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山口組分裂 30年前にあった「山一抗争」とは? 25人死亡の惨事
分裂することがわかった国内最大の指定暴力団山口組。30年前に起きた「山一抗争」では暴力団関係者25人が死亡し、約70人が負傷しました。
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分裂することがわかった国内最大の指定暴力団山口組。30年前に起きた「山一抗争」では暴力団関係者25人が死亡し、約70人が負傷しました。
分裂することがわかった国内最大の指定暴力団山口組。警察が警戒するのが、分裂した組同士による衝突です。30年前、山口組と一和会が衝突した「山一抗争」では暴力団関係者25人が死亡し、約70人が負傷しました。
警察庁によると、2014年末時点の山口組の組員は44都道府県に計1万300人。準構成員らを含めると2万3400人います。警察当局への取材では、篠田建市(通称・司忍)組長(73)の出身母体である弘道会(名古屋市)に近い組織は残り、前の5代目組長(故人)の出身母体の山健組(神戸市)に近い組織が離脱します。
捜査関係者によると、離脱するのは山健組、宅見組(大阪市)など関西の組織が中心で、10団体を超える見通し。山健組は山口組内の最大組織で、2千人の組員がいます。離脱する組は「山口組」の名前をつけた新組織を結成する方針です。
「山一抗争」は、1985年1月、山口組の竹中正久・4代目組長が、対立する一和会系組員に射殺されたことで起きました。竹中組長は事件当日、京都市内の病院に入院中の故田岡一雄・三代目組長のフミ子夫人を見舞っての帰りで、犯人グループは、こうした竹中組長の動きを監視、犯行の機会を狙っていたとされています。
対立は、山口組の跡目相続をめぐって起きました。三代目の田岡組長は1981年に死亡、組は幹部会で、竹中組長を四代目と決めましたが、それを不満とする一派が、決定を拒否して分離し、一和会を名乗りました。抗争は計317回に及び、死者25人、負傷者70人を出す事態になりました。2年にわたる抗争で山口組は一和会を解散させました。
「山一抗争」によって、暴力団員の武装化が一気に進んだと言われています。また、抗争に勝利した山口組は、広域暴力団として組織拡大に拍車がかかります。2014年末時点で、山口組の組員は全国の暴力団関係者の43.7%を占めるまでになっています。
8月27日に神戸市灘区の山口組総本部で開かれた緊急の執行部会では、山健組や宅見組など複数の組が欠席しました。山口組側は欠席したり、離脱の意向を示したりしている計13団体をこの日、絶縁や破門の処分としました。
組ごとの雑貨の購入義務や、総本部と名古屋市の組長宅に詰める制度の負担など、古株の直系組長らの間では現体制の組織運営に不満が募っていたと見られています。最近、総本部を名古屋市に移す動きがあり、この方針への反発が分裂につながったと警察当局はみています。
警察当局は双方が衝突する恐れがないか、動向を注視しています。
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