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ブーケを作っていた頃の「はたちメシ」 都職員の今の〝息抜き〟は…
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二十歳の頃、何をしていましたか。そして、何をよく食べていましたか?
久しぶりに食べた「はたち」の頃の好物から、あなたは何を思うでしょうか。
今回は、フラワーコーディネーターとして忙しく働いていた男性の「はたちメシ」です。
間宮智彦(まみやともひこ)さん:東京都職員。1983年、神奈川県海老名市生まれ。小学生のとき横浜市に転居し、地元の高校を卒業後、フローリスト養成校を経て生花店に就職。31歳までブライダルでのフラワーアレンジを中心に担当する。その後母校である養成校の営業事務や講師などを経験後、38歳で転職し東京都職員に。現在は新宿区にひとり暮らし。
今年42歳の間宮智彦さんは、勤め先である東京都庁の徒歩圏内に住んでいた。
新宿区と渋谷区のちょうど間ぐらいにあるアパート、と書けばいかにも大都会な感じに思われるかもしれない。
しかしそこは昔ながらの住宅街という風情で個人商店もちらほら残り、暮らしやすそうなエリアだった。やはり通勤のラクさが、住まい選びの決め手だったのだろうか。
「そうですね、大きな公園が近くにあるのも気に入りました。何よりすぐそばに花屋さんがあるんですよ。このお店がとても好きな感じで、決め手になったんです。あと日当たりがいいのも。ベランダで植物を育てたかったから」
間宮さんは都職員として働く前、フラワーコーディネーターとして働いていた。いわゆる生花業である。
「はたちになる年から31歳までわりと大きな都内の花屋さんで勤めて、ホテルやレストランでのブライダルを主に担当していました。学生の間は“いかに美しく”とか、自分の楽しさでブーケやアレンジを作っていられるけど、仕事になったら“美しさ+効率”を考えるのが新鮮でもあり、大変でもあり。とにかく覚えなきゃいけないことが多くて、はたちの頃は必死でしたねえ」
花、そして植物への関心は小さい頃から強くあったと教えてくれる。
入社1年目はひたすらに下積み。市場に花をとりにいき、吸水しやすいように茎を整える「水揚げ」をして、その後はずっと花の配達だったそうだ。
「僕は世田谷区の担当でした。週末はウェディングのセッティングの手伝い。出勤は朝の8時半で、週末だと7時に開始。終電で帰ることも多かった」
なるほど、撤収作業もあるから、当然パーティが終わらねば帰ることは出来ない。飾って終わりというわけではないのだ。
「大変だったけど、ウェディングの仕事で学んだことは多いです。どういうブーケが持ちやすいのか、持ちにくいのか。お式の時間によって花の色や見せ方も考えなきゃいけない。朝の光と夜のキャンドルとで映える花は全然違うし。何よりお客さんのリクエストを理解して、求められていることを具体的に提案して見せられるようにならないと」
先輩の仕事に学び、刺激を受けつつ過ごしたはたちの頃。たまの楽しみといえば「ちょっとぜいたくなランチだった」と言葉を続ける。
「給料日にはここでランチ食べようね、って職場の仲間と決めてた店があったんですよ。窯焼きピッツァの店で、よく食べてたのがマルゲリータ。ランチセット1200円は当時の自分に高いんだけど、贅沢がしたかった。宅配ピザしか知らない頃だから、世の中にはこんなピザもあるのかーって驚いて(笑)」
覚えることが山のようにあった時代、月イチの窯焼きピッツァが心の栄養になっていた。
「セットの自家製レモネードがまたおいしくて」と目を細める表情がうれしそうで、楽しい昼休みだったんだろうと伝わってくる。さて、そんな間宮さんがどうして今は東京都の職員に?
「11年ほど働いて、ウェディングのフローリストはやり切った思いになったんです。縁あって母校で勤めることになりました。営業や事務をメインに働きつつ、教える立場も経験出来てやり甲斐もあって。ただ教え子の中で毎年数名ほど、登校できなくなる子がいたんです。事情もいろいろでしたが、精神の不調などが原因の子もいて」
もともと福祉にも興味があり、学生時代からボランティア活動にも参加していたという間宮さん。
社会を生きる上でサポートを必要とする人たちと関わり、支援することを仕事にできないかと思ったとき、都職員の募集を知る。
「38歳のときでした。異業種から未経験での中途採用ってかなりめずらしいケースなんですが、なんとか採用していただき、当時の福祉保健局に配属されました」
畑違いの仕事に追いついていくのは相当困難で、またも「イチから覚えることだらけの日々」に。「でも同期がいい人で、励まし合ってなんとかやってこれて」と屈託なく笑う。障害のある人たちの就労支援が目下の仕事だ。
「具体的には、一般企業に就職したいけれど不安を抱える方々のサポートですね。障害の程度にもよりますが、都庁での仕事を経験していただき、自信につなげてもらうことも。データの入力をしてもらったり、名刺作りや各種用紙の補充などをしてもらったり」
将来的には社会福祉士や精神保健福祉士の資格も取って、より専門的なサポートを仕事にできたらとも考えている。
月イチのピッツァが癒しにも息抜きにもなっていた頃から、ざっくり20年が経った。食べ物の好みなどは変わっただろうか。
「そうですね……あの頃は焼き肉も好きだったけど、脂コテコテの焼き肉とかは量が食べられなくなっちゃったなあ。ピッツァはずっと好きですけどね」
今の息抜きはやっぱりこれかな、と言って鉢植えの手入れを始める。土や葉を見て水やりをする手つきに年季を感じた。
緑にふれて関わる時間は欠かせない生活の一部、というのがその目線から伝わってくる。初冬の寒さもなんのその、という感じで太い茎を伸ばす、ばらの鉢植えがなんとも立派だった。
取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター、コラムニスト。主な著書に『自炊力』(光文社新書)『台所をひらく』(大和書房)『のっけて食べる』(文藝春秋)など。2023年10月に『名前のない鍋、きょうの鍋』(光文社)、2024年10月に『はじめての胃もたれ』(太田出版)、2025年4月に『はじめましての旬レシピ』(Gakken)出版
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