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東京03、脱ダウンタウンに成功した王道の笑い ドリフの遺産継ぐ3人
角田・いかりやの〝意外な共通点〟
今年9月に放送された『ドリフに大挑戦スペシャル』(フジテレビ系)が大きな話題となり、本日18日に「もリフのじかん」武道館ライブが開催されるなど、いまだ注目を浴び続けるザ・ドリフターズ。そんなドリフの遺伝子を継ぐのがお笑いトリオ・東京03だ。彼らは演劇的な文脈にありながら、ドリフと同じくはっきりとした役割分担を持ち、エンタメ色の強いコントを特徴としている。ドリフと東京03、2組の持ち味が誕生した背景を振り返りつつ、王道の笑いとは何かを考える。(ライター・鈴木旭)
前提としてドリフと東京03、この2組には「ドタバタ劇」と「ドラマチックな会話劇」という根本的な違いがある。
いかりや長介が5人の笑いを“体戯(たいぎ)”と語っている通り、体を使い様々な音でメリハリをつけるのがドリフの強みだった。これに対し東京03は、演劇的で別のグループとユニットコントを行ったりするスタンスからも、シティボーイズ(もしくは、ラジカル・ガジベリビンバ・システム)の文脈にある。
ただ、はっきりとした役割分担を持ち、より見やすく、よりわかりやすい笑いにシフトしたという意味では、ドリフに近しいものがある。リーダーのいかりやが志村けんや加藤茶から足をすくわれるのは、ドリフのコントの典型的なパターンだ。東京03もまた、角田晃広の「虚勢を張る格好悪さ」「責任逃れするズルさ」といったものに対し、飯塚悟志がツッコミを入れて笑わせている。
演劇的なスタイルを持つことから、ドリフよりもストーリー性や人物設定を重視したコントではある。とはいえ、東京03にドリフにも似た安定感があるのは、この役割分担によるところが大きいだろう。
なぜ2組にこうした役割分担が生まれたのか。
ドリフは1964年、いかりやがリーダーとなったことでミュージシャンよりもコントグループの色合いを濃くしていった。極めつきは1969年10月スタートの『8時だョ!全員集合』(TBS系)だ。当時フジテレビでは、ハプニングやアドリブで笑わせる『コント55号の世界は笑う』が高視聴率を誇っていた。これに対抗するため、TBSプロデューサーの居作昌果が真逆の特徴を持つドリフに新番組の話を持ち掛けた。
居作が提示したのは、「毎週1時間の公開生放送」という条件のみ。ディテールは決まっていなかった。同じネタを続ければ、ドリフはあっという間に視聴者から飽きられてしまう……。いかりやは危機感を抱き、準備に準備を重ねた。ネタを練り上げ、みっちりとリハーサルを行い、大掛かりなセットを組む。そして、もっとも重視したのがメンバーの役割分担だった。
「嫌われ者の私、反抗的な荒井、私に怒られまいとピリピリする加藤、ボーッとしている高木、何を考えてるんだかワカンナイ仲本。(中略)ドリフの笑いの成功は、ギャグが独創的であったわけでもなんでもなくて、このメンバーの位置関係を作ったことにあるとおもう。もし、この位置関係がなければ、早々にネタ切れになっていただろう」(いかりや長介著『だめだこりゃ』(新潮文庫)より)
つまり、テレビに食いつぶされる危機感の中で、コントの骨組みとしたのが人間関係の笑いだったのだ。
一方の東京03は、飯塚と豊本明長のコンビ「アルファルファ」にお笑いトリオ「プラスドライバー」の角田が加入する形で結成されている。
2000年前後、東京の劇場はダウンタウンの漫才に影響を受けた若手であふれかえっていた。このことからも、1990年代のダウンタウンがいかに熱烈な支持を受けていたかがわかる。そんな状況下で頭角を現したのが、バナナマン、ラーメンズ、バカリズムといった面々だ。彼らはコントごとに新しいフォーマットを生み出し、次世代のお笑いシーンを築こうとしていた。
アルファルファやプラスドライバーは、こうした先進的な流れに乗ることができなかった。2組ともライブでウケてはいる。しかし、アルファルファはダウンタウンの影響下にある若手の1組に埋もれ、プラスドライバーはダウンタウン以前のわかりやすいフォーマットと角田の演技力で笑わせていた。
2002年、プラスドライバーは解散。アルファルファはコンビでの活動に限界を感じていた。そんな時期に飯塚と角田は急速に関係を深めた。親しくなるうち、飯塚は角田特有の「見栄っ張り」「ズルさ」「ダサさ」が面白いと感じ始める。これなら、自分たちらしいコントを作れるかもしれない……。新たなフォーマットを生み出せずにいた3人は、最後の望みを託すようにして2003年9月に東京03を結成した。
東京03の名付け親である放送作家・オークラによると、飯塚はそもそも他人の「ダサい部分」に人一倍敏感だったという(「クイック・ジャパン Vol.154」(太田出版)より)。そんな飯塚にとって、角田は独自のコントを作るのにうってつけの逸材だった。
また角田が加入したことで、ミステリアスな雰囲気を持つ豊本の存在感も増した。この位置関係は、ドリフにも似た強度を持っている。豊本がどこか仲本工事を連想させるのは、メガネという共通点ではなく、いかりやの言う「何を考えてるんだかワカンナイ」というキャラクター性によるものだろう。
庶民的な舞台設定が多い、という意味でも2組は非常に近いものがある。
ドリフが活躍する以前に人気を博した『てなもんや三度笠』(朝日放送制作・TBS系)は、三度笠をかぶって各地を放浪する映画『沓掛時次郎』をベースに作られた時代劇風コメディーだった。これに対して『全員集合』は、学校、会社、一軒家など、庶民的な現代劇を軸としてコントを披露した。
東京03においても設定は庶民的だ。とくにメンバーと同世代のサラリーマンを演じることが多い。この件について飯塚は、YouTubeチャンネル「ZOFFY CONTE STUDIO」の動画「【東京03飯塚とコントを語る②】東京03結成から劇的に変化したコントの作り方」の中でこう語っている。
「ダウンタウンさんにあこがれて最初はコント作ってたから、変わった設定、変わった状況……。それこそ妖精とかさ、普通の人じゃ思いつかないような発想のネタって(こと)ばっかり考えてたの。で、周りの芸人もみんなそんな感じだったの。シュールじゃないけど、日常を切り取ったみたいな人たちはあんまりいなくて。ちょっとその戦いに敗れて、『しんどいなぁ』って思ってた」
非日常的な設定を扱う若手が多かったことで、東京03はカウンターとなり浮き上がった。ドリフと似ているのは、それぞれのメンバーが生き生きとその世界に息づいていることだ。やはり王道の設定には、キャラクター性と役割分担が欠かせないのだろう。
最後に取り上げたいのが、2組が放つポップさだ。ドリフは、松竹新喜劇、吉本新喜劇のような“人情”を伴わない、カラッとしたコントで視聴者を魅了した。
泣かせるシーンを排除し、サスペンスや探検、時にファンタジーな世界観も取り入れながら、笑いにつながるワクワク感、ドキドキ感に焦点を当てた。また、コミックバンドらしく5人の役割を意識し、リズムや音で笑わせるのも特徴的だった。そこには、前提としてクレージーキャッツの存在があったことだろう。
東京03に視線を移すと、2000年前後はボケ、ツッコミの文化が全国区となっていた頃だ。前述の通り、当時は東京のライブシーンでもダウンタウンのような漫才が主流だった。アルファルファもそのライン上にいるコント師だったが、飯塚のツッコミには定評があった。
おぎやはぎ・矢作兼は早くから飯塚の実力を称賛しており、ドランクドラゴンを加えた3組でユニットコントライブ「東京ヌード」を行ったりもしている。今振り返れば浜田雅功の小気味よいツッコミをストレートな標準語で昇華できた唯一の芸人、それが飯塚だったといっても過言ではない。
コントでありながら、結果的にボケ、ツッコミの関係性が浮き上がるのはドリフも同様だ。また手法こそ違うが、うまく音楽の要素を盛り込み、政治性や文学性を持たないエンタメ色の強い舞台を作り上げるスタンスも共通する。この東西を問わないポップさが、2組の全国的な人気につながったと感じてならない。
考えてみると、角田といかりやは共通点が少なくない。そもそもは2人ともミュージシャン志望で、ハーモニカを得意としている。役者として活躍し、「見栄っ張りで不器用」という性格も似ている。グループにおける役割こそ違うが、どこか同じような安心感が漂うのはこうした面もあるのかもしれない。
飯塚は、今年7月からスタートしたニコニコ生放送のネット配信番組「もリフのじかん」でドリフの加藤、仲本、高木ブーと接点を持った。それだけではない。11月18日の武道館ライブでは、飯塚が書き下ろしたネタでドリフの3人と共演を果たす。ドリフがビートルズ来日コンサートの前座を務めて以来、55年ぶり2度目の武道館に立つタイミングだ。やはり、2組は縁があったのだろう。
ダウンタウンの洗礼を受け、演劇的な文脈とドリフの要素が入り混じる東京03。時間は掛かったが、彼らがたどり着いた場所こそドリフと同じ王道の路線だったのではないだろうか。
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