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「記者に書類を渡し、逮捕しろ」警察官も証言した〝仕組まれた事件〟
ミャンマーで今年9月、ロイター通信の地元記者2人が、国家機密に触れたという理由で懲役7年の刑を受けました。2人は少数派のイスラム教徒ロヒンギャに対するミャンマー国軍の殺害行為を取材中でした。最初から仕組まれていた可能性が持ち上がっています。(朝日新聞ヤンゴン支局長兼アジア総局員・染田屋竜太)
今年4月、ミャンマー最大都市ヤンゴン。地元や欧米のメディアの記者約50人でほぼ満員となった法廷で、1人の警察官が証言台に立ち、話し始めました。
「私たちは警察署内の一室に集められ、上官から指示を受けた。『記者に書類を渡せ。受けとったらすぐに逮捕しろ』と言われました」
ざわつく法廷。私もミャンマー人同僚の通訳を聞き、「本当か」と体が固くなりました。
逮捕はあらかじめ仕組まれ、しかも上官の命令によるものだったと公の場で表明したのです。
被告になっているロイター通信のワローン記者(32)とチョーソーウー記者(28)は昨年12月、ヤンゴンのレストラン近くで逮捕されました。
容疑は、100年ほど前につくられた「国家機密法」の違反。「国家の安全や利益を害する情報を取得、発信して敵を有利にした」場合などに最長14年の懲役を科すとされています。
ミャンマー警察は逮捕しても理由や経緯を世間に発表しません。情報を集めると、どうやら容疑は記者2人がレストランで警察官から書類を受け取り、そこに「国家機密」が書かれていたということのようです。
警察官の証言が出たのは、裁判をするべきかどうかを決める予審の最中でした。
記者は一貫して「書類は受け取ったが、中身は読んでいない」と主張してきました。目を通す暇もなく、店を出たところで逮捕されたといいます。
もし証言が本当なら、警察が記者を陥れて逮捕するために、わざと書類を渡したことになります。
驚いたのは、警察官が検察の証人だったこと。ふつうは検察の主張を補強する証言をします。
弁護士ですら「予想もしない展開だった」と驚いていました。警察官はこの証言をすることを、法廷に入るまで胸に秘めていたようです。
法廷の外では、この警察官を数十人の記者らが囲みましたが、ほぼ無言でした。
検察は「この警察官はこれまでの取り調べではこんな発言をしていなかった。信用に値しない。証拠として採用すべきではない」とやっきになって主張、逆に弁護側は「勇気を出してよく言ってくれた」と応戦。
結局、この発言は証拠と認められました。裁判所は検察の主張を退けたわけです。
これは記者が無罪になる可能性はかなり高くなった。そう思って話を聞くと、弁護士は「裁判官がどう判断するか最後までわからない」と固い表情。
このときは不思議でした。
ところが、7月に正式な公判が始まることが決まりました。弁護側の主張は認められなかったことになります。
そして9月3日、記者に懲役7年の実刑判決が下されました。いったいあの証言は何だったんでしょうか。
判決文はミャンマー語でA4用紙13枚。翻訳会社にすべて訳してもらい、隅から隅まで読みましたが、警察官の証言については1文字も出てきません。
当初の逮捕理由は、警察官から受け取った書類が国家機密に関わるという容疑だったはずが、判決が触れているのはその後に発見された携帯電話のデータのことばかり。
重視されていたのは、記者らの携帯電話にミャンマーを昨年11月に訪れたローマ法王の滞在日程や、ミャンマー政府高官の出張日程などの情報が入っていたことでした。
しかし、この日程をいつ、どうやって記者が入手したか、判決は特定していません。
情報の多くは国営メディアなどによって既に報じられているものです。
また、判決は非合法の武装組織リーダーの携帯電話番号を書いたノートが記者の自宅から見つかったとして、「国家の重要な情報が反対勢力に渡る可能性があった」と結論づけています。
ですが、このリーダーは昨年、首都ネピドーで開かれた和平会議の場に姿を見せ、記者会見まで開いています。別の地元メディアの記者にきくと、その場で多くの記者が携帯番号を教えてもらったといいます。
弁護士は、「初めから有罪前提で進められたのではないか」と憤ります。
アウンサンスーチー国家顧問は「言論の自由の抑圧ではない。国家機密法を破ったかどうかが問題だ」と話し、判決を批判せず。
スーチー氏が「判決はおかしい」と言えば「司法への介入だ」とされる可能性もあり、やむを得なかったのかもしれませんが……。
判決の翌日、地元の新聞は1面に黒塗りの写真を掲載したり、チョーソーウー氏の白黒の写真を載せたりして判決を非難。
ある地元紙の編集長は、裁判取材の過程で軍側から記事を訂正しろと圧力があったことを認めた上で、「この事件には、ミャンマーの報道の自由がかかっている」と決意を話しました。
なぜこんな判決になったのか。軍や警察から裁判所に圧力があったのでしょうか。
記者の弁護をしたキンマウンゾー弁護士は、「証拠のないことで臆測を言いたくない」と言葉を濁します。
ただ、別の弁護士は「検察と裁判所の間でどんなやりとりがされているか、一般人には知るよしもない」と不透明さを指摘します。
裁判官の人事には、ミャンマー最高裁判所の裁判官の声が大きく影響すると言われます。ところが、現在11人いる最高裁判事のうち、7人は軍出身者です。
「この状態で『司法の独立』とはとてもいえない」と、ある弁護士は匿名を条件に話しました。
2人の記者は、国軍によるロヒンギャ殺害事件を追っていました。
ロヒンギャが難民になったのは昨年8月、政府の治安部隊が掃討作戦をしたからです。国際社会の非難にもかかわらず、ミャンマー国軍は昨年11月の調査でロヒンギャ迫害は「なかった」と結論づけていました。
ところが、記者が12月に逮捕されると、今年1月になって国軍は調査結果をひるがえし、ロヒンギャの殺害に兵士7人が関わっていたと認定。
これは推測でしかありませんが、取材が進んでいることを察知して逮捕が仕組まれ、スクープとして報道される前に発表した可能性があります。
ロイターは2月、残った同僚らが取材を引き継いで記事にしました。殺されたロヒンギャ10人の家族を捜してバングラデシュの難民キャンプまで行き、どんな人たちだったか写真も含めて特定しています。90万人近く難民のいるキャンプで全ての家族を見つけだしたこと、ロイター通信の「意地」を感じた素晴らしい特集記事でした。
国軍は4月、法廷で警察官の証言が飛び出す前の段階で、この7人を懲役10年の刑に処すと発表していました。取材は正しかったわけです。ところが、彼らは懲役刑に科されました。
そして、証言した警察官は「上司の指示に従わなかった」として拘束されています。
記者らは11月、判決を不服として上級裁判所に上訴しました。
弁護士は「最後まで、どんな手を使ってでも戦う」と話しています。
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