「平成炎上史」よみがえるイラク人質事件 いけにえ求めた自己責任論
平成という時代を振り返るとき、「炎上」という言葉とともに頻発するキーワードがある。その一つ「自己責任」が顕在化するのは2004年の「イラク日本人人質事件」だった。自殺者が最多の3万4427人に達した翌年、「失われた10年」の直後。「自己責任」という「生贄(いけにえ)」を求めたのは、他でもない不安定な立場に追いやられた若者たちでもあった。(評論家、著述家・真鍋厚)
平成という時代を振り返るとき、「炎上」という言葉とともに頻発するキーワードがある。その一つ「自己責任」が顕在化するのは2004年の「イラク日本人人質事件」だった。自殺者が最多の3万4427人に達した翌年、「失われた10年」の直後。「自己責任」という「生贄(いけにえ)」を求めたのは、他でもない不安定な立場に追いやられた若者たちでもあった。(評論家、著述家・真鍋厚)