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古書「童貞の機関車」、過激広告で話題 著者は実はすごい人
昭和5年発行の「童貞の機関車」(著者・島洋之助)という古書が、ネットで話題を呼んでいます。きっかけは、ツイッターに投稿された、当時のこの本の広告。「見よ!貞操の洗濯場を爆進する童貞の機関車の英姿!」などと斬新なあおり文句が次々繰り出されています。謎ばかりの本の正体を探りました。
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昭和5年発行の「童貞の機関車」(著者・島洋之助)という古書が、ネットで話題を呼んでいます。きっかけは、ツイッターに投稿された、当時のこの本の広告。「見よ!貞操の洗濯場を爆進する童貞の機関車の英姿!」などと斬新なあおり文句が次々繰り出されています。謎ばかりの本の正体を探りました。
昭和5年発行の「童貞の機関車」(著者・島洋之助)という古書が、ネットで話題を呼んでいます。きっかけは、ツイッターに投稿された、当時のこの本の広告。「見よ!貞操の洗濯場を爆進する童貞の機関車の英姿!」と勢いのある一文から始まり、「乳房の手榴弾」「素足の砲列」と斬新なあおり文句が次々繰り出されています。ジャンル不明、筆者は何者? 謎ばかりの本の正体を探りました。
5月1日、ツイッターに「昭和6年の本に載ってた広告」が投稿されると、瞬く間に話題になりました。
「童貞の機関車」。この書名だけでも不可解なのに、続くあおり文句は激しく脳みそを揺さぶってきます。
「飢餓と貞操の対峙、生活と性欲の争闘」
「乳房の手榴弾、素足の砲列、アルコールの嵐、ウヰンクの煙幕を衝いて猛進!猛進!」
広告から内容が全く想像できません。
ネット上でも「インパクトはすごい」「カストリ雑誌かしら」「定価1円50銭のラノベか」と、驚きと戸惑いが広がりました。
見よ!! って言われても。
— 松田洋子 (@matuda) 2016年4月30日
昭和6年の本に載ってた広告 pic.twitter.com/FP4LIyUaQB
ネットで話題になったからでしょうか。一時は古書店に在庫があったようですが、売り切れています。
しかし、図書館を調べると、国会図書館や東京都立多摩図書館などに所蔵され、読むことができます。
表紙にはタイトル通り、機関車の絵。広告と同じくどれだけ過激な内容なのか・・・とページをめくると、どうも様子がおかしいことに気づきます。
全体が「踊る素脚-亜米利加編-」「頰笑む乳房-欧羅巴編-」「歎く心臓-雑編-」の3章に分かれ、さらに数ページずつの小話に分かれています。
たとえば冒頭の小話「奇怪な遺品」は、シカゴを散歩していた「私」が、古い札入れを拾う場面から始まります。札入れには「あなたのリアン」と女文字で書かれた封筒が入っていて、中から縮れた褐色の毛が40~50本ほど出てきました。「私」は、女性が別れ際に髪の毛を送るのは日本でもよくあること・・・と一度は納得しますが、後から「髪の毛でも、腋(わき)の下の毛でもなかった」と気づくというオチ。
「水中眼鏡」という小話は、「夏のエロの最先端を行くものは、何と云っても、海水浴場である」と威勢良く始まり、期待をあおります。さらに水中から女性の泳ぐ姿を見上げて「脚!脚!脚!」と喜ぶところまではよかったのですが、直後に飛び込んでくるのは「(百二十文字削除)」の文字。
当時、風俗を壊乱させる表現は国が検閲したり、出版社が自主的に削除したりしていました。「脚!脚!脚!」のあとに何が起きたのか、非常に不完全燃焼です。
全編を通して「むっつりスケベ」な登場人物たちが、想像力も駆使しながら、ちょっとしたお色気を楽しむ展開が続きます。過激な言葉が並ぶ広告は「やや盛りすぎ」の印象があります。
むしろ気になるのは、全496ページを、欧米各国の文化風俗を交えて書ききる知識と筆力です。
著者の島洋之助氏とは、何者なのでしょうか。
その歩みは島氏が、1938年(昭和13年)に編集した「県人名鑑 人材・島根」に詳しく書かれています。
本名は岡垣義忠。1895年(明治28年)、島根県生まれ。日本歯科医学専門学校を卒業後、台湾総督府の医員として勤務しています。1927年(昭和2年)に渡米し、米ヒューストン大学や独ベルリン大学で学んだあと、欧州各国を見て回って2年後に帰国したといいます。
「童貞の機関車」の広告に「ドクトル 島洋之助」とあるのは、歯科医だったため。そして、同書に書き込まれた欧米の文化風俗も、島氏が実際に見たものであろうことが分かります。
帰国後、島氏は名古屋に移住。文筆活動に励みながら、おでん屋を開きます。田んぼに囲まれた家を借り、35歳で書き上げたのが「童貞の機関車」でした。
しかし、島氏の名前は、別の仕事によって名古屋で今も語り継がれています。当時人口100万人規模となった名古屋を歩き回った、ルポルタージュ本「百萬・名古屋」を1932年(昭和7年)に出版したのです。
この書籍は当時の文化・経済・政治が生き生きと描写され、近年になって再評価が進みました。2012年、市民有志が資金を出し合って、なんと復刻されています。「勢いづく名古屋を支えていた『時代の精神』を感じさせてくれる本」と高く評価されています。
その後、島氏は郷里の島根県でも活躍。月刊郷土誌を主宰し、前述の「県人名鑑 人材・島根」を出版しています。
実物を確認できた最後の文章は、1953年11月の「小説新潮」にありました。島氏は「島根県観光連盟 事務局長」の肩書で登場。「お国自慢 島根風土記」と題した文章を寄せています。当時、島氏は58歳。島根県観光連盟にも島氏について尋ねましたが、さすがに「古い時代のことで、分かる人がいない」とのことでした。
島氏は「県人名鑑 人材・島根」の中で、自らを「文名島洋之助として本邦有数の特異文芸家として知られる」と記し、「童貞の機関車」をはじめとする著作に手応えを感じていたことを、うかがわせています。
医師、ルポライター、おでん屋と、多彩な顔を持っていた島氏。「童貞の機関車」の混沌とした内容は、島氏の多才さが表れた結果だったのかも知れません。
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