索現場を離れるヘリを見送る家族=2016年8月11日午後、熊本県南阿蘇村、後藤たづ子撮影 出典: 朝日新聞

花々に囲まれて

 晃さんの遺骨と遺影は、仏壇の前で、にぎやかにトルコキキョウやキク、コチョウランに囲まれていました。日に3回、家族と同じ食事をお供えにするということで、この日の晩は、煮物とご飯、みそ汁という献立でした。

 忍さんは、晃さんが家に戻ったことが喜ばしく、捜索に関わった多くの関係者への感謝を口にしたあとで、「まだ死を受け入れられません。生き地獄です」と声を震わせました。

 「晃に向かって、まだ(心から)手を合わせられなくて。お葬式や法要で形としてはそうしても、どうして我が子にって。供養してあげなきゃ、声に出して話しかけてあげなきゃと思うんだけど」

自宅に置かれた大和晃さんの遺影と遺骨。たくさんの花に囲まれていた(香典袋にモザイクをかけています)=2016年10月3日午後、熊本県阿蘇市、福岡亜純撮影
自宅に置かれた大和晃さんの遺影と遺骨。たくさんの花に囲まれていた(香典袋にモザイクをかけています)=2016年10月3日午後、熊本県阿蘇市、福岡亜純撮影

 忍さんはこの日から休職していた仕事に復帰していたそうです。「『そろそろお仕事に行かなんとよ』って晃に言われるような気がしていました。『お母さん、なんしよっと』って。でも催促するような子じゃないから、じっと近くにいてくれているような気がして」

 息子のしぐさや、優しかった性格を話すとき、忍さんは目にいっぱい涙をためながら、笑顔をみせてくれました。

この記事は10月8日朝日新聞夕刊(一部地域9日朝刊)ココハツ面と連動して配信しました。

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