連載
#11 小さく生まれた赤ちゃんたち
22週450gで生まれ、寝たきりの息子 「かわいい」に救われた
毎日20〜30回のたんの吸引など医療的ケアも必要です
妊娠22週450gで生まれた4歳のほーちゃんは、重度の障害があり医療的ケアが必要な男の子です。寝たきりで、1人では起き上がることができません。生まれた当時、両親はどう向き合えばいいか戸惑ったといいます。しかし今は、「かわいい立派な我が子」と胸を張り、「息子のおかげで当たり前の幸せに気づけた」と口をそろえます。そこに至るまでの思いを聞きました。
毎日20〜30回のたんの吸引、液状の栄養食や薬・水分をチューブに通して胃へ送る……。両親が「ほーちゃん」と呼ぶ川村穂積さん(4)には、日々医療的ケアが必要です。父・勝信さん(32)と母・絢子さん(29)がケアにあたります。
ほーちゃんは2018年8月、予定日より4カ月ほど早い妊娠22週4日(妊娠6カ月)で生まれました。体重は450g。多くの赤ちゃんは妊娠37~41週で生まれ、平均出生体重は約3000gです。
突然の陣痛から出産となった絢子さんは「ただただパニックでした」と振り返ります。「年子の姉を産んだときはトラブルがなく、10カ月おなかにいることが当たり前だと思っていたんです」
当時、仕事で自宅がある三重県を離れていた勝信さんも、すぐに病院へ駆けつけました。すると医師から、「22週で生まれたら生きられないこともある、命が助かっても障害が残る可能性がある」と告げられたといいます。
一度帰宅して身支度を整えた勝信さん。その際、「お風呂でひと泣きして気持ちを切り替えた」そうです。
「妻はもっと不安なので自分がしっかりせなあかんなと思って。できるだけ笑うようにして、妻も笑わせようと決めました。でも、実際気持ちはブレブレです。どう受け止めたらいいのか分かりませんでした」
経膣分娩での出産から約6時間後。NICUで初めて目にした我が子は、口から呼吸器のチューブが入れられ、様々な機械がつながっていました。
ごく小さく生まれた赤ちゃんはあらゆる臓器が未成熟で、さまざまな合併症のリスクもあります。
生後2日目、ほーちゃんは肺や脳から出血。脳のなかの「脳室」に髄液が過剰にたまってしまう「水頭症」という状態になり、難治性てんかん「ウエスト症候群」、脳性まひなどと診断されました。
絢子さんは、この頃NICUに通った日々を「使命感で会いに行っていた」と振り返ります。
生後3カ月頃、初めて保育器の外でほーちゃんを抱っこしましたが、「全然かわいいと思えなかった」と勝信さんに泣きながら伝えたそうです。
「かわいいと思う余裕はなく、日々『早く産んでつらい思いをさせている』という償いのような気持ちがありました。ずっと自分を責め続け、自信がなくてネガティブになっていました」
勝信さんも絢子さんも、これまで障害がある人や支える人たちとの関わりはほとんどなく、どう接していいのかも手探りでした。
だからこそ、看護師や介護職のスタッフが「ほーちゃん、かわいいね」「癒される」と声をかけてくれたときは驚いたといいます。
絢子さんは「目も合わない、言葉もしゃべれないほーちゃんに『かわいい』と言ってくれる。ほーちゃんにかけてもらえる言葉で、『かわいい』が一番うれしいです。わが子を受け入れられるようになったのは、みなさんが『かわいい』と言ってくれたことも大きいです」と話します。
最終的にきちんと気持ちを整理できたのは、生後半年でほーちゃんが退院し、自宅での生活が始まってからでした。
在宅酸素療法が必要な状態でしたが、一緒に暮らしていくなかで、「大変9割、かわいい1割」だった感情が徐々に切り替わっていったそうです。
とはいえ、医療的ケア児を育てながらの共働きは厳しい日々でした。
ほーちゃんの退院当時、勝信さんは運送業の会社員、絢子さんは美容サロンを運営しながらケアに当たっていました。
まつげエクステの施術をするアイリストでもある絢子さんは、ほーちゃんの世話をしながら接客することもあったそうです。
退院から2年間、ほぼ毎月体調を崩し、そのたびに1週間から1カ月ほど入院していたほーちゃん。
入院は24時間親の付き添いが必須でした。勝信さんと絢子さんが交代で付き添いましたが、長期間会社を休んだり、サロンの予約を断わったりする必要がありました。
2020年夏、共働きを続けることに限界を感じ、勝信さんは仕事を辞めました。以来、ほーちゃんの世話は主に勝信さんが担い、絢子さんがフルタイムで働いています。
勝信さんは「病院に連れていくための早退も多かったですし、同僚からよく思われていなかったと思います」と話します。
「それがつらくなかったと言ったら嘘になる。でも家族ファースト。妻に負担がかかるとつぶれてしまうし、自分を責めてしまうと思い、僕も無理をしていた時期がありました」
退職には葛藤もありましたが、勝信さんは「母親が笑顔で明るくおってくれると、子どもも家庭も明るくなると思っているんです。妻には自分のやりたいことをやってほしいと思い、僕が主夫になりました」と話します。
2022年3月、気管切開の手術を受けたあとは体調が上向き、入院も半年に1回程度になりました。デイサービスに通っていることもあり、勝信さんは週に数回、ボクシングジムのトレーナーとして働けるようになったそうです。
フルタイムで働きたい気持ちはありますが、「『現状でなんとかするしかない』ですね。そんな精神をこの状況が培ってくれている気がします」。
手当や補助は受けているものの、「医療的ケアに必要な用品を病院から渡されていても、汚れて頻繁に交換することもあって数が足りません」と話します。
「医療用品を自分で用意したり、病院へ通う高速代やガソリン代がかかったりして、経済的に苦しいと感じる方もいるのではないでしょうか。今住んでいる自治体は窓口で様々な情報をくれますが、以前住んでいた地域は違いました。自治体でサポートに差が出るのは残念です」
早く小さく生まれた赤ちゃんには医療的ケアが必要なケースもあります。2021年度、医療的ケア児は推計2万人を超え、直近10年間で約2倍になりました。
日本小児在宅医療支援研究会代表理事を務める田村正徳医師(新生児科)は、「新生児医療の進歩によって今までは助からなかった赤ちゃんが助かるようになり、医療装具をつけたお子さんが退院するようになりました」と説明します。
特に妊娠22、23週で生まれる赤ちゃんの救命率が上がりました。田村医師の調査によると、1960年代に1000g未満で生まれた赤ちゃん(超低出生体重児)は10人に1人しか助かりませんでしたが、近年は10人に9人が助かるようになったそうです。
一方で、小さく生まれるほどNICUの入院期間が長くなり、NICUの病床不足を招きました。
「2013年の調査では、NICUに1年以上長期入院するお子さんの29%が先天異常、27%が『極低出生体重児(1500g未満)』という結果も出ています。その後、病床数を増やすとともに、医療的ケアが必要で長期入院をしていた子どもたちを在宅医療で受け入れるように体制が整えられていきました」と田村医師。
「在宅医療へ移行できなければ長期入院するお子さんが増えてしまいます。NICUから小児科病棟に移動するなどしても高額な医療費がかかり、小児の医療体制は成り立たなかったかもしれません。その代わり、在宅医療を受け入れたご家族、特に母親の負担が大きくなりました」と指摘します。
2021年に医療的ケア児支援法が施行され、全国各地で医療的ケア児や家族を支援する「医療的ケア児支援センター」の開設が進んでいます。厚生労働省によると、2022年8月末時点で34道府県49カ所に設置されていて、22年度内に8都県が設置予定です。
このほか、人工呼吸器を使っていても家族の付き添いなしで保育所や幼稚園、学校へ通えるようにする動きも出てきました。
田村医師は、「医療的ケア児の増加は医療が進歩した結果です。ご家族を孤立させないように、定期的な保健師の訪問や情報提供など、社会全体で責任をもってサポートしていかなければいけません」と話しています。
1/21枚