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浅田真央、復帰の理由 会見全文を公開 背中押したのは伝説の選手
フィギュアスケートの浅田真央選手はなぜ、復帰を決断したのか。記者会見の全文です。
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フィギュアスケートの浅田真央選手はなぜ、復帰を決断したのか。記者会見の全文です。
現役復帰を表明したフィギュアスケートの浅田真央選手(24)。約1年間の休業生活で、引退か続行か悩み続けた末に出した結論でした。なぜ浅田選手はアイスリンクに戻ったのか。18日の記者会見の全文をお伝えします。
今日は本来、(7月22日から全国各地で始まるアイスショー)「ザ・アイス」の会見ですので、そちらをメーンに質問してくれたらいいなと思っています。
しかし、先日、私の進退に関する報道が出てしまったので、答えられる範囲内で答えていこうと思っています。多くの方がリンクや先生に質問などを聞きに来てしまって、ご迷惑がかかってしまったので、きょうここで私がお答えしたいなと思っています。
そして、今思っていることは今日ブログで発表したことなので、そちらを参考にして頂けたらうれしいなと思います。
(アイスショーの構成は?)
今年で9回目になりますが、ソロも新しいプログラムになりますし、今年はグループナンバーとして、ロシェット選手とコストナー選手との3人のプログラムを作っていきたいと思いますので、そちらも見どころだと思います。私が今まで滑った曲から、見に来て下さった方に投票してもらって、リクエストに応えて滑るという企画も準備しています。
(ショーがスタートする札幌に向けては)
札幌で滑るのも久しぶりなので楽しみにしています。仙台は去年伺ってお話ししたときに、「来年もぜひ見に来て下さい」とお伝えしていたので、できるのはすごくうれしいです。
(ショーの一番の見どころは。ソロのプログラムは)
新しいプログラムも見どころですが、世界からトップスケーターが集まる。一人ひとりが魅力のあるスケーターなので、私自身も楽しみです。私のプログラムは特に決まっていませんが、カナダで振り付けの先生と相談したいです。
(現在の心境は)
休養宣言してから、1年間休養してきましたが、自然と試合が恋しくなり、試合でよい演技ができた時の達成感をまた感じたいなと思い始めたのも一つの理由です。それだけが理由ではないですが、今は試合に出場できる状態にもっていくために毎日練習しています。
(気持ちにどのような変化があったのか。試合に戻った場合にどう考えているのか)
3月に先生のところに相談に行って、5月から先生と共に練習を始めています。
ソチ五輪、世界選手権が終わってからというのは、(それまで)最後の1年にしようと思って頑張ってきましたので、やりきった気持ちが大きく、スケートをまたやりたいなと思うことはなかったんですけど、時が経つにつれて、スケートをしない生活が長かったんですけど、スケートを滑ったときに、やっぱり自分はスケートが欠かせないと思うようになってきました。
練習を重ねる内に、自分は試合に出たいのかなと思い始めてきました。
(2018年の平昌五輪については)
現時点でも今季スタートして練習していますが、うまくいけば(五輪に先だってある)試合に出られるかもしれないし、出られないこともある。今の時点で五輪は考えていなくて、自分が思っている目標に向かってやっています。
(ソチ五輪の後もファンが浅田選手にメッセージを寄せた。それらは決断に影響したか。目標は自分の演技をしたいということなのか)
ファンの方にはたくさん手紙を頂いて、私自身も本当にたくさんの人に応援してもらっていると、あらためて感じました。
人それぞれ、「まだできるよ」という方も「もういいんじゃないの」という方もいました。最終的には自分が決めることなので、やりたいという気持ちが出てきたから、こうして試合に向けて練習を再開しました。
今の目標としては去年の世界選手権のレベルに最低でももって行かなければ、試合に復帰できないと思うので、そのレベルまで戻すのが今の目標です。
(去年の会見では、復帰の見込みを「ハーフハーフ」とおっしゃっていた。バランスが急に変わったのかなぜか)
今こうして決断をして、試合をしている気持ちは変わりはなく、100%復帰するつもりでやっています。でも、そこにいくまでに、50%50%になったり90%10%になったり。いろいろできるんじゃないかな、できないんじゃないかな、というのを繰り返してきました。今は持っている目標に向かってやっています。
(復帰する方が割合が低かった時期もあったか)
そうですね。ソチが終わったシーズンは辞める方の気持ちが強かった。今はそんな気持ちはないです。
(最大の決断の決め手は)
多くの方から色々な言葉を頂いて、すごくうれしかったですし、いろいろと考えることがあった。一つというのはなかなかお答えできないです。一つの目標を達成するには強い気持ちがなければいけない。最終的には自分が決めたことなので、責任を持ってやっていきたいです。
(現在24歳。平昌五輪がある3年後は27歳になる)
いろいろな思いがありますが、今は自分に期待しながら練習しています。自分の気持ちとしては復帰を目指してやっているけど、「この先何があるか分からない」というのはコーチにも言われています。ハーフハーフではないけど、気持ちは変わったと思うけど、自分としてはもう大丈夫かなと。今は目標に突き進んでいます。自分の気持ちとしては決まっています。
(復帰戦はいつか)
練習に入ったばかりなので分からないです。
(GPシリーズについては)
試合については何も決まっていません。昨シーズンのレベルに持っていくことを目指して頑張っています。
(スケーティングに関して、伊藤みどりさんのどんな言葉が背中を押したのか)
みどりさんと対談させてもらいました。印象に残っている言葉が二つあって、一つは「継続は力なり」という言葉。もう一つは「自分が後悔しないように決断して欲しい。自分がやりたいと思ってもできないときがある。やりたいと思ったらやった方がいい」とアドバイスをもらいました。
(被災地を訪問した経験は現役続行に影響したか)
去年、今年とあまり経験したことのないスケートレッスンをやらせてもらいました。子どもたちも私と滑ることで喜んでもらえたようですし、東北に行ったとき、多くの人に「五輪や世界選手権を見てパワーをもらえたよ」と言ってもらえたのがうれしかったです。
(休養前は、トリプルアクセルに自分にしか飛べないこだわりをもっていた)
私は今までトリプルアクセルが飛べることを強みにしてきました。今の時代、ジャンプのレベルがすごく上がっています。私も追いつけるように練習しているけど、それだけではなくて、いま24歳でスケート界の中ではベテランに入ってきています。
ジャンプの技術を落とさないことも目標ですが、それだけではなく、大人な滑りができればいい。自分の滑りをみてもらいたいです。
(練習を再開したが、この1年、引退か続けるか、弱い気持ちと強い気持ちの度合いはどうだったか)
休養中1年間はできるできないの繰り返しでした。先のことは誰にも、自分にも分かりません。時の流れに身を任せて生活してきました。スケートから離れたいなと思ったときも、数日後にショーやスケート教室があって、スケートから離れる日はなかったので、何も考えることなく、試合にはでていなかったけど、スケートとつながってきました。