MENU CLOSE

エンタメ

有吉弘行が今なお支持され続ける理由 築いたバラエティーの〝お山〟

紅白司会者の3人。(左から)橋本環奈さん、有吉弘行さん、浜辺美波さん=2023年11月6日、慎芝賢撮影
紅白司会者の3人。(左から)橋本環奈さん、有吉弘行さん、浜辺美波さん=2023年11月6日、慎芝賢撮影 出典: 朝日新聞社

目次

『第74回NHK紅白歌合戦』の司会に抜擢され、今年も活躍が目立った有吉弘行。2007年の再ブレーク後、なぜ彼は支持され続けているのだろうか。タレントとしてのスタンス、持ち味を生かした企画の面白さ、時折見せる哀愁と用意周到さなど、多角的な視点でその魅力に迫る。(ライター・鈴木旭)
【PR】「あの時、学校でR-1飲んでたね」

TPOを意識したスタンス

昨年10月、『有吉クイズ』(テレビ朝日系)が火曜ゴールデンタイムに昇格し、有吉弘行は月曜~日曜のゴールデン・プライム帯のすべてで冠番組を持つ快挙を成し遂げた。

今年10月から『有吉クイズ』は日曜深夜帯に移ったものの、『第74回NHK紅白歌合戦』の司会に抜擢されるなど、その勢いはとどまることを知らない。彼がテレビスターとして支持され続ける理由はどこにあるのだろうか。

先月13日に放送された特番『有吉弘行の脱法TV』(フジテレビ系)は、その答えを示す1つの証拠だったように思う。コンプライアンスが叫ばれる現在のテレビ界において「なぜサッカー選手やアーティストの刺青はOKで芸人がNGなのか」といった曖昧なラインを番組で検証し、具体的な抜け穴を探そうという内容だった。

とはいえ、検証企画の1つひとつは実にバカバカしいものだ。例えば「腕と脚にタトゥーがあるアーティストが並行してピン芸人の活動を始めた場合、お笑いライブでネタを披露する姿は放送できるのか」という企画。一見すると中学生が言い出しそうな屁理屈だが、真っすぐに検証を実行するあたりに得も言われぬエネルギーを感じる。

放送可否のジャッジは、局のコンプライアンス担当者や番組プロデューサーをはじめとする「コンプライアンス委員会」によって行われ、NGと判断されたところで映像はカットアウト。前述のアーティストは、ライブ会場の舞台に登場した瞬間にカラーバーへと切り替わった。

コンプライアンス委員会がNGを出した理由は「前例を作ることになるため」という保守的なものだ。その後も、「乳首」「海賊版ガチャピン」「ポルノビデオ」がどこまで許容されるのかを検証。やっていること自体はくだらないかもしれないが、“テレビがテレビを批評する”という今の地上波ならではの趣向が感じられた。

『有吉くんの正直さんぽ』(フジテレビ系)や『有吉ゼミ』(日本テレビ系)など、幅広い年齢層に向けた番組に出演し続ける中で、過剰なコンプライアンスに尻込みする今のテレビ制作の在り方にもしっかりと釘を刺す。このTPOを意識したスタンスが視聴者からも制作者からも信用を得ているのではないか。
 

ミステリアスで予定調和を壊す

ここ数年、もっとも有吉らしさを感じるのが、ユニークな企画で人気を得ている『有吉クイズ』だ。

有吉や解答者のプライベートを切り売りした「プライベート密着クイズ」、様々な飲食店を巡り無言のまま食事を堪能する「有吉とメシ」、しばらく動いていないLINEグループにコメントを投稿して反応をうかがう「LINEグループ既読チキンレース」など、ここでしか見られないラインナップとなっている。

2020年から始まった世界的な写真家レスリー・キーとのフォトセッションによる「有吉カレンダー」も今年で4度目を迎えた。ボンテージファッション、ウェディングドレス、オードリー・ヘプバーン風など、奇抜ながらも性別を超えた魅力を放つ有吉が実に新鮮だ。

こうして見ていくと、番組の企画には2つの特徴があることに気付く。1つは、予定調和を壊して笑わせるもの。「既読チキンレース」は最たるものだが、『クイズ☆正解は一年後』(TBS系)やラジオ番組『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(JFN系)などでも有吉の意図的かつ巧妙な“悪ノリ”を感じることができる。

もう1つは、有吉自身が様々な場所に出向くロケ企画だ。とくに「密着クイズ」では、有吉がOラインの脱毛を体験したり、ためらいなく素揚げのクモや豚の脳みそ炒めを食したり、漫画家でタレントの蛭子能収と交流を重ねたり……と印象的な回が目立つ。

プライベートを追っているはずが、回を重ねるほどに有吉のミステリアスな面白さが際立つのだから不思議だ。千鳥やかまいたちとは別種のロケの面白さで、そこは原点とも言える『進め!電波少年』(日本テレビ系・1998年1月終了)の過酷な旅企画「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」による影響もあるのかもしれない。
 

奔放とも思えるスタンスと哀愁

有吉は、1994年に幼少期からの友人・森脇和成とお笑いコンビ・猿岩石(2004年解散)を結成して広島から上京し、間もなく太田プロのライブで初舞台を踏んだ。1996年には前述の『進め!電波少年』(日本テレビ系)のヒッチハイク企画に起用され大いに話題となった。

歌手デビュー曲『白い雲のように』がミリオンセラーを記録し、ヒッチハイク旅の模様を記した書籍「猿岩石日記」シリーズが累計250万部を超えるベストセラーに。もちろん運やタイミングも大きいだろうが、今年10月13日に公開されたYouTubeチャンネル『街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜』の動画の中で前述の森脇は上京時をこう振り返っている。

「有吉も考えてたのか、『やっぱ上京物語っていうのは売れた後、絶対話すことになるから、できるだけドラマチックにしたほうがいいんじゃない?』みたいなことは言ってましたからね。そこ行く前(筆者注:町田にある有吉の親戚の家に居候する前)に野宿したりとか。それも別にお金持ってたんでホテル泊まることもできたんですけど、彼が『そういうことしようよ』みたいな」

偶然とはいえ、まるで『進め!電波少年』に出演する未来を想定していたかような行動だ。ヒッチハイク企画でブレーク後、不遇の時代を過ごした有吉。そこでのエピソードもテレビ番組で時折口にすることがある。

とくに2018年9月に放送の『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日系)の中で語った、後輩のインスタントジョンソン・スギ。との話が印象深い。

有吉が「本当にもうお金ないから、今日から割り勘にしてくれ」と断りを入れて酒を飲み始めたところ、当然のようにスギ。は「それでも行きましょう」と快諾してくれたという。まるで昨日あった出来事のように、嬉しそうに振り返る有吉の姿には何とも哀愁があった。

普段は奔放とも思えるスタンスで笑いをとりながら、ところどころで自分の情けなさや恰好悪さをさらけ出す。きっとそこに視聴者は共感するのだろう。
 

自分が面白がれる山を築いた

人気が低迷した時期、猿岩石は『プレゼンタイガー』(フジテレビ系・2001年4月~同年9月終了)という番組に出演し、コンビ名を「手裏剣トリオ」に改名したことがある。「バカルディ→さまぁ〜ず」「海砂利水魚→くりぃむしちゅー」などの改名ブームに乗っかったものだ。

しかし、2人で“トリオ”を名乗るも引きはなく、半年後には元の猿岩石に戻した。ただ、それを不憫に思ったのか同番組と共通のスタッフが『内村プロデュース』(テレビ朝日系)に出るよう促し、有吉はプロレスや猫男爵(猫メイクに裸のキャラクター)に扮した“裸芸”を披露することになる。

この芸風が功を奏し、徐々に他番組にも呼ばれるように。そもそもダチョウ俱楽部・肥後克広、上島竜兵さんにかわいがられていたが、リアクション芸のアドバイスを求めるようになり、さらに溺愛されるようになったという。

2004年に猿岩石は解散したが、2007年に毒舌キャラで再注目を浴び、2010年からは有吉がタレントの悩みに的確なアドバイスを送る『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)の企画「まだ間に合う!? 有吉先生のタレント進路相談」が好評を博し、その後、派生企画も誕生した。

2011年には昼番組『ヒルナンデス!』(日本テレビ系)の金曜レギュラーに抜擢され、『マツコ&有吉の怒り新党』(テレビ朝日系・2017年終了)がスタートするなど、有吉は目まぐるしい勢いでバラエティーの顔になっていった。その駆け上がり方は、明らかに周囲の芸人とは一線を画している。有吉は書籍の中でこう振り返っている。

「糸井重里さんが唯一いいこと言ってくれたのが、『有吉さんって、みんなでワイワイやるよりも、自分がお山の大将でやってるほうがいいんじゃない?』って。『それ、そうだよなぁ』って思いましたね。(中略)実力測定の場に出ちゃダメだと思ってるんですよね。太田プロライブさえ出ないですから」<「お前なんかもう死んでいる プロ一発屋に学ぶ『生き残りの法則50』 」(双葉文庫)より>

『IPPONグランプリ』(フジテレビ系)で2回優勝していることもあり、この言葉には大いに謙遜も含まれていることだろう。注目すべきは、“自分の山”を築いて持ち味を発揮した点だ。

一口に“お山の大将”と言っても簡単なことではない。どんなに低い山だろうと、共演者やスタッフからの信頼がなければ成立しようもないからだ。“BIG3”(タモリ、ビートたけし、明石家さんま)にハマったわけでもなく、どん底の有吉を救った内村光良やさまぁ~ずとの共演が長く続いたわけでもない。芸能界におけるランクの優劣など興味がないようにさえ見える。

1つだけはっきりしているのは、そのほかの芸人が単独ライブやラジオによってアイデンティティーをキープするように、テレビの世界でしっかりと足場を固め、自分自身が面白がれる山を築いていったことだ。だからこそ、今もその不動の山は消えず残り続けているのではないだろうか。
 

関連記事

PR記事

新着記事

CLOSE

Q 取材リクエストする

取材にご協力頂ける場合はメールアドレスをご記入ください
編集部からご連絡させていただくことがございます