コラム
ばびろんまつこ 私たちは誰でも心に「彼女」を飼っている 北条かや
セレブ生活と詐欺事件で話題を集める「ばびろんまつこ」。なぜ注目されるのか。ライターの北条かやさんは「誰でも心に彼女を飼っている」と言います。
コラム
セレブ生活と詐欺事件で話題を集める「ばびろんまつこ」。なぜ注目されるのか。ライターの北条かやさんは「誰でも心に彼女を飼っている」と言います。
「セレブ生活」とその後の詐欺事件で注目を集めているツイッターアカウント「ばびろんまつこ」。ライターの北条かやさんは、自身のナルシシズムを客観的に140文字で表現できる「頭の良さを感じた」と言います。そして、「私たちは誰でも、心のなかに『ばびろんまつこ』を飼っている」と指摘します。なぜここまで、ネット上の関心を引くのか。北条さんに聞きました。
「偽ブランド詐欺女『ばびろんまつこ』の虚飾生活」、「ネットの有名人『ばびろんまつこ』の正体 詐欺で逮捕、かつては大手ITの美人広報?」――10月末、ある女性(26)が、高級ブランド「カルティエ」の偽物をネットオークションで販売したとして、逮捕された。
その女性の本名は、あえてここでは言わない。ただ、ネットでは容疑者が「ばびろんまつこ」なる「”キラキラ女子” ツイッターアカウント」ではないかとの噂が盛り上がり、炎上中だ。テレビ番組も追随し、容疑者女性と「ばびろんまつこ」のプロフィールを比べて検証するという「お祭り騒ぎ」が繰り広げられている。
11月上旬になっても、騒ぎは収まりそうにない。もし、ネットオークション詐欺の容疑者女性と、「ばびろんまつこ」が同一人物であるとしたら……私は、たくさん、たくさん、彼女と話したいことがある。
鳥しきや
嗚呼鳥しきや pic.twitter.com/LQDw1SkRCh
— ば び ろ ん まつこ (@matsuko1223) 2015, 10月 27
事件発覚後、「ばびろんまつこ」さんのツイッターアカウントには一気に万単位のフォロワーがつき、11月11日現在で約2万7000人まで増えた。私は、彼女がまだフォロワー数千人の頃、「ばびろんまつこ」にフォローされていることに気づき、嬉しかったのを覚えている。
「ばびろんまつこ」がフォローしている人数は、たった169人なのだ。その1人に自分が入っており、時々ツイートを見られていると思うと、妙な高揚感があった。
どうして彼女は、私をフォローしてくれたのだろう。私はどちらかといえば、「ばびろんまつこ」のような、都会的で恋愛的でセクシャルなキャラではなく、「こじらせ女子」と揶揄され、「女」との距離感を測りかねているタイプだ。彼女のように「女」を謳歌している「キラキラ女子(※とネットでは言われているが、個人的には「ギラギラ女子」だと思う)」とは正反対だ。それでも「北条かや」という存在に、「ばびろんまつこ」が何らかの興味を持ってくれたのかと思うと、嬉しかった。
というのは、彼女のツイートから、女を楽しむ華やかなセレブ生活が楽しくて仕方がない! 自慢したい! という悦びとナルシシズムと、ちょっぴりの「男性嫌悪」を感じたから。そして、その感情を客観視し、140文字へと昇華させる頭の良さを感じたからだ。
今宵はいつになくブランデーの気分。
珍しいレパントがあったので少しいただいてます。 pic.twitter.com/u1QMZY7ZFT
— ば び ろ ん まつこ (@matsuko1223) 2015, 7月 8
事件発覚後、彼女のツイートを遡ってみた。高級ブランドのバッグを色違いで購入したり、料亭や海外のリゾートへ出かけたり。およそ「普通のOL」ができる生活水準ではない。それらの様子は、たまにセクシーな胸元や脚の写メと共にアップされる。彼氏はいないが、男性には困っていない、というようなツイートもあった。
「私はセクシーで貢がれたりもするけれど、男には媚びない。媚びなくてもあちらから寄ってくるから」そんな雰囲気がある。憧れる人も多かったろうが、「なんだこいつ、女を売りにしてズルい」と思った人も多かっただろう。「それみたことか、やっぱりこんな女が、楽してセレブ生活をするなんて、犯罪でもおかさない限り無理だったのだ」「化けの皮が剥がれて、彼女は今どれだけ苦しんでいることだろう」と、ほくそ笑むような感情が、あちこちから噴出している。
恒例の「どちらも欲しいならふたつとも手に入れたら良いじゃない」シリーズ。
買ったもの全く使うシーンがないヴァレンティノのロックスタッズ。
買ったのに使われないのは可哀相だから、使ってくれる人に譲ろう。 pic.twitter.com/ZwgjtK9rHL
— ば び ろ ん まつこ (@matsuko1223) 2015, 6月 21
2年ほど前から彼女のツイートを見ていたが、彼女がこんなにも豪華な生活をアップし始めたのは、そう昔のことではない気がする。少なくとも私が、「ばびろんまつこ」にフォローされたと気づいた頃は、ここまでの頻度ではなかった。あからさまなセレブ投稿が増えたのは、彼女が「転職した」とツイートしていた昨(2014)年7月頃からではないかと思う。もちろんすべて憶測だが、「ばびろんまつこ」のなかで、何か変化があったのかもしれない。
転職してからというもの、今まで以上に飲みに誘われる回数が多くなった。それは私ではなく私のいる会社に惹かれているからだということを忘れてはならない。
かつてわたしの愛した男たちが、私ではなく私の胸や穴を愛したように。
ごく稀にだが人はこのような現象を才能と呼ぶ。
— ば び ろ ん まつこ (@matsuko1223) 2014, 7月 4
今年に入ってからは、ツイートに変化がみられた。お金持ちの男性からの援助で成り立つ(と演出される)セレブ投稿の数々に混じって、「(略)セックスは気持ち悪くていやだなあ、婚前契約に盛り込まないとなあ、とぼんやりと考える金曜の午後。」など、「セックスは嫌い」というツイートが目立つようになった。
もし仮に結婚してある日主人が激しく求めてきたら
「そういうのはお外で済ませてきていただけますか」
と冷たく言い放ちたいなあ、
セックスは気持ち悪くていやだなあ、
婚前契約に盛り込まないとなあ、
とぼんやりと考える金曜の午後。
なお結婚の予定は未定。
— ば び ろ ん まつこ (@matsuko1223) 2015, 6月 19
「男」は好き。自分を承認してくれるから。でも、セックスは嫌なのだ。かつて、ラディカル・フェミニストのドウォーキンは、「性関係はすべて性差別である」と言い放った。
ここでその主張に立ち入ることはしないが、性愛の関係になってしまうと、女は(男もそうかもしれないが)相手に媚びなければならない。男の前にひれ伏して女性器をさらけだし、「負け」のポーズを取らなければならない。そこに快感を覚える女もいるだろうが、「ばびろんまつこ」は違った。「私は絶対に、特定の男にすがって媚態をとるのはイヤ。性的な女としてではなく、純粋な『女の記号』として存在したいのよ」という感情が、ツイートからは感じられる。
セックスにおける「支配-被支配関係」から逃れることができれば、「女としての『ばびろんまつこ』」は完全に、男から貢がれる存在として、強者のままでいられる。どこかで相手に媚びなければ成り立たない性愛関係を抜きにして、偶像崇拝のように男から崇(あが)められる「女」になることができるからだ。まさに偶像=アイドルである。
梅雨は湿気が多うて巻きが取れるさかい嫌おす> < pic.twitter.com/8zJ0S8HpYG
— ば び ろ ん まつこ (@matsuko1223) 2015, 7月 1
「ばびろんまつこ」はこうして、アイドルになった。少なくともツイートの世界の中では。男からたくさん貢いでもらい、豪華なセレブ生活を満喫しながら、決してセックスはさせない。私の「女」には、それだけの価値があるからだ。セックスさせてあげなくても、男は寄ってくる。「私」という偶像=アイドルに惚れ込んで――。彼女は、そんな「最強の私」に、どんどん没入していっているようにも見えた。そして、当の事件が発覚した。
楽してセレブな生活を送り、ちやほやされたい。そして、それを自慢したいという思いは、多くの人がもっているものだと思う。だからこそ、メディアはセレブタレントの生活を報じ、女性誌は特定のセレブを「理想」として、消費のロールモデルにさせる。
彼女にはなれなくても、近づける。そう思っているとき、女たちの心中には、「あんな風になった私」というナルシシズムが、ふつふつと生まれては溶ける。そうなのだ。私たちは誰でも、心のなかに「ばびろんまつこ」を飼っている。
あんな風に、美貌だけで男を惹きつけ、楽して豪華な生活ができたら……すべての女性がそう願っているとは言わないが、たとえば童話の『シンデレラ』だって、結局は「男から偶像として崇められ、玉の輿にのって幸せ」という物語ではないか。そこに(結婚後の生々しい生活を含め)セックスの臭いはない。
ディズニーの『シンデレラ』は、セックス抜きにした、綺麗な「女の記号」に男が大枚をはたいて幸せ、というストーリーだ。セックスにおける「支配-被支配関係」さえなければ、ある種の女は「お姫様」になれる。そのナルシシズムの誘引力たるや……。
そして引き続き「どちらも欲しいならふたつとも手に入れたら良いじゃない」シリーズ。今回は知らず知らずのうちに集まったフェンディのピーカブーたち。
使わないのを減らして半分にしよう。 pic.twitter.com/IwTomqMUIm
— ば び ろ ん まつこ (@matsuko1223) 2015, 7月 3
もし、ネットオークションの事件が真実だとしたら、彼女はひとり、そのナルシシズムを飼い慣らし切れなかったのかもしれない。そして私たちもまた、心のなかに「ばびろんまつこ」を飼っているからこそ、ナルシシズムに溺れてしまった彼女をみて、我が危うさをも感じてしまうのではないか。
少なくとも私は今回の件で、自分の心中にも「ばびろんまつこ」がおり、彼女と同じように、ナルシシズムに溺れそうになる瞬間があることを自覚した。ただ、それを実現する「資源」がないだけだ。できるなら、彼女と会って色々話してみたい。
そういえば、彼女は以前、フォロワーから「まつこさんの人生の目的はなんですか?」と聞かれ、次のように答えていた。「――世のあらゆる煩悩を果たすこと」。彼女の煩悩は、ナルシシズムの別称だったのかもしれない。
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