感動
歴史に翻弄され…台湾出身の〝幻の写真家〟 蘇る100年前の日本
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100年前、日本でカラー写真を撮影した台湾出身の「幻の写真家」がいます。日本統治時代の台湾で生まれ、日本で写真を学び、台湾と日本の写真史を語る上で重要な作品を残しました。しかし、時代の波に翻弄(ほんろう)され、志半ばで写真から離れました。この冬、日本初個展が日本の母校で開かれました。
カラー写真フィルムが商品化される前、約100年前に写された天然色の静物写真。日本の同級生をモデルにしたポートレイト。当時は新興技術だったX線写真。
東京工芸大学のギャラリーで展示されている彭瑞麟(ポン・ルイリン、1904~1984)の作品です。彭瑞麟の個展が日本で開催されるのは初めてです。
彭瑞麟は、日本統治時代の台湾に生まれ、1928年に東京写真専門学校(当時の校名は旧字体、現在の東京工芸大学)に入学しました。この学校は当時、日本写真界をリードする存在でした。ドイツやオーストリアに留学して印刷技術を学んだ印刷製版術の権威・結城林蔵や、日本独自のピクトリアリズム(絵画主義)を代表する写真家のひとりである小野隆太郎から最先端の写真技術と表現を学びました。
残した作品の中でも特筆すべきは、昭和初期に制作された「三色カーボン印画法」という手法で撮影したカラー写真群です。
三色カーボン印画法で撮影された作品の一つ「静物」は、専門学校在学中の1930年に撮影されました。100年近く前に撮影されたとは思えないほど、鮮やかで深い色彩を保っています。
東京工芸大学芸術学部写真学科の小林紀晴教授(視覚コミュニケーション)は、「三色カーボン印画法は高度な知識と技術を要し、当時も限られた者のみが扱うことのできた技法で、小野の指導をうけて制作されました。この技法による作品は、現在日本ではほとんど確認されておらず、当時の写真技法をひもとくためにも大変貴重なものです」 と指摘します。
鮮明なプルシアンブルーが特徴的な「サイアノタイプ」による作品や、ゼラチンを加えることで感光層を厚くした藍色ゼラチン印画法による作品も残しています。
台湾出身者として初めて写真学士の学位を授与された人物でもあります。
しかし、そうした彭瑞麟の業績は今日、日本ではほとんど知られていません。
その背景には、戦争やテロがありました。
小林さんによると、日本統治下の台湾で生まれたため日本国籍だった彭瑞麟は日中戦争で二度にわたり徴用され、通訳として従軍しました。また、台湾で写真館を開きますが、太平洋戦争の末期に空襲を恐れた当局から立ち退きを求められました。
さらに戦後、1947年に起こった二・二八事件にも巻き込まれました。戦後、日本に代わり台湾を統治した国民党による民衆弾圧事件のことです。やみたばこ売りの台湾人老女を取締官が虐待したことを機に、民衆の国民党統治への不満が噴出。抗議デモに警備兵が発砲し、各地で人々が蜂起しましたが、国民党が中国大陸から送り込んだ軍隊に鎮圧された事件です。
彭瑞麟は地元で影響力のある人物だったためぬれぎぬで逮捕され、釈放される際に多くの財産を失いました。
これらの出来事を要因の一つとして、彭瑞麟は写真から離れ、50代で漢方医になって開業したそうです。
台湾でも「幻の写真家」というべき存在でしたが、作品のアーカイブ化を進める孫の彭雅倫さんらの尽力で近年になって再評価が行われ、国立台湾美術館や国立台湾博物館で作品が展示されたそうです。
彭瑞麟の日本初個展が実現したのは、偶然の出会いがきっかけでした。
小林さんが2024年春に台湾に日本統治時代の建物の撮影旅行に行った際、撮影中に突然の雨に降られました。雨宿りで駆け込んだ飲食店の目の前に書店があり、たまたま立ち寄って手に取ったのが彭瑞麟の本でした。
ビニールでパッケージされていた本を「ジャケ買い」したところ、彭瑞麟が工芸大の卒業生であることを知り、さらに「三色カーボン印画法の作品が100年近く前に撮られたという記述があり、衝撃を受けました」。母校での個展開催を思い立ち、フェイスブックをきっかけに彭瑞麟の孫・彭雅倫さんとつながり、初個展が実現しました。
11月、東京工芸大に彭雅倫さんも台湾から駆けつけ、小林さんと作品について語り合いました。
彭雅倫さんは「雨に感謝したい。雨がなければ小林先生は書店に入らなかった。ご縁に感謝の気持ちでいっぱい」と話しました 。
国民党統治や二・二八事件、その後の白色テロに翻弄された祖父について「言語が変わり身分、アイデンティティーに対する考え方も動揺させられ 、財産も没収された。刑務所から救出された後も監視され続けました。自由もないし、母国語もないという状況の中でとっても辛かったと思います。そういった状況は1987年に戒厳令が解除されてから、やっと当時に対する振り返り、理解、そして緩和があったのですが、そのとき祖父はもうこの世にいなかった」
彭瑞麟は写真から離れたあとも、セルフポートレートだけは撮り続けていたといいます。幼少の時に他界した祖父の思いについて、「実際のところは分からないが、彼は写真を撮ることによって自分の存在を確立しようとしたのではないか。写真を撮るがゆえに自分が存在すると考えていたから撮り続けたのではないかと、そんな風に考えています」
個展は東京都中野区の東京工芸大学写大ギャラリーで1月30日まで開催されています。
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