連載
#94 #となりの外国人
赤ちゃん連れでラーメン、〝段差〟を軽々超えるアフリカのママ友

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#94 #となりの外国人
出産や育児を通じて、今まで気づいていなかったまちなかの〝段差〟につまずくことが増えました。一昨年、筆者にはアフリカ出身の「ママ友」ができました。色鮮やかな服に身を包み、いつもにこやかな彼女は、そんな〝段差〟を軽々と越えていきます。日本語が不慣れだから「助けたい」と思って一緒にいるのに、いつも気づくとこちらが励まされているーー。目から鱗が落ちる彼女の行動の数々に「なんで、そんなに強いの?」と尋ねたら、驚くような答えが返ってきました。国際女性デーに、ママ友と女性の生き方を考えました。
大きな緑のイヤリングに、オレンジのシャツ。1年半前、世界各国から日本に来て子育てするママたちの交流会で出会ったのが、チティンカ・ウペンドさん(34歳)でした。ディズニー映画「ライオンキング」の舞台にもなった自然豊かなアフリカ東部の国・タンザニアの出身です。「12月に子どもが生まれるの」とはにかみました。
母語はスワヒリ語で、日本語力はあいさつができる程度です。東京の大学院では英語で「平和構築におけるビジュアルアートの役割」を研究するため妊娠22週で、単身、来日したばかりでした。
アメリカで働くタンザニア人のパートナーは仕事で来日できず、短期で「お手伝い」に呼び寄せる予定だった母親も手術が重なって来られない、というピンチに見舞われていました。
「つまり、初めての日本で、1人で子どもを産み育てる……ってこと?」。4カ月前に家族の支援を受けながら出産してもへとへとだった筆者は、彼女に訪れる〝試練〟を想像して、身震いしました。
「これは大変だ」。すぐに交流会の日本人メンバーで〝ウペンドさん支援チーム〟を立ち上げ、役所や病院での手続きなど、必要な場合には英語ができるメンバーが同行しました。でも支援チームでも驚きの声が上がるほど、お手伝いの機会は多くありませんでした。
なぜならウペンドさん自身がどんどん情報を集めて、出産準備を整えていったからです。そして予定日の1カ月前、夜中に突然陣痛が始まった時も、出産前後の外国人をサポートするNPOマザーツリージャパンに連絡して、落ち着いてタクシーを呼び、1人で病院に行って、無事に3000グラムの男の子を出産しました。子どもは聖書からとった「アーク」と名付けました。
さすがに産後の夜泣きでほとんど寝られない間は、疲れた様子を見せていたウペンドさん。自治体の支援制度でヘルパーを利用したり、近所のママ友たちで顔を見に行ったりしましたが、〝SOS〟は数える程度でした。
そして産後1カ月を過ぎると、ウペンドさんが早くもキャンパスに子連れで行くようになり、驚かされました。担当教官との面談など必要に迫られた時だけ、まだ誰にも預けられないアーク君を連れて行けるよう大学に理解を求めたそうです。
産前もつわりは軽く、臨月まで学期末の試験を受けて、出産。そして冬休み中に子育てに励み、春に大学に戻るという、絵に描いたようなルートで、勉強をほとんど途切れさせなかったウペンドさん。「すごく運が良かった」と語りますが、そのパワーは驚異的でした。
子連れの学生はまだ珍しく、キャンパスでは目立ったそうですが、「ミルクをあげながらだと、アークも全然騒がなくて助かった」と感謝します。
ウペンドさんに驚かされることはまだ続きました。
ある日、「初めてラーメン屋さんに2人で行ってきたよ」とウペンドさんが見せてくれたスマホには、アークくんを抱いてカウンター席に座り、笑顔の店主と写ったスリーショットがありました。「子連れで行ったの?」と驚きのあまり爆笑した筆者ですが、実は自分のことを思い出して目頭が熱くなっていました。
産後の夜泣きで疲れ果て、町をさまよいながら子どもを寝かしつけていた時、ふとにおいにつれられて母子でラーメン屋に入ったことがありました。会社員に囲まれて萎縮しつつも、人が作ってくれた温かいラーメンを泣きながらすすっていたら、子どもがぐずり始めたので「すみませんすみません」と謝りながら、逃げるように店を出たのです。
「子連れ」になったとたん、今まで当たり前だった街の風景に、自分の居場所がなくなったような気がしていました。何をするにも「こんな小さな子を連れ出して」「母親なのに」と責められているように感じました。勇気を出して出向いた先でも「もっと子育てが落ち着いてから来てください」と追い返されたこともあり、いつの間にか、いろいろなことを「諦めざるを得ない」と感じていました。
勉強も、ラーメン屋も、異文化からやって来たウペンドさんはそんな「段差」を、軽々と超えて見せたのです。そんな彼女はとても、まぶしく見えました。
アーク君の保育園が決まり、ウペンドさんは産後4カ月で大学に戻りました。
ちょうど同じタイミングで復職することになった筆者が「まだ小さい子を預けて働く」ことに少し弱気になっていると、こう背中を押されました。「私も不安になるけど、アークを見ると『こんなところで立ち止まっているヒマないぞ』ってしかられてる気持ちになるよ」
大学が始まり、授業と論文と、子育てと家事と、目が回る忙しさの中でも、ウペンドさんから聞くのは「保育園の先生方が本当に優しい」などの感謝の言葉ばかりでした。
「子どもは『社会のもの』として家族や隣人みんなで育てる」というタンザニアから来た時は、「母を呼び寄せるか、ベビーシッターを雇うしかない」と子育てしながら勉強する方法を考えていたというウペンドさんは、日本の保育園という制度に感動していました。
そして昨夏、ウペンドさんは、なんと生後8カ月のアークくんを連れて2カ月間、研究のためニューヨークへ飛びました。子連れで、そんなことできるの? いや、していいの?? 「出産直後に計画していた」と聞いて、ひざから崩れ落ちそうになりました。
「だって、立ち止まっていられないじゃない。この子の将来のためにも」とウペンドさんは笑いました。
そんなウペンドさんを見ていると、知らず知らずのうちに「できるわけない」「世間が許してくれない」と自らフタをしたことが、あまりに多かったことに気づかされました。
「なんであなたは、そんなに強いの?」
ずっと気になっていたことを尋ねると、ウペンドさんは日本に来た本当の目的を教えてくれました。
ウペンドさんが生まれたタンザニアの最大都市ダルエスサラームは経済格差が深刻でした。
小学校は先生1人に80人ぐらいの子どもがいたと言います。教育を受けても将来良い仕事に就ける保証はないため、クラスメートの女子の大半は中学や高校を卒業すると、結婚していきました。
「私の国では、ほとんどの女性は経済的に配偶者に依存していて生きている。そうすると、自分で意思決定する力が制限されても、自分の成長の機会が制限されても、挑戦しようとする力がもろくなってしまう。時には、家庭内暴力を受けても耐えるしかない女性もいる」
ウペンドさんには3人の兄と、1人の妹がいます。母はビジネスマンの父と結婚した後も仕事を持っていました。「母の生き方を見て、私も経済的に自立して生きていこうと思えたし、女性が経済的に自立することが、自分の人生をコントロールして危機的な状況を回避する力を持たせるんだと知った」。そのために、子どもの頃から必死に勉強したと言います。
学外では近所の女性たちから、裁縫や手工芸を学びました。その女性たちには素晴らしい技術があるのに、隣人に頼まれたものを作って小遣い程度の稼ぎしか得られないことに疑問がわきました。「いつか、タンザニアの女性のために働きたい」
奨学金でインドの大学に進学し、経営学を学びました。タンザニアに戻ると、伝統工芸やアートで女性の経済的な自立を支える団体を立ち上げ、その活躍が認められて、国連本部(ニューヨーク)で開かれた「女性の地位委員会(CSW)」へ、市民団体の代表として招へいされました。その滞在中に、パートナーと出会いました。
「さらに教育を受けたい」と希望し、世界中で平和や開発に携わる50人という〝狭き門〟のロータリー平和フェローシップに、タンザニアからの初めての奨学生として選ばれ、日本への留学が決まりました。
妊娠が分かったのはそんな時でした。
計画外の出来事に最初は〝恐怖〟に襲われたと言います。留学を延期してタンザニアで出産することも考えましたが、その後、再び行ける保証はない……。「教育のチャンスは、誰でも得られるものじゃない。簡単な道のりじゃなかった。ここで失うことが、とても怖かった」。この時の気持ちを思い出して、ウペンドさんは日本で初めて涙を見せました。
でもその困難な〝道のり〟こそが、自分の背中を押してくれたと言います。
「妊娠が、夢を追わない理由になってはならない」「私が出産しても、勉強や留学を続けることができたら、後から続く女の子たちの希望になる。そうならなきゃいけないんだ」
それはタンザニアの女性が置かれた現状も反映した覚悟でした。
タンザニアでは、若い女性が望まないタイミングで妊娠する「若年妊娠」が社会問題になり、政府は妊娠した女性を公立学校から退学、復学も禁止するという「罰」を与えて問題を防ごうとしました。
これがさらに女性たちを貧困へ追い詰めました。女性が中心になって戦って、2021年にようやく、妊娠した女性にも教育を続ける権利を政府に認めさせたばかりでした。
「私が得たチャンスは、私だけのものではない。私は私の国の人々のために、大きな義務を負っている」と、ウペンドさんはアーク君を抱きしめました。
奨学金を全額支給するロータリーや、大学に理解を求めながら、歩みをけして止めようとしなかったウペンドさんの強さの理由を見ました。
そして今年2月末から、ウペンドさんはタンザニアへ、アーク君を連れて1カ月、帰っています。筆者ももう驚きません。
今回も単なる里帰りではなく、留学している日本国際基督教大学と同大財団の支援を受けて、故郷の女性たちが「より安定した収入」を得られることを目指したプロジェクトを立ち上げるそうです。女性たちの伝統的な手工芸品の技術を生かしながら、現代のマーケットでも評価される革新的な製品作りを模索します。
まずは10世帯。「これからワークショップ。ワクワクしてる」と、タンザニアにいるウペンドさんからラインが届きました。
3月8日は、国際女性デー。筆者もウペンドさんに出会って、「自分とは縁遠い」と思っていた女性の権利や生き方に、知らず知らずに向き合わされてきた1年半でした。
ふと気になって、国際的な「ジェンダーギャップ指数」を見てみたら、日本は世界146カ国中「118位」だそうです。タンザニアはどうかと見てみたら「54位」でした。「私の国の大統領は女性なの」とウペンドさんが教えてくれて、仰天しました。
筆者がこれまでに萎縮して、涙を流しながら諦めたことは、きっとラーメンだけじゃなかっただろうなと、ウペンドさんとのつきあいを通して考えています。
「自分の生き方が、これからの子どもたちが生きていく未来を作っていく」。タンザニアから来た「となりのママ友」が教えてくれたその「覚悟」が、最近はことあるごとに私の背中を押してくれています。
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