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#3 未来空想新聞

初めてパラ記録が世界記録を超える

障がい者と健常者のボーダーを越えて、スター選手が世界の舞台で誕生か? パラ陸上の第一人者山本篤さんが語る未来

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目次

障がい者スポーツの普及が進み、記録も飛躍的に伸びています。一部の競技では健常者の記録に迫る勢いで、多様なアスリートが同じ舞台で競う日もそう遠くはないでしょう。プロとしてのカッコいい立ち振る舞いで、競技の枠を超えてファンの共感を集めているのが、義足アスリートのトップランナーである山本篤さん。記録への挑戦や、身体と共存する技術についての話を聞きました。

パラ選手が日本代表として、健常者と肩を並べて競う日

「パラアスリートが日本代表として、17年後には健常者と同じ国際大会に出場しているかもしれません」

パラ陸上で数々の日本記録を持つ山本さんは、2039年の未来をこのように予想します。卓球やアーチェリーなどの種目では既に、障がいのある選手が国の代表として出場しており、様々な大会で健常者と肩を並べて競っています。日本でも、代表選手の誕生に期待が高まります。

スポーツ界全体を見ても「大きな大会だとパラ競技は別々の開催ですが、パラ種目もミックスしての開催が理想」と山本さんは語ります。選手同士がお互いに刺激し合うことができるだけではなく、バリアフリーな選手村の運営や放映権の問題などもクリアにできるメリットがあります。
 
山本さん自身、昨年に走り幅跳びの自己記録を更新しました。ドイツのマルクス・レーム選手のように、健常者の世界記録に迫る選手もおり、「彼のような超人的な義足選手があと2、3人増えれば、記録は更新されていきます。将来的には、幅跳びのパラ記録が健常者の世界記録を上回る可能性もゼロではありません」と予測します。

義足での記録をどう扱うのか、ルールなどの問題は過去にも議論されてきました。とはいえ、もし記録が上回るとなれば、社会に大きなインパクトとなります。障がい者と健常者の双方のアスリートが、記録で切磋琢磨するシーン。それが日常の光景となれば、障がいの有無にかかわらず多くの人々に勇気を与えるでしょう。

一人ひとりがありたい姿をテクノロジーで支える社会へ

私たちの日常生活でも、テクノロジーと身体は将来さらに共存していくでしょう。「手に埋め込んだチップで、僕も自動改札をピッと通りたいですね(笑)。それを生理学的に受容するかどうかを、個人が判断できることは大切」と山本さん。

「足の障がいの場合、切断して義足にした方がQOL(生活の質)が上がるのなら、その選択肢も医療機関から患者に共有してほしい。臓器移植の意思表示ができるような感覚で、選択の余地があればいいなと思います」

スポーツをしたいのか。今までの仕事や生活を維持したいのか。見た目を重視するのか。一人ひとりがありたいと望む姿に合わせて、幅広い選択肢の中から自分の身体とどう向き合うのか、最適な判断ができることが大切です。身体を支えるテクノロジーも同様で、義足だけでも様々な種類のものから、自分に合ったものを選ぶがことができます。

障がい者やバリアフリーに対する社会のとらえ方も、昔はどう関わったらいいのかわからないという雰囲気だったのが、少しずつ変化しつつあります。「欧州では、階段の手前で車いすの人が困っていたら自然と声をかける人が多いです。日本でそういう人はまだ少ないと思いますが、困っている人がいたら助け合うというマインドが広がると、また変化していくはずです」と山本さんは社会の成熟に期待します。

「モデルや俳優でも、車いすや義足の人、目の見えない人などが、当たり前のように活躍していくのではないでしょうか」

山本さんが義足となった約20年前は、義足は隠すものという意識がまだ強い時代でした。今では、義足の女性アスリートの写真集が出るなど、それを美しいととらえる価値観も広がっています。
 
障がいの程度やハンデの克服といった観点で、人を評価するというのは古い考え方なのかもしれません。障がいの有無とは関係なく一人ひとりが個性を追求し、一人の人間として評価される。それが当たり前になる未来に向け、社会は一歩ずつ進んでいます。

挑戦のバトンを未来の子どもたちにつなぐ

山本さんも競技場では、自分の中で「カッコいい」と思う形を追求してきました。少年時代にフォームをまねした野球選手のように、アスリートとして憧れられる存在でありたいからです。

「義足の僕が『こういうこともできるんだよ』というカッコいい姿を見せられたら、不安を抱える義足の子どもたちの希望につながると思うのです。未来を生きる子どもたちは、自分の楽しいことや得意なことに全力で打ち込んでほしい。それを見つけるために、まずは様々なことにチャレンジしていくことが大切です」

専門外の800mや5000m、スノーボードなどにも挑み続ける山本さん。自らの可能性にチャレンジし、バトンを未来へつなげていきます。

「将来は陸上のコーチとしてメダリストを育てるのが理想ですが、障がい者ゴルフが正式種目になれば、一度は現役として出場したいです(笑)。様々な挑戦は僕自身の人生のプラスになるし、誰かがチャレンジするきっかけになればうれしいですね」


自分が楽しいことを全力でするのが一番。個性が輝いたら絶対にカッコいいはず!
山本 篤(やまもと・あつし)
1982年、静岡県生まれ。2000年に交通事故で左足の大腿部を切断。義肢装具士になるための専門学校で競技用義足と出合い、陸上競技を始める。競技に打ち込むため、大阪体育大学体育学部に進学。100mや走り幅跳びなどで頭角を現し、08年スズキに入社。数々の国際大会でメダルを獲得し、16年には走り幅跳びで当時の世界記録を樹立した。スノーボードでも日本代表として活躍。17年よりプロに転向。
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