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連載

#29 名前のない鍋、きょうの鍋

包丁・まな板なしで〝行きあたりばったり鍋〟 晩酌をしつつ思うこと

冬には野菜補給を兼ねて鍋をするというキハラさん。教職に就いて感じることは…
冬には野菜補給を兼ねて鍋をするというキハラさん。教職に就いて感じることは… 出典: 写真はいずれも白央篤司撮影

みなさんはどんなとき、鍋を食べたくなりますか。

いま日本で生きる人たちは、どんな鍋を、どんな生活の中で食べているのでしょう。そして人生を歩む上で、どう「料理」とつき合ってきたのでしょうか。

「名前のない鍋、きょうの鍋」をつくるキッチンにお邪魔させてもらい、「鍋とわたし」を軸に、さまざまな暮らしをレポートしていきます。

今回は、包丁とまな板なしで鍋をつくる、大阪在住の男性のもとを訪ねました。

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名前のない鍋、きょうの鍋
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キハラさん:1991年、大阪府大阪市生まれの茨木市育ち。立命館大学から大学院に進み日本近代文学を研究する。2016年に卒業後、教職に就き現在に至る。大阪市内在住、ひとり暮らし。趣味は旅と飲み歩き。阪神ファン

「うちは包丁とまな板、ないんです。この連載いくつか読んでみましたけど、出汁とる人すごいですね! きょうの鍋のスープはこれを使います」

そういって見せてくれたのは、長崎ちゃんぽんの素だった。

大阪市の中央部、天王寺エリアに暮らすキハラさんは現在32歳。私立中高一貫校の教員をされている。

角部屋1Kの部屋はわりにゆったりとした造りで築浅な感じ。大体週1度ぐらいは自炊されているそう。

「だから野菜が足りてなくて。普段はサラダを買って帰ることが多いんですけど、冬場は野菜補給もかねて鍋をやります。30歳過ぎたら野菜が好きになりました、逆に肉はあまり食えなくなりましたねえ」

嘆くように言いながら、煮え立った鍋にカット野菜1パックをすべて入れる。

キャベツ、ピーマン、にんじん、もやし入り。さらにもやしを1/2パック加えた。おお、本当に野菜たっぷり。

包丁はないので、豚ばら肉はカットせずそのまま入れる。強めの火加減でしっかりと煮ていく。

「いや、どのくらい煮ればいいのか分からないんです(笑)。もう煮えてますか? 名前のない鍋っていうけど、名前をつけるなら“行きあたりばったり鍋”ですね。僕の生き方と一緒です」と笑った。

アルミ製らしき両手鍋は直径18㎝ぐらい、きれいに磨かれている。たまにしか料理しないから汚れないというものでもない。道具をきれいに扱うひとなのだな。

コンロの周りはパスタケースや調味料があれこれ並んでいたが清潔感があって、キハラさんの人柄が感じられた。

「こんなもんかな……?」と、長崎ちゃんぽんの素を適量入れて完成。一発で味の決まる調味アイテムの便利さを思う。

ちなみにちゃんぽんの素は、仕事で九州に赴任されている親御さんが送ってくださったのだそう。

コンロの火を止めたキハラさん、隣の部屋に小さな卓を出して、取り鉢と鍋敷きを並べた。きちんと鍋敷きを使われるんだな。そして冷蔵庫からお酒とかんずりも取り出した。

「かんずり含め、辛いものが好きなんです。辛いもの食べてるときは、つらいことが消えていく感じ(笑)」

かんずりとは新潟県の特産品で、塩漬けにした唐辛子を糀やゆずと共に発酵させたもの。まろやかな辛みが特徴で、鍋の薬味として使う人は全国的にも増えている。

お酒は宝焼酎のハイボール缶ドライだった。これ、ほんのりとした甘さが飲みやすいんだよな。

プシュッと缶を開けて、きょうイチの笑顔を見せてくれた。このところ忙しい日々が続き、晩酌が何よりのガス抜きタイムになっている。

鍋のスープをひとすすりしたキハラさん、「うん、うまいじゃないですか」と嬉しそう。

味見させてもらえば、たっぷり野菜からの出汁とちゃんぽん風味が合わさって、やさしい味わいになっていた。しかし鍋をつつかれる表情の、いいこと。小鍋とハイボールと少々のかんずり、「これさえあれば」といったご満悦の雰囲気に、私まで嬉しくなってくる。

元号でいえば平成3年、大阪市住之江区に生まれた。小学校に上がる頃、府北部の茨木(いばらき)市に越す。

「いわゆるベッドタウンって感じです。僕が子どもの頃の茨木はまだ田んぼも多かったんですけどね。小学校の頃は同級生とよく野球なんかもしてましたが、中2ぐらいからインドアになって。小説に興味を持ちました」

小説サイトに投稿していた友人に影響を受けた。自分も書きたいという意欲が湧きおこり、投稿してみたら良い反応をもらえて嬉しかった。高校時代も書き続け、とあるコンテストに応募する。

「高2の春休み、1か月かけて書いて。思い出づくりみたいな気持ちでしたが一次選考で落ちました。まあ、そうなるだろうって思いましたけど」

十代後半という感受性の強い時期、ショックも落胆もあったろう。だが結果は芳しくなかったにせよ、「最後まで作品を仕上げる」という経験はキハラさんに多くのものを与えたんじゃないだろうか。

17歳のご自身ってどんな感じでしたかと聞いてみたら、即座に「こじらせてました」と返ってきた。

執筆や読書にのめり込んでいたこともあり「成績もガクンと落ちて」いた。通っていたのは進学校、大学受験まで1年を切っているタイミングである。

デスクとベッドがある居間には小説やコミックに映画のソフト、イラストなどがいっぱい。興味の幅の広さに圧倒された
デスクとベッドがある居間には小説やコミックに映画のソフト、イラストなどがいっぱい。興味の幅の広さに圧倒された

「受験勉強に全然本気になれなくて。親は心配してたようですけど『勉強しろ』とは一切言わないんですよ。ただ大学に行ってほしいというのは伝わってきました。それでやっぱり……小説が好きだから、文学部に行こうと決めて」

高校3年の冬から受験勉強に本腰を入れる。

当時好きで読んでいた作家を聞いてみたら「一番が江戸川乱歩で、あとは坂口安吾とか太宰治」とのこと。うーん、コンテストに投稿された小説を読んでみたかったな。

ともかくも立命館大学の文学部に合格する。大学生活は肌に合い、解放感を得た。今まで生きてきた中で「一番楽しかった」と弾む声で言われる。

「自由で面白いやつがいっぱいで。ぶっ飛んでるんですよ、単位をまったく気にしないやつもいれば、25歳の8回生もいる。自分のこじらせなんて大したことないなあって。同時に彼らほど逸脱するのは出来ないとも感じました。僕は臆病なんですね」

シメには別ゆでしたラーメンを投入
シメには別ゆでしたラーメンを投入

臆病とは堅実とも言い換えられるし、それはどんなに人生で役立つことか……なんて思いもしたが、黙って聞いていた。

大学生活はSNSが社会で広がり出した頃と重なり、交流の輪がグンと広がる。学内で本好きと繋がり、文学フリマに参加するようにもなる。

大学院に進み、山田風太郎を研究した4年間は人生の宝物となった。指導教授に心酔したのだった。

「こんなにも知的な人がいるのかと。話がすべてめちゃくちゃ面白くて、自分がまったく知らない世界を見せてくれた。きちんと勉強してこないと『知的に誠実じゃない!』と指摘されて、怖くもありましたが鍛えられました」

「教授は人生の蓄えをくれた」と嬉しそうに話しながら、焼酎ハイボールをクイッと飲んで、シメの麺をすする。在学中に教員免許も取得、卒業後は教員の道を選ぶ。

「生徒と話していて『今の言葉は、響いたのかな』と感じられたときにやりがいを感じます。子どもたちはひとりひとり違う。日々成長してるから毎日違う刺激があって、そこがいい。でも響くようなこと言えるのは、本当にたまで(笑)」

現在までに3回、勤務校が変わられたとのこと。

「学校のスタイルも本当にいろいろで、最初は超受験校でした。勉強しかやらせないという感じがつまらなく思えて、次は大学の附属校を選んで」

なるほど、自分で勤務校を変えて教師としての幅を広げてきたわけか。

玄関に貼られた、自分へのメモ
玄関に貼られた、自分へのメモ

「今働いている学校はテスト以外でも、いろんな方法で生徒の成果を見るんです。たとえば小説やエッセイ、絵本なんかを作らせることも。その添削は大変ですがやっぱり素晴らしい作品があるんです。受験ノウハウ以外の様々なことに触れされる教育に面白味を感じますね」

創作や執筆に喜びを見出す子どもたちの熱意に触れたとき、たまらない嬉しさを感じているようだった。かつての自分を見るような思いだろうか。

「正直、進学も就職も行きあたりばったり。でも今は、いい職に就けたなって」

心からの言葉と私の耳には響いた。そして鍋もあらかたなくなり、キハラさんはちょっと飲み足りなさそう。

「近くにいい角打ちがあるんです、飲み直してこようかな」

取材も終了、一緒に表に出た。あたりはすっかり暗くなり、大阪名所のひとつ『あべのハルカス』が遠くに輝いている。

まだ秋風の季節だった。酒場に向かうキハラさんの、気持ちのはやるようないそいそとした感じの足取りがなんともよかったことを思い出す。

キハラさん、きょうはどんな話を生徒にされているだろう。

取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター。「暮らしと食」をテーマに、忙しい現代人のための手軽な食生活のととのえ方、より気楽な調理アプローチに関する記事を制作する。主な著書に『自炊力』(光文社新書)『台所をひらく』(大和書房)など。10月25日に『名前のない鍋、きょうの鍋』(光文社)を出版予定。
Twitter:https://twitter.com/hakuo416
Instagram:https://www.instagram.com/hakuo416/

みなさんは、どんな時に鍋を食べますか?
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白央篤司『名前のない鍋、きょうの鍋』(光文社)

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