ここ数年、テレビドラマや映画の脚本を担当する“脚本芸人”が増えた。バカリズム、ピース・又吉直樹、かもめんたる・岩崎う大、シソンヌ・じろう、空気階段・水川かたまり、ハナコ・秋山寛貴らは代表的なところだ。しかし、こうした流れはどこから生まれたのだろうか。キーとなる芸人やバラエティー番組の文脈から、現在に至った理由について考える。(ライター・鈴木旭)
バカリズムの活躍が目覚ましい。『家事ヤロウ!!!』(テレビ朝日系)や『バズリズム02』(日本テレビ系)といったレギュラー番組を抱える中、今年に入って『上田と女が吠える夜』(日本テレビ系)や『トークィーンズ』(フジテレビ系)などのトーク番組にもゲストとして登場。
また10月には、タイプの異なるピン芸人・陣内智則と『陣内バカリのピン芸人アップデート大作戦』(カンテレ・フジテレビ系)で共演するとともに、6週連続で『私のバカせまい史』(フジテレビ)の放送がスタートするなど、目に見えて露出が増えている。
その一方で見逃せないのが、脚本家としての存在感だ。2014年に放送の『素敵な選TAXI』(カンテレ・フジテレビ系)で「第3回市川森一脚本賞」奨励賞、2017年に放送の『架空OL日記』(読売テレビ・日本テレビ系)で「ギャラクシー賞」月間賞およびテレビ部門特別賞、「第36回向田邦子賞」を受賞。
このほか、『ノンレムの窓』(日本テレビ系)でドラマの原案・脚本、案内人を務め、『地獄の花園』(ワーナー・ブラザース)や『ウェディング・ハイ』(松竹)などの映画脚本を担当。来年1月には、やはり脚本で参加した安藤サクラ主演のドラマ『ブラッシュアップライフ』(日本テレビ系)の放送が予定されるなど、クリエイターとしても引っ張りだこだ。
まさに“脚本芸人”の先駆けと言えるが、いつからこのような流れができたのだろうか。
バカリズムより先に、作家活動をスタートさせた芸人の一人が劇団ひとりだ。
2006年に『陰日向に咲く』(幻冬舎)で小説家デビューし、100万部を突破するヒットを記録。2008年に同名タイトルで映画化もされている。2010年には2作目となる小説『青天の霹靂』(同)を発表すると、今度は2014年に自ら監督・共同脚本を務め映画化(いずれも東宝)。昭和の東京・浅草と芸人の世界を丁寧に描き、高い評価を受けた。
その後、2016年の『クレヨンしんちゃん 爆睡!ユメミーワールド大突撃』(東宝)で脚本、2021年の『浅草キッド』(Netflix)、2022年の『24時間テレビ 「愛は地球を救う」45』(日本テレビ系)内のドラマ『無言館』で監督・脚本を務めるなど、徐々に裏方の活動を増やしている。
そもそも幼少期からビートたけしにあこがれ、お笑いの世界に興味を持った芸人だ。同じ路線をたどりながら違った持ち味を表現する、ということが劇団ひとりの指針となっているのかもしれない。
メジャーシーンで作家活動をスタートさせた劇団ひとり以前にも、早くから映画の世界に足を踏み入れた芸人はいる。幼少期から大の映画好きだった品川庄司・品川祐は、2003年のオムニバス映画『監督感染』の1編『TWO SHOT』で監督・脚本・主演を務め、その後、執筆した小説『ドロップ』『漫才ギャング』(ともにリトルモア)が立て続けに映画化。自身で監督・脚本を務めた。
また、ラーメンズ・小林賢太郎(2020年、コンビでの活動を終了)も映像作家・小島淳二と映像制作ユニット「NAMIKIBASHI」を組み、精力的に作品を発表。2001年に『VIDEO VICTIM』、2005年に『VIDEO VICTIM2』、2007年に『THE JAPANESE TRADITION 〜日本の形〜』とコンスタントにDVDが発売され、ラーメンズのクールな笑いが映像表現と結びついた。
また、ショートフィルムを集めたオムニバス映画『Jam Films 2』(東芝エンタテインメント・2004年公開)の『机上の空論』で脚本・役者を担当。バラエティーに露出せず、舞台を含めた創作活動をメインとする小林は、そのほかの芸人とは明らかに一線を画していた。「クリエーター≒芸人」というイメージは、彼から始まったといっても過言ではないだろう。
先に触れた芸人たちには、ある共通点がある。1990年代から芸人として活動を始め、2000年代になってバラエティー以外の世界で活躍し始めたことだ。
品川はブレークが早く、2001年10月には冠番組『品庄内閣』(TBS系)がスタートした。しかし、威勢の良さが仇となり半年で番組は終了。その後、小説や映画製作に力を入れ始めている。
2000年代中盤は、ひな壇形式のトーク番組『アメトーーク!』(テレビ朝日系)が人気となり、あらゆる雑学に詳しい芸人が活躍し始めた頃だ。品川はバラエティーでうまく立ち回りながら、もともと興味のあった映画の世界で自分の実力を試してみたくなったのだろう。
またこの時期、東京のライブシーンではバナナマン、ラーメンズらが確固たるポジションを築いていた。劇団ひとり、ピン芸人になったばかりのバカリズムも単独ライブによって支持を得ていた時期だ。
彼らのライブは、舞台演出にこだわったものが多く、「お笑い」というよりも「舞台作品」に近い質の高さを持っていた。たびたびバカリズムは、「(コントとドラマ脚本とでは)基本は変わらない」と言っているが、それは「緻密な単独ライブを毎年行っている」という自信からくるところも大きいだろう。
かつては、『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)をきっかけに注目を浴びたシティーボーイズ、イッセー尾形など舞台を中心に活動する者もいたが、それで生計を立てるのは一握りと言われていた。
しかし、レンタルビデオ店が全国に展開され、2000年前後からDVDが一般に普及するようになったことで芸人の活動にも変化をもたらした。とくにラーメンズは、ライブ中心の活動を実現させた第一人者と言えるだろう。
とはいえ、彼らの若手時代は、劇作家・放送作家が脚本を担当することが多かった。
これは、青島幸男や永六輔といったテレビ創成期の放送作家から続く流れだ。もともとの出身分野は異なるものの、バラエティーの構成を担当していた者が、小説家・作詞家・劇作家・タレントなど活動の幅を広げていくことは珍しくない。
1980年代以降のドラマ脚本について言えば、三谷幸喜、君塚良一、秋元康、鈴木おさむ、宮藤官九郎らが代表的なところだろう。
ライブシーンにおいても、ウッチャンナンチャン・内村光良の従兄で放送作家の内村宏幸が「マセキ芸能社」のライブ演出を務めていたり、元芸人のオークラが「人力舎」のライブでユニットコントの台本を担当し、バナナマンや東京03の単独ライブに携わったりしている。
2011年まで毎年のように舞台公演を行ってきたシティーボーイズが、作・演出に宮沢章夫、三木聡、細川徹といった放送作家を必ず招いていることからも、1980年に入るまでは「演出・台本は作家が担当するもの」という考えが根強かったのだろう。
その風潮が変わったのは、1980年代初頭の漫才ブームからだろう。かつては、漫才師にネタを提供する漫才作家が活躍していたように、演者とブレーンは暗黙の棲み分けがあった。しかし、漫才ブームをけん引したB&B、ツービート、島田紳助・松本竜介らは、自分たちでネタや衣装を考えて漫才を披露し始めた。
ビートたけしが『その男、凶暴につき』(松竹富士・1989年公開)で映画監督デビューを飾ったのは、単なるネームバリューだけではなかったはずだ。漫才のネタを作り、番組企画に携わり、役者として映画やドラマに出演したこともある素地によって白羽の矢が立ったと考えるほうが自然だろう。
とはいえ、その後しばらく芸人が映画監督を務めることはなかった。
2000年代中盤までは、三谷幸喜、松尾スズキ、宮藤官九郎、三木聡など、やはり劇作家・放送作家が映画の世界で活躍。テレビドラマで脚本を担当し、満を持して監督デビューを飾るパターンが多かったのだ。
しかし、内村光良が映画『ピーナッツ』(コムストック・2006年公開)で監督・脚本・主演を務めたのを皮切りに、ダウンタウン・松本人志が映画『大日本人』(松竹・2007年公開)、品川庄司・品川が映画『ドロップ』(角川・2009年公開)で監督・脚本を担当するなど少しずつ状況が変わっていく。
内村の場合は、そもそも映画監督志望であり、「劇団SHA・LA・LA」で脚本・演出を担当していたこと、役者経験も豊富だったため撮影現場をよく理解していたこともあるだろう。
一方の吉本興業の芸人においては、事務所自体が映画製作に進出した影響が大きい。第1弾の映画『大日本人』の公開後、木村祐一の『ニセ札』(ビターズ・エンド・2009年公開)、130R・板尾創路の『板尾創路の脱獄王』(角川・2010年公開)といった作品が次々と公開された。
2009年からは、コメディー作品を中心とする「沖縄国際映画祭」を開催。吉本興業のタレントが役者、監督、脚本を務める映画が多数上映されることになった。その後、2014年に劇団ひとりが映画『青天の霹靂』の脚本・監督を務めた頃には、芸人が映画製作に関わることへの偏見もなくなっていた。
他方で、1990年代後半に小劇場系の劇作家で俳優の後藤ひろひとが吉本興業とマネージメント契約を締結。大阪を拠点とする活動の中で、演劇の世界に芸人を取り込んでいった。
後藤は2008年に公開された映画『パコと魔法の絵本』(東宝)の原作となる舞台『MIDSUMMER CAROL ガマ王子 vs ザリガニ魔人』(2004年上演)の作者である。「吉本新喜劇」とは別の路線を提示した意味で影響は少なくないだろう。
かねてよりテレビの世界では、『東京イエローページ』(TBS系・1989年10月~1990年9月終了)や『竹中直人の恋のバカンス』(テレビ朝日系・1994年7月~1995年1月終了)など、演劇ユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」に参加していた竹中直人を中心とする先進的なコントを披露する深夜番組もあった。
1990年代には、ゴールデン帯の『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)がスタートし、ダウンタウン、130R、今田耕司、東野幸治らが独自性の高いコントを披露。松本人志の特異な世界観が世に知れ渡ることになった。とはいえ、いずれも披露されたのはコントであり、バラエティーの枠の中で支持されたものだ。
ドラマについて言えば、6人組コントユニット・ジョビジョバがシチュエーション・コメディー『さるしばい』(1998年)、ワンシチュエーションのサスペンス『魔がサスペンス劇場』(2000年・ともにフジテレビ系)といった番組に出演している。
『魔がサスペンス劇場』では、リーダーのマギーが本名の児島雄一名義で脚本を担当。そもそも明治大学の演劇サークル出身であり、2002年12月のグループ活動停止後(2014年に再集結、2017年から活動再開)は俳優として活躍するメンバーも目立った。それだけに芸人という位置づけは微妙なところもあるが、後のコント師に与えた影響は少なくないだろう。
また、ジョビジョバのコントに影響が見られる『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS系・1986年1月~1992年3月終了)内のコメディードラマ「THE DETECTIVE STORY」では、ザ・ドリフターズの志村けんが制作に大きく関わっている。
芸人とコメディアンのニュアンスこそ違うが、同じお笑い畑の人間がドラマ制作(「ドラマ形式のコント」とも言えるが)に深く関与することになった原点と言っていいかもしれない。
こうしたお笑い界の文脈を引き継ぎ、2004年に放送されたのが『30minutes』(テレビ東京)だった。コントライブで人気を博していたバナナマン、おぎやはぎのほか、劇団「大人計画」の俳優・荒川良々が出演。
現在、ドラマ『エルピス-希望、あるいは災い-』(カンテレ・フジテレビ系)の演出を手掛ける大根仁が監督を務め、前述のオークラ、劇作家の赤堀雅秋、ブルースカイのほか、バナナマン・設楽統も脚本を担当した。
個人的には、この『30minutes』が“ドラマ脚本を書く芸人”の起点になったと考えている。
ドラマ制作、劇作家、芸人の接点が格段に増えたのは、2010年代に入ってからのことだ。『ゴッドタン』(テレビ東京系)の人気企画「キス我慢選手権」「ストイック暗記王」に劇団「ハイバイ」の主宰・岩井秀人らが登場。ストーリー性を重視した企画の中で、役者が仕掛け人として活躍するようになった。
2011年には、劇団ひとり、バカリズム、東京03、元ももいろクローバー(現・ももいろクローバーZ)の早見あかりによるシチュエーション・コメディー『ウレロ☆未確認少女』(テレビ東京系)が放送されている。
ももクロのメンバーが謎の多いアイドルグループ「未確認少女隊UFI」を務め、オークラ、劇団「シベリア少女鉄道」の主宰・土屋亮一のほか、第8話でバカリズム、東京03・飯塚悟志が脚本を担当するなど、ジャンルの垣根を超えた非常に自由度の高いものとなり、設定を変えシーズン5まで続く人気ドラマとなった。
翌2012年には、主演を務めるバナナマン・日村勇紀以外、共演者・脚本家・監督が毎回変わるドラマ『イロドリヒムラ』(TBS系)がスタート。錚々たる脚本家・監督が参加する中、最終話でバナナマン・設楽が監督を務めたことでも話題となった。
また同時期、バッファロー吾郎Aと作家・俳人のせきしろが中心となってお笑いユニットグループ「ユーモア軍団」のイベントを開催。2013年には、劇団「ヨーロッパ企画」の主宰・上田誠が脚本を手掛けるユニットコントイベント「空いているのに相席」(第3回から「すいている」表記)がスタートし、バッファロー吾郎AやTHE GEESEらが出演している。
その一方で、2008年にコント日本一を決定する大会「キングオブコント」がスタート。ここで優勝し、知名度を上げた東京03、シソンヌは、単独ライブのチケットが手に入らないほどの人気を獲得した。その後、ゾフィー、空気階段、ハナコ、かが屋といった若手コント師たちは、彼らの後を追うように単独ライブに注力していった。
2010年代後半からは、続々と芸人がドラマ脚本を務めるようになった。話数ごとに脚本担当が変わるVTuber主演のドラマ『四月一日さん家の』(2019年)、『四月一日さん家と』(2020年・ともにテレビ東京)では、シソンヌ・じろう、さらば青春の光・森田哲矢、かもめんたる・岩崎う大が参加。
2021年1月~4月に掛けて放送された『でっけぇ風呂場で待ってます』(日本テレビ系)では、シソンヌ・じろう、ハナコ・秋山寛貴、かが屋・賀屋壮也、空気階段・水川かたまりがリレー形式で脚本を務めている。
今年6月には、吉住、空気階段・水川、かもめんたる・岩崎がリレー形式で脚本を担当する三夜連続のドラマ『脚本芸人』(フジテレビ系)が話題となり、9月には、新進気鋭の8人組ユニット・ダウ90000の主宰・蓮見翔が脚本・共同演出を務める『ダウ90000 深夜1時の内風呂で』(フジテレビ)が放送された。
一方で、2015年にピース・又吉直樹が小説『火花』(文藝春秋)で芥川賞を受賞。その後、年1回のペースで放送されている『誰も知らない明石家さんま』(日本テレビ系)内のドラマ、WOWOWオリジナルドラマ『椅子』(2022年)で脚本を務めるなど着実にキャリアを重ねている。
また、かもめんたる・岩崎は、2015年に「劇団かもめんたる」を旗上げ。演劇の芥川賞と呼ばれる「岸田國士戯曲賞」候補に2度選出されるなど高い評価を受け、ドラマ脚本の世界でも活躍するようになった。
歴史を振り返ってみると、今や芸人は、構成作家や番組の「演者」にとどまらず、質の高い作品を数多く生み出す「クリエイター」になったとも言える。
こうした時代の変化に加え、実際に先人となった脚本芸人たちがすばらしい作品を残してきたこと。それゆえにドラマや映画といった、一見すると畑違いに思われる制作側からも信頼され、オファーが来るようになったのではないだろうか。