連載
#6 SDGs最初の一歩
八ケ岳で出会った〝怒れるサムライ〟 経済重視いつまでやるの?
「料理バンザイ!」滝田栄さんの訴え
八ケ岳といえば懐かしい思い出を持つ人も多いだろう。その八ケ岳山麓でいま、1200頭の牛を飼育する施設メガファームの誘致が浮上している。原村に住む俳優の滝田栄さんは、12月半ば、計画の再考を求める市民団体の共同代表に就任した。なぜ反対なのか? 滝田さんの考えの根っこにあるのは経済至上主義やグローバリズムへの疑問、そしてSDGs(持続可能な開発目標)だという。70歳をすぎて住民運動に身を投じたベテラン俳優の思いを聞いた。(朝日新聞諏訪支局長・依光隆明)
滝田さんは1950年、千葉県生まれ。先月5日で70歳になった。NHKの大河ドラマ「徳川家康」(83年)で主役を担ったほか、舞台や映画で活躍。20年にわたりテレビ朝日系で放映された「料理バンザイ!」では司会も務めた。
八ケ岳との関わりは中学生のときの夏キャンプ。岩肌の斜面に水ゴケが張り付き、そこから水が噴き出す光景を見た。美しい、と言葉にならないほどの感動を受ける。
高校で山岳部に入り、晩冬の八ケ岳に。雪と氷の世界を歩き、静けさと荘厳さに心が震えた。結婚式を挙げたのは諏訪大社。八ケ岳への思いは高じ、約40年前から原村の八ケ岳山麓に居を構えている。
八ケ岳の魅力を語り始めると止まらない
「仕事柄、静けさが必要なんです。ここはすぐに集中できる。役作りができる。『霊気がある』と表現した友人がいました。八ケ岳の水が諏訪湖に入り、天竜川となって太平洋に注ぐ。太平洋を清める源が八ケ岳なんだ、と。私も同じものを感じてきました」
八ケ岳で子育てもした。メガファームの立地が浮上した農業実践大学校も身近な存在だった。滝田さんは、子育てをしていたころを「桃源郷」と表現する。
「学校に上がるまで、子どもはここで育てました。子どもは毎日遊び回って。川のせせらぎで魚を手づかみし、山に入ってキノコを採っていました。朝は家族で実践大学校に行き、搾りたての牛乳や安全な野菜を買って。特に最初の20年はホント桃源郷でした」
〈八ケ岳中央農業実践大学校〉
滝田さんがメガファームに違和感を抱いた理由、それは、日本がいまだに捨てきれない「経済優先」の発想に重なってしまうからだ。
「新聞で知ってびっくりしました。放牧なら7頭しか飼えない7ヘクタールの土地に1200頭を入れ、一生太陽の光を浴びさせない。乳牛から人工授精で肉牛の子を産ませる。短期間に絞れるだけ乳を搾って2年ちょっとで肉にする。これ、おかしいんじゃないか。経済だけを考えるやり方って危険じゃないか、と」
「人口減少時代の日本にあって、原村は今も人口が増えています。移り住んだ人は皆ここの絶景にほれ、一生をすごそうと思った人たち。美しさの中心、出発点になぜ造るのかなあ。10年後、20年後のリスクを考えているのかなあ」
〈八ケ岳のメガファーム計画〉
メガファームを巡っては、コストを下げるために規模拡大は不可欠という意見がある。誘致に乗り出した農業実践大学校の校長は「牛乳の国内生産量は減っている。牛乳を飲めなくなってもいいのか」と説明するが、滝田さんは「そのような説明の仕方は地元に分断を引き起こすのではないか」と心配する。
「考えれば考えるほど原発と一緒だなって思えるんです。利益を得るのは県外の会社で、環境被害を受けるのは地元の住民。今回の実践大学校幹部のように地元には誘致したい人もいて、やがて地元は分断。固定資産税などが入るので地元自治体は誘致側に寄り添う。僕は政治に関わったことはないんですが、原発のCMだけには出ちゃだめだと思っていました。ずいぶん誘われたんですけど」
メガファームのことを考えるたびに思い出すのは、20年にわたって司会を務めた「料理バンザイ!」のこと。番組のスポンサーは……雪印だった。
「その雪印が西日本で食中毒事件を起こし(2000年)、放送できなくなりました。雪印は食中毒の原因究明を本気でやったんです。僕、そばにいたからよく分かる。懸命に原因を見つけようとした。でも分からない。そんなさなか、社長はマスコミに追い回されて、『私も寝てないんだ』ってやっちゃった」
滝田さんは後日、社長発言の真意を確かめた。雪印の解体にいたるドラマは、企業の「安全神話」を考える上で今も滝田さんの心にのしかかっている。
「『なんであんなことを言ったんだ』と社長に聞いたら、『本当に寝てなかったんだ』って。1週間ほとんど寝ずに原因究明に走り回っていたそうです。それでも分からなかった真の原因が、のちに分かりました。発端は世界最先端を誇った北海道の大樹工場です。屋根につららが落ち、7時間機械が止まったそうです。そのときパイプの中で黄色ブドウ球菌が発生した。菌は加熱で消えますが、菌が吐き出した毒素、エンテロトキシンは残留した。当時、エントロトキシンを検出できる機械は日本になかった」
「大樹工場製造の脱脂粉乳を再溶解して製品化していたのが大阪工場で、そこが出荷した製品が食中毒を引き起こしました。世界最先端の工場が1本のつららでだめになったんです。つらら一つが雪印を解体したんです。雪印は素晴らしい会社だったのに、汚い会社だと言われ続けて解体されました。3千人が職を失いました」
つらら一つで解体まで至った雪印と、安全・効率をうたい文句にするメガファームの姿が滝田さんの中で重なり合っている。
「リスクは雪印以上だと思ってしまうんです。『大丈夫って言いますけど、本当に大丈夫なんですか』と問いたい。責任取れるんですか、と。ウイルス感染による全頭処分など、なにか大きなトラブルが起きたら村は終わっちゃいます」
「地元の人が標高1200メートルの原野を貸してくれたので、石をどけて、耕して、有機肥料を工夫して、無農薬・無化成肥料で農業もしています。ジャガイモ、サツマイモ、麦、ビーツ。面白いようにたくさんできます」
〈八ケ岳の水とメガファームを考える会〉
「美しい八ケ岳の、水の出発点でメガファームのような事業をするのは無神経だと思えるんです。澄み切った自然と美しい水を諏訪湖に届け、太平洋に流れ出る。われわれの世代が環境をぐちゃぐちゃにしたら子孫に顔向けできません」
「僕は生きているうちに原村で孫とキノコ採りをしたいし、水遊びもしたい。子供たちのため、やってはいけないことはあると思うんです」
今回のことは逆に「SDGsの見本」になると考えている。
「実践大学校をメガファーム付属のような存在にするのではなく、八ケ岳山麓の豊かな自然の中で有機農業やハーブや養蜂を教える。住民と一緒に盛り上げたらすごく魅力ある学校になります。世界一美しい学校になると思います」
「実践大学校は国策に揺れてきました。戦前は満州進出の指導者を養成し、バブル期にはもうけを追求し、今はグローバリズムの流れの中でメガファームを誘致しようとしています。僕は政治的な思考や法律的思考をしたことがない人間ですが、黙っていると権力者が世の中を嫌な方向に粛々と進めていく気がして。環境やグローバリズムなど、今回はいろんなことを考えるいい機会だと思っています」
一直線でピュア 八ケ岳と水を愛するサムライ。
滝田さんと何度か会ううち、「サムライ」という言葉が浮かんだ。そう、サムライ。俗化されていないサムライ。生き方が一直線というか、間違ったことが許せない。高校時代は最初に剣道部へ入ったが、執拗な先輩のしごきに怒りが湧いた。授業中に先輩の教室まで出向き、バケツの水をぶっかけて「バカヤローッ」。次に入った登山部で八ケ岳の魅力にはまり、いまも八ケ岳を深く深く愛している。一直線なのである。
ピュアでもある。「レ・ミゼラブル」の舞台を終えた翌日にインドへ飛び、仏教の指導者を見つけて2年間修業した。いまは原村の自宅で仏像を彫っている。3000坪の雑木林の中にぽつんと一軒家。陽光が降り注ぐテラス風の一間が工房だ。
気持ちが集中したときに木と向かい合う。最初は不動明王をたくさん掘った。次は弥勒菩薩。いよいよ涅槃像だ、と思ったときに今回の騒動が勃発した。「なんで八ケ岳にメガファームなんだ、俺は仏像を彫りたい」と嘆きながら、市民団体の共同代表を引き受けている。
なぜいまメガファームなのか。その問いはSDGsとも共鳴する。メガファームを知ることでSDGsについて考えさせられる、という意味だ。原村を含む諏訪地域では様々な人が勉強会を開いてSDGsへのアプローチを始めている。
戦後、一次産業のキーワードは規模拡大だった。農林省は規模拡大を唱え、そうすることが食糧供給と農業者の収入アップ、後継者育成に欠かせないと言い続けた。畜産におけるその到達点がメガファーム(1000頭を超えるとギガファームと呼ぶこともあるらしい)である。
「しかしちょっと待てよ。とめどない規模拡大って大丈夫なの?」と滝田さんは問いかける。
「この年になってこんなに怒るのかというくらい怒った」とにこにこ笑う。怒りを収め、いまはメガファームからSDGsやグローバリズムに焦点を向けようとしている。しばらくの間、仏像彫りはお休みとなりそうだ。
1/4枚