感動
追悼の日、載らなかった笑顔の写真 「夢でいいがら会いでえなあ」
今年の3月11日、岩手、宮城、福島の被災地で取材した朝日新聞のカメラマンは18人。撮影した写真は総計1万枚を超え、パソコンで本社に送稿されたのは、350枚近く。東京本社最終版の朝夕刊紙面(地域面は除く)に掲載されたのは22枚だった。3・11という悼む日には、紙面に載らなかった笑顔の1枚がある。新聞には載らなかった、こぼれてしまった、写真部員の「心の一枚」です。(朝日新聞名古屋報道センター・小川智)
墓参りが済んで、撮影も終えようとした時、佐藤富士夫さん(67)が脚立の前に来て、末の孫の和(のどか)ちゃんを抱きかかえ、空を仰いだ。「杏慈(あんじ)、帆高(ほだか)、おばあさん、見でっか」。その一瞬を切り取った。
撮影場所は宮城県石巻市北上町十三浜。山の斜面に古くから集落の墓地があり、北上川が太平洋に注いだ追波(おっぱ)湾の海が見える。
富士夫さんは、妻と孫2人を津波で失っている。和ちゃんは、この日、1歳の誕生日を迎えた。
「和がお嫁さんになる姿を見るまで、がんばって生ぎますよ」
富士夫さんと出会ったのは東日本大震災から1年が経とうとしていたころ。追悼復興行事を取材した際、会場の向かいにあった仮設住宅の自治会長を務めていたのが富士夫さんだった。「今も3人の遺影をふとんに入れて寝でる。夢でいいがら会いでえなあ」
写真でも一緒に添い寝したい。その言葉に、家族を失った悲しみを思った。石巻をたずねるたび、三男とふたりで暮らす仮設住宅に会いに行くようになった。妻が孫2人に作っていた甘い卵焼きを毎朝自ら焼き、仏前に供えていた。
「俺ぐらい墓さ行ってる人は誰もいねべ」。墓石の隣には、昨秋からパンジーやビオラの花文字で3人の名前を描く。
花畑にしないのは天国から見てほしかったから。文字がちゃんと読める写真にしたくて、5段の脚立の上からカメラを構える記者に富士夫さんはいった。「来年はもっと耕して、肥料やって、いい花つぐりでなあ」
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