載らなかった1枚の写真 「追悼の日」の笑顔
亡くなった妻の成子さんと孫の帆高君、杏慈ちゃんの写真(奥)が置かれた仮設住宅の室内で話をする佐藤富士夫さん=1月14日、宮城県石巻市北上町、小川智撮影
亡くなった妻の成子さんと孫の帆高君、杏慈ちゃんの写真を枕元に置いて眠る佐藤富士夫さん。震災前の1年ほど、ほぼ毎日2人の孫は富士夫さんと成子さんと同じ布団で寝ていた。枕元の写真と一緒に寝る生活は3年ほど続いた=2012年2月26日、宮城県石巻市北上町、小川智撮影
亡くなった妻の成子さんと孫の帆高君、杏慈ちゃんが眠るお墓(中央奥)の前の畑にパンジーとは別にカラシナで描いた「せいこ、ほだか、、あんじ」の名前=1月14日、宮城県石巻市北上町、小川智撮影
花文字の前で孫の和ちゃんを抱きかかえる佐藤富士夫さん=2016年3月11日午後2時51分、宮城県石巻市北上町十三浜、小川智撮影
亡くなった妻の成子さんと孫の帆高君、杏慈ちゃんが眠るお墓を前に手を合わせる和ちゃんと佐藤富士夫さん=3月11日午後、宮城県石巻市北上町、小川智撮影
亡くなった妻の成子さんと孫の帆高君、杏慈ちゃんへの墓参りを終えた佐藤富士夫さんと和ちゃん(右奥)。手前は富士夫さんがパンジーとビオラの花(手前)と野菜のカラシナ(奥)で亡くなった妻の成子さんと孫の帆高君、杏慈ちゃんの名前を書いた文字=3月11日午後、宮城県石巻市北上町、小川智撮影
亡くなった妻と孫2人を悼むため、墓石に手を当て、ほぼ毎日お参りしているお墓(右端中段)。その左隣の佐藤さんの畑に3人の名前をパンジーやカラシナで書いた文字がある。まだ生え始めたカラシナを守るため、富士夫さんはブルーシートを開いてかけていた(左端)=1月14日、宮城県石巻市北上町、小川智撮影