IT・科学
松浦弥太郎さん「ウェブに嫉妬していた」 カリスマ編集長転身の理由
50歳を目前にデジタルの世界に飛び込んだ松浦弥太郎さん。毎日3回、朝昼晩のあいさつを音声付きで発信するなど、独自の取り組みを重ねています。
IT・科学
50歳を目前にデジタルの世界に飛び込んだ松浦弥太郎さん。毎日3回、朝昼晩のあいさつを音声付きで発信するなど、独自の取り組みを重ねています。
50歳を目前にデジタルの世界に飛び込んだ松浦弥太郎さん。老舗雑誌「暮しの手帖」の編集長から、クックパッドが運営するウェブマガジン「くらしのきほん」を立ち上げて半年がたちました。毎日3回、朝昼晩のあいさつを音声付きで発信するなど、独自の取り組みを重ねています。
それまでデジタルとは縁がなかったという松浦さんは、転身の動機について「自分が何に嫉妬しているか、わくわくしているか、考えた時、思い浮かんだのがウェブサイトだった」と語ります。
きっかけの一つがスマホでした。
「朝起きて新聞を読む前にiPhoneを見ますから。その時点で自分の中の変化を感じました。それなら、世の中のユーザーはもっと変化しているはずだと」
紙からデジタルへ移ることに対して不安はなかったのでしょうか? 松浦さんは「自分の中では、そんなに大きなことだとは思っていない」と言い切ります。
「今まで三輪車に乗っていたのが、自転車になるくらいの感覚でしょうか」
18歳で渡米した松浦さんは、現地の美術館や本屋を巡る中で身につけた知識や感性を生かし、帰国後は洋書専門の古書店を手がけます。文筆家としては、自身が大事にする「ていねいな暮らし」についての考えをエッセーなどで伝え、愛用品をまとめた本なども出版してきました。
「暮しの手帖」は、名物編集長だった故花森安治さんの強烈な個性の元、一時代を築きました。消費者運動のきっかけとなった「商品テスト」をはじめ、安保闘争の時代には反戦の特集もした老舗の雑誌です。
2006年10月に編集長を引き継いだ松浦さんは、日々の生活の中で、ちょっとまねをしたくなるようなセンスのある人を取り上げるなど、新しい風を吹き込みました。
雑誌「ポパイ」で育ち米国に渡った松浦さんが手がける「ていねいな暮らし」は、若い読者を増やすきっかけになりました。
ウェブマガジン「くらしのきほん」は、料理を中心に、掃除の仕方や道具の紹介記事などが並びます。アップ気味の写真が多く、インスタグラムやピンタレストのような雰囲気で統一されています。
特徴の一つが朝昼晩のあいさつです。松浦さんが文章で語りかけます。音声もついてます。夜限定のコラムもあり、背景色を時間によって変えています。
「ウェブメディアにも人格が必要だと思うんです。毎日会いたくなる友達のような」。あいさつの狙いには、松浦さんのデジタルに対する独自の解釈が表れています。
このあいさつ。一見すると、糸井重里さんが主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」の「今日のダーリン」というコラムに重なります。
ただし、「ほぼ日」が多彩なゲストとの対談などで変化に富んでいるのに比べると、「くらしのきほん」は一定の温度を保った静かな印象です。
大きな画像と原稿用紙1枚程度の文章に、1分くらいの動画と材料などの実用的な情報という、統一感のあるフォーマット。「暮しの手帖」のエッセンスと、文筆家としての松浦さんの言葉をウェブサイトに最適化したような作りになっています。
話題のゲストも出てきませんし、松浦さん自身の写真もありません。それでも、「くらしのきほん」らしさがにじみ出るようなデザインに仕上がりつつあります。
「数字やユーザーの反応は常に見ています。紙と違って、ウェブは過去の記事もすぐに直せる。それがありがたい。そこは疲れない」
デジタルの世界とは無縁だった松浦さんですが、自身の「こだわり」がダイレクトに再現できる世界との相性の良さを感じています。雑誌のように締め切りのない世界は、24時間365日ユーザーに向かい合わなければならない面もありますが、ストレスに感じることはないそうです。
紙にはできないインタラクティブなやり取り。改善点は気づいた時に対応できるリアルタイム性。それらを松浦さんは「最新型のモビルスーツを手に入れたようなもの」と表現しました。
2015年12月25日、「くらしのきほん」は、ウェブ上のセレクトショップ「くらしのきほんストア」をオープンしました。
過去にはスタイリストの伊藤まさこさんと、自身がすすめる雑貨などを紹介する本を出版したこともある松浦さん。
「くらしのきほんストア」では、松浦さんお気に入りのアイテムが印象的な写真・文章とともに紹介されています。
例えば「レクタンギュラー タッチバーカン」というゴミ箱の紹介写真は、床に置かれたシンプルな絵画と彫像が組み合わされた構図です。
「ずっとゴミ箱を探していましたが、やっと気に入るものを見つけました」。
商品にはそんな、松浦さんの文章が添えられています。このゴミ箱、価格は2万円を超えます。一見、高価に見えるこの商品。写真や松浦さんの言葉から生まれる世界観によって、価格比較サイトや口コミ情報がリスト化された他の通販サイトにはない、「なじみの店員から買うような」新しい価値を生み出しています。
現在、7割から8割のユーザーはブックマークなどから直接、サイトに訪れているそうです。そのうち2割ほどはインスタグラムなどのSNSです。
アプリがないため、インスタグラムをコンテンツの更新と同時に投稿。アプリのプッシュ機能の役割を持たせるなど、最新のツールも柔軟に取り入れています。
クックパッドと「くらしのきほん」の役割分担も明確です。投稿された膨大なレシピ情報を整理し、ユーザーが欲しい料理情報を検索で探せるサービスで急成長したクックパッド。対する「くらしのきほん」は、ユーザーが具体的な何かを知りたくて訪れるわけではありません。松浦さんのセンスに触れたくてアクセスしてきます。
松浦さんは「今はロードマップの最初の段階」と言います。
今後は、サイトとしての規模を大きくしながら、今ある「くらしのきほん」の世界観を守ることができるのかが、問われてきそうです。無料で情報を発信しながら、ビジネスとして成立させるための収入も求められます。
「ユーザーとのコミュニケーションをとれるような仕掛けを試していきたい。マネタイズについても、誰もやっていなかった新しいものを生み出したいですね」
1/18枚