MENU CLOSE

エンタメ

かわいすぎる元男子「オネエ系以外もいるんだよ」世界一を目指す理由

ニューハーフの世界大会で優勝に出場する、「元男子」のさつきさん。彼女が彼女になるまでの物語と、世界一を目指すワケ。

さつきさん=2014年9月、東京・新宿2丁目の「女の子クラブ」、中村風詩人氏撮影
さつきさん=2014年9月、東京・新宿2丁目の「女の子クラブ」、中村風詩人氏撮影

目次

 国際的なニューハーフのコンテスト「ミス・インターナショナル・クイーン」が11月6日、タイで開催される。2013年大会で入賞したさつきさんは、2年ぶりの再挑戦で優勝を目指している。もう一度世界一を目指すさつきさんに、その理由を聞いた。

【PR】「あの時、学校でR-1飲んでたね」

「黒いランドセルが嫌だった」

 ――自分の性別に違和感を抱いたきっかけは何だったのでしょうか。

 小さい頃から違和感はありました。小学校に入学する時に、黒いランドセルしか選べなかったんですね。母からは「男の子なんだから当たり前でしょ」と言われて。ものすごく嫌だったことを、強烈に覚えています。

 13、14歳ぐらいの時は、ピンクの服とかカーディガンとか、レディースものでシルエットのきれいな服をよく着ていました。今でいうユニセックス・ファッションですね。華奢だし、色白だし、非力だし、ひょろっとしていたので、いじめられたこともあります。つばを吐きかけられたりだとか。後で調べてわかったんですけど、私、男性ホルモンが通常の半分以下しかなかったんです。

「ミス・インターナショナル・クイーン」に出場する、さつきさんの自己紹介動画 出典: 「ミス・インターナショナル・クイーン」の公式サイト

 ――「女の子になりたい」と意識し始めたのは。

 16歳の時ですね。名古屋の共学の高校で、男子は学ランだったのですが、一人だけ特例で認められて、着ずに過ごしてました。「言っても聞かないからしょうがない」って感じだったんだと思います。

 その頃から女性ホルモンを打ち始めたんです。本当は未成年だと親の許可がいるんですけど、許してもらえるはずもないので、闇医者を探して注射してもらってました。割と法外なお金を取られたりして。

 長男だったこともあって母親がすごく厳しくて、いつも「男らしくしろ」と言われ続けていたんです。ほかの男の子が筋骨隆々になっていくなか、一人だけ肌がスベスベになって、胸も膨らみ始めて。親もおかしいな、と思っていたんじゃないかな。折り合いがつかなくなって、家を飛び出したんです。

さつきさん=2014年9月、中村風詩人氏撮影
さつきさん=2014年9月、中村風詩人氏撮影

「履歴書の性別は『男』にマルをした」

 ――どうやって生活していたのですか。

 3、4万円だけ握りしめて家を出たんですけど、ビジネスホテルに行ったら3日間で全財産なくなってしまった。バイトを紹介してもらって、友達の家を転々としてました。公園に寝泊まりして、ホームレスみたいな生活をしていた時期もあります。

 そんな生活を続けながらも高校には通って、名古屋の大学に進学しました。当時は「ニューハーフは水商売や性風俗しかできない」みたいな偏見が根強かった。そうした生き方を否定するわけではないのですが、イメージを変えたいという思いもありました。それで、大学に行って一般企業への就職を目指すことにしたんです。

 履歴書には男性の本名を書いて、性別も「男」にマルをしました。採用担当の人が興味を持って「会いたい」と思ってくれたら勝ちだなと。自信を持って堂々としていれば、きっと評価してくれるだろうという思いもありました。で、ダメ元で何社か受けたら、1社だけ引っかかった。面接でも正直にお話しして、内定をいただきました。

 ――どんな会社だったのですか。

 名古屋の広告代理店です。希望はウェブデザイナーだったのですが、「営業はどう?」と言われて営業職に配属されました。営業って会社の顔みたいなものじゃないですか。内勤を想定していたのでびっくりしましたが、いいと言ってくれるならどんな仕事でも頑張りたいなと思って。結局、そこで3年ほど働きました。実力主義の厳しい職場でしたけど、その頃に培ったスキルが今も役立っていますし、とても感謝しています。


 ――2013年にタイで開かれた「ミス・インターナショナル・クイーン」に出場しました。どういう経緯で参加することになったのですか。

 一つには、母親への思いです。私が6歳の時に両親が離婚しているんですけど、父親は長くタイに住んでいたこともあって、(女性として生きていくことに対して)寛容なんです。でも、母は全然認めてくれなくて。

 「きちんとした会社で、女性として、社会人として働いている」ということ伝えたくて、会社員時代に久しぶりに実家に帰ったんですね。私は自立して、一人前に働いている。これなら文句はないでしょって。ところが返ってきたのは「その病気はいつ治るの?」「男に戻る気はないの?」という言葉でした。しんどかったですね。

 社会人になってもダメなの? じゃあ世界大会に出れば認めてくれるんじゃないかって。母には反対されましたが、2012年に性別適合手術で身も心も女性になって、2013年にコンテストに出場しました。ケジメをつける意味で、勤めていた会社も辞めました。


「生まれて初めて認めてもらった」

 ――2013年のコンテストでは、4位という好成績を収めました。

 お陰で母と和解することができました。生まれて初めて認めてもらった気がします。「友達に自慢したい」と言ってくれたのがうれしかった。

 ――今回、再出場を決意したのはなぜですか。

 三つあります。最大の動機はシンプルで、1位になりたいからですね。前回4位に終わって、とても悔しい思いをしました。コンテストでは、人間性や社交性、気品や知性など、すべてが問われます。ポージングや足の角度から表情筋の動きまで、ミリ単位で審査される。アスリートのような世界です。次こそ優勝したいと、この2年間、ウォーキングやダンスなどの練習に打ち込んできました。

 二つ目は、やっぱり母親のためですね。4位入賞でかなり認めてくれたとは思うんですけど、まだ100%ではないのかなと。堂々と自慢できる成績を収めて、安心させてあげたいんです。

 三つ目は、少し大げさですけど、社会のためです。私が10代の頃は、性同一性障害という言葉が一般的ではなくて、世間の理解もまったくなかった。就職活動では落とされまくったし、性別適合手術をどこで受ければいいのかといった情報も不足していました。私がしてきたような苦労を、今の若い子たちにはさせたくありません。2009年に日本人で初めてはるな愛さんが優勝した時も、下の世代にすごくいい影響を与えたと思うんです。ひとりのアイコンの力って大きいですから。

さつきさん=2014年9月、中村風詩人氏撮影
さつきさん=2014年9月、中村風詩人氏撮影

「オネエ系以外の人もいるんだよ」

 ――バラエティー番組に出てくる、いわゆる「オネエ系」の人たちは、歯に衣着せぬ物言いで人気を集めています。

 でも、そういう人がすべてではない、ということは知っていただきたいですね。私、別に面白いこと言えないですし。バラエティー番組のオネエ企画でお声掛けいただくのですが、そうした理由で遠慮させていただくこともあります。

 「オネエ売り」という言葉があって。ショーパブに出ている友達も、お店ではオネエ言葉を使っていますけど、プライベートで彼氏と話す時は普通の女の子ですからね。


 ――期待されるニューハーフ像を演じている?

 演じているのかな。好きでやってるなら全然いいんですけど、あえて無理する必要はないのかなって。私から見ると、繊細で傷つきやすくて……という女の子も多いですし。

 私たち自身、オネエ系の方々が切り開いてくださった恩恵を受けているわけで、否定するつもりはまったくありません。ただ、それ以外の人もいるんだよ、ということですね。

 ――バラエティー以外に、女優やモデルといった方向性もあるといいですよね。

 ニューハーフやオネエというとバラエティーで活躍するタレントさんが中心ですが、本格的な女優やモデルという選択肢があってもいいと思うんです。すごく興味がありますね。
 
 とはいえ、何をするにしても肩書は大事ですから、そういう意味でも「世界一」を目指して頑張りたいなと思っています。 

関連記事

PICKUP PR

PR記事

新着記事

CLOSE

Q 取材リクエストする

取材にご協力頂ける場合はメールアドレスをご記入ください
編集部からご連絡させていただくことがございます