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6カ国語を操るイタリア人テシさん 「ジワる日本語」の魅力とは
記事を日々点検しながら日本語と格闘する校閲記者は、ネット上やSNSで発信される言葉にも関心があります。そんななか、日本語に魅了されてイタリアから日本に移り住み、日本語の著書まで出した若者を知って驚きました。ユーチューバーとしても活躍する彼女の名は、テシ・リッゾーリさん(27)。なぜ日本語を学ぼうと思い立ったのでしょうか。また語学学習の楽しさや難しさとは? 話を聞きました。(朝日新聞校閲センター・本田隼人)
2023年7月に来日したイタリア出身のテシさんは、日本語のほかにもドイツ語やスペイン語など5カ国語を使いこなします。
日本での生活などをユーチューブで発信、1本の再生数は100万回を超えることも。最近はテレビの情報番組にもコメンテーターとして出演しています。
テシさんが、遠く離れた東アジアの文化に初めて触れたのは小学生の頃。通っていた水泳の飛び込み教室で、先生が強豪・中国の競技動画を見せてくれました。
そこには見慣れない文字、つまり漢字がテロップで流れていたそうです。
「いつしか競技ではなく、漢字ばかりを目で追っていました。ローマ字ではない言葉を、いつか学べたらと思ったんです」
母の友人が日本美術や書道が好きで、その話にも胸を躍らせました。
英国の高校に留学し、ハイクリフという南部の小さな海辺の街で、日本から来た交換留学生と交流したり、放課後に開かれた日本語教室に通ったりするうちに、ますます興味がわいてきました。
まわりの友人も日本びいきで、「寿司(すし)がデザインされたカバンを使っている人もいた」そうです。
高校を卒業して進学先に選んだのは、英ケンブリッジ大の日本語学科。
「体験授業の時に、日本語がすんなり頭の中に入ってきた。留学が必須の学科なので、住みやすさを考えても日本がよかった」とその理由を語ります。
日本語学科での生活は、入学前からハードでした。先生がローマ字の表記をしないので、合格から入学する9月までの短期間で、ひらがなとカタカナを習得しなければいけなかったのです。
授業では日本語全般や古文、東アジア史なども学び、漢字は毎週テストがあり、「毎日5、6時間かけて深夜まで勉強した」というほどの宿題量でした。
途中で挫折してしまう人もいて、4年生になる頃には、同期生の数は入学時に比べて半分の5人に減っていました。
そして2018年、ついに念願の日本留学がかないました。
実際に住んでみると「カルチャーショックの連続」。店員が「いらっしゃいませ」と言っても、ほとんどの日本人が無反応なことが不思議だったそうです。
テシさんは「ヨーロッパでは何かしらあいさつを返します。日本では『お客様は神様』だからね」と、いたずらっぽく笑います。
また、日本の「割り勘」文化にも最初は戸惑いました。友人とパーティーをした際に、持ち寄った食材や飲み物の代金は合計してきっちり割り勘に。イタリアやイギリスにいた頃は、自分で持ってきたものを自分で賄うことが多かったそうですが、今では「割り勘の方がむしろ助かるかな」と慣れっこになっています。
1年間の留学から戻り、大学を卒業した後は、日本のテレビ局のロンドン支局記者としてヨーロッパを駆け回っていました。
そして2023年から制度が始まった「未来創造人材ビザ」を取得して、再来日。このビザは、将来に高度外国人材として日本で働いてもらうことを想定したものです。
YouTubeなどで発信しながら、今年4月には、日本のことばや文化にまつわる著書「イタリア女子が沼ったジワる日本語」を出版しました。
そんなテシさんは、ほかの言語と比べて、特に日本語の興味深い点を教えてくれました。
まず、敬語や丁寧語。「させていただく」「申し上げます」などを語尾につけるように、「長ければ長いほど丁寧になる」。
そして、その対極にあるのが「タメ口」。同じ言語の中に、さらに異なる言語があるようで「すごくおもしろい」といいます。
ただ、敬語に関しては不満もあるそう。ある店員が、日本人の友人には「お待ちください」と対応したのに、テシさんには「ちょっと待ってね」。
「日本語がわからないのではと思われたのでしょうか。外国人だからって、敬語を使ってくれないことがあるんです」
ほかにも、「イケメン」(いけてるメンズ)、「ダントツ」(断然トップ)、「ドタキャン」などなど、日本語の「造語力」にも驚かされているそうです。
日本語と外来語が融合することで「想像もつかない言葉を生み出している」と指摘します。
初めて「ドタキャン」を耳にしたときは、「キャン」が叫び声の「きゃー!」のたぐいかなと思ったそうです。
「キャンセル」とわかった後、「ドタ」を調べてみると、切羽詰まった状況を表す「土壇場」(どたんば)の略だと判明。さらに土壇場は、土で築いた壇がある江戸時代の刑場が由来、と知ったといいます。
「江戸時代の言葉に英語を合体させて、さらにそれを縮めるなんて!」と声を弾ませます。
もちろん苦労もたくさんあります。たとえば「動詞の過去形」。
大学では当初、「書きました」「学びました」といったように「ました」をつける形を学び、「『ました』をつけるだけだから簡単」と思っていたそうです。
ところが、「書いた」「学んだ」になると、語尾がまるっきり変わってしまいます。
「う」や「つ」で終わる動詞は「会った」「立った」と「~った」、「む」や「ぶ」で終わる動詞は「飲んだ」「学んだ」と「~んだ」……。
「なんで?どういうこと?となってしまった。初めは覚えるのが難しくて」
「音読みと訓読み」にも苦労したそうです。
「携帯」(けいたい)は読めるけれど、「携」が「たずさわる/たずさえる」とも読めると知ったのは、5年ぐらい経ってからだったといいます。
テシさんの語学的探究心は、日本語だけにとどまりません。言葉の響きに魅力を感じて、2年ほど前からポルトガル語も学び始めたそうです。
記者は過去にフランス語に挑戦しましたが、男性名詞・女性名詞の違いに戸惑ってしまい、早々に挫折した経験があります。スマホアプリなどの翻訳ツールが発達したいま、「時間をかけて言語を学ぶ理由は?」「続けるコツは?」と聞いてみました。
テシさんは「文法や動詞の変化など、ふだん自分が使っている言語から別の言語へと、自分の頭の動きが全て切り替わっていくようでおもしろい」と答えます。
もちろん、多くの人とじかにコミュニケーションがとれたり、仕事の幅が増えたりするメリットもある。しかしそれ以上に、言語はその国や地域の文化を写す「ミラー(鏡)」――。
「言語を学ぶことで、新しい価値観や文化が吸収できる」と話します。
テシさんは、学び続けるためには、「音がきれいとか、その国に行ってみたいとかでもいいので、なぜその言語を学びたいのか、理由をしっかり見つけることが大切」とも指摘します。
その上で、オンラインでの会話やポッドキャストなど、場所を問わず安く学べる方法を活用していけばいいと提案します。
しかし、一番の近道はなんと言っても「教科書を使って必死に勉強すること」。結局は、地道な努力が実を結ぶとのことでした。
外国語のほかにも、テシさんはプログラミングを独学で学んでいるそうです。
「今後は人工知能(AI)がもっと発達して、翻訳や通訳など自分の特性が生かせる分野の仕事が減るのでは」と考えているからです。
「仕事のことを考えたら、他の言語ができるだけでは足りない。言語プラスアルファが大切」
校閲の仕事も、すでに一部でAIの技術が活用され始めています。今後はその範囲が広がっていくかもしれません。
6カ国もの言葉を使いこなし、さらに自分の強みを増やそうとする姿勢。日本語しかできない記者には、テシさんの行動力と学びに対する意欲に頭が下がりっぱなしで、言葉が強く響いたのでした。
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