感動
「日本一短い手紙」、引退した仕掛け人の思い 今年も大賞5編を発表
福井県坂井市の丸岡文化財団が、日本一短い手紙のコンクール「一筆啓上賞」の入賞作品を発表しました。
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福井県坂井市の丸岡文化財団が、日本一短い手紙のコンクール「一筆啓上賞」の入賞作品を発表しました。
福井県坂井市の丸岡文化財団が、日本一短い手紙のコンクール「一筆啓上賞」の入賞作品を発表しました。かつて「日本一短い『母』への手紙」として出版された本がベストセラーになり、映画化もされたコンクールで、今回で23回目を迎えました。これまでに寄せられた手紙は128万通。町おこしとして始まり、すっかり全国規模となったこの企画の仕掛け人で、昨夏に財団を退いた大廻(おおまわり)政成さん(65)に、今の思いを聞きました。
1月29日に発表されたのは23回目の入賞作。テーマは「うた」で、国内外から2万7657通の応募がありました。大賞は次の5編です。
「おかんへ」を書いた大丸さんと、「おばあちゃんへ」の宮本さんは福井県内の高校に通う高校1年生です。
コンクールが始まったのは1993年。合併前に丸岡町だったころ、短い手紙文のコンクールで町おこしを図ろうと企画されました。
なぜ手紙だったのか? 徳川家康の忠臣・本多重次が、息子の「お仙(丸岡城主になった本多成重の幼名)」を大切に育てて欲しいと、陣中から妻に書き送った短い手紙文「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」にちなんでいるそうです。この文章は、要件を簡潔明瞭に伝えた手紙の手本と言われています。
5000通も応募があればいい、というのが周囲の予想でしたが、ふたを開けると海外18カ国を含め3万2236通が寄せられました。入賞作をまとめた本「日本一短い『母』への手紙」はベストセラーになり、テレビドラマや映画化もされ、丸岡町の名は全国に広く知られることになりました。
昨年8月には、地元に「一筆啓上 日本一短い手紙の館」がオープン。歴代の入賞作品が、文字が滝のように流れる特殊な映像として紹介されています。
コンクールを発案したのが、町職員だった大廻さん。昨年まで財団の常務理事兼事務局長を務めていましたが、腎臓の機能が悪化したため退職。現在は全国で講演活動などをしています。
地元の高校を卒業後、東京の大学に入りましたが中退。アルバイトを転々とした後、町職員になりました。教育委員会の主査だった91年、町長に町おこしのプランを頼まれ、「日本一短い手紙」を思いついたそうです。
自身も大学受験で浪人をしていた3年間、東京の下宿から郷里の母に100通近い手紙を書き送りました。そのほとんどに金を無心する一言が書かれていたそうです。67歳で亡くなった母の遺品の中からは、すべての手紙が油紙に包んで大事にとってありました。
その4年後、郵便局員だった父も亡くなりました。25年間続けていた日記には、自分の名前が毎日のように出てきたそうです。
なぜコンクールがこんなにも長く続いているのか? 大廻さんは「最初のうちは、長くても10年ぐらいかなと思っていました。40文字以内という短い手紙だからこそ、思いが込めやすいんでしょうね」と話します。
毎年テーマを決めて募集していますが、テーマ選びに関しても「心に響いて染みるものを」と意識してきたそうです。コンクールのこれからについては「投稿を受ける側が、投稿者の心を受け止めている限りは大丈夫」と話します。
最後に、大廻さんが日本一短い手紙を書くとしたら、誰にどんなテーマで書くのかを聞くと、こんな答えが返ってきました。
「担当している間、応募のあった120万通以上のすべてに目を通してきました。できることなら、いつの日にか、そのすべてに対して『ありがとう』と返事を送りたいです」
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