連載
#1 名前のない鍋、きょうの鍋
我が家の〝名前のない鍋〟一番ラクにすませたい時「具材は4つだけ」
あなたの「名前のない鍋、きょうの鍋」を教えてください
みなさんはどんなとき、鍋を食べたくなりますか。
いま日本で生きる人たちは、どんな鍋を、どんな生活の中で食べているのでしょう。そして人生を歩む上で、どう「料理」とつき合ってきたのでしょうか。
「名前のない鍋、きょうの鍋」をつくるキッチンにお邪魔させてもらい、「鍋とわたし」を軸に、さまざまな暮らしをレポートしていきます。
今回は、神奈川に住む経営コンサルタントの女性のもとを訪ねました。
望月啓子さん:1968年生まれ、神奈川県在住。大学卒業後、経営コンサルティング会社に就職。2008年、39歳のときに経営コンサルタントとして独立。既婚、高校生になるひとり娘あり。
大きなお鍋に日本酒が注がれ、どぶどぶっと威勢のいい音がキッチンに響いた。そこにだし昆布が加わる。
「きょうのお鍋はうちで一番適当なお鍋。一番時間のないときにやる鍋ですよ」
と屈託なく笑われる。特別な日のものでなく、普段食べているものを見せてくださいというお願いを快く引き受けてくださった望月啓子さん。お水は入れず、お酒だけで作るのですね。
「具材は白菜と長ネギ、エノキ、豚の薄切り肉の4つだけ。加えるとしたら、豆腐ぐらい? 煮えたらできあがり。キッチンで煮てから出すことが多いですね。卓上コンロで煮ながらやることもありますけど」
結婚して24年、夫と高校生の娘と3人家族。
きょうは豚モモのしゃぶしゃぶ用肉を選んだが、本当は豚バラ派。モモ肉は脂が少ない分、ローカロリーである。「だけどやっぱり、バラ肉のほうがおいしい」とまた笑った。明るくてさっぱりした話し方が印象的。
社会人になったのは1991年、男女雇用機会均等法が施行された5年後のこと。2年間働いたのち経営コンサルティング企業に転職、がむしゃらに働いた。
「残業という概念もない時代でした。ずっと会社にいて仕事するのが当たり前の感じで。ただ私は楽しかった。すごい先輩がいっぱいで、刺激を受けて」
夫とは社内恋愛、1997年に結婚。そして多忙の中やがて体調を崩し、子育ての大変さも加わり、2008年に独立する。
「忙しすぎて、だんだんと具合が悪くなって。会社は理解もあって産休もとれたんですけどね。仕事が好きだったから、背負い込みすぎていたんです。辞めると決めたら、それまでずっと止まらなかった咳がピタッと止まって。驚きました」
ハフハフと煮えたエノキをいただきつつ、越し方のことを教えてくれる。
30㎝径の鍋は高さもあって、容量もたっぷりだ。
「白菜とネギは私、くたくたになるまで煮たいんです」
そうそう、お鍋の定番具材であるこのふたつ、「食感を残したい派」と「よく煮たい派」に分かれがちなもの。
ところで、この鍋はいつ頃から使われているんですか?
「いつだろう……自分で買ったんだか、実家で使っていたのを持ってきたんだか。私、食器とか本当にこだわりがないんですよ(笑)。うーん、1997年ぐらいから使っている気がする」
望月さんは「料理があまり得意でない」という。ただそのことに負い目や引け目なども特に感じていない。
「母が病院の給食栄養士で、料理は得意なんです。『こんなふうにやるのはムリ!』と思って。家で何品も作らなくていいよね、という思いは最初からありました」
きょうは何を作ろうとかひらめかないし、思いつかない。でも、それでいいとあっけらかんとしている。
「おいしいよりも、ラクがいい。鍋はいいですよね、野菜もたんぱく質もとれて。冬は週3回ぐらいやるかな。味つけしなくても、各自の好みで調節できるのもいい」
だし醤油、昆布ポン酢、ユズ胡椒のトリオが望月家の定番のよう。お鍋はこういう「味変」の楽しさもいろいろとある。
ちなみにお酒だけで煮た鍋の汁はコクがあって、うま味が強かった。アルコールはすっかり飛んではいるが、心なしかお水だけで煮るより体があったまる気がする。
「うち、お鍋をしたら大量に作って次の日も食べ続けたりしますよ。翌朝はお餅入れて煮たり。別に分けて醤油で味つけして、スープジャーに入れて娘のお弁当にもしますし」
てらいなく、家ごはんのリアルな姿を教えてくれる。自炊、そして家の食事作りをラクにするものは「うちはうち」「うちはこう」という揺るぎない意識を持つことだと私は常々思っているが、望月さんはまさにその体現者だ。
「うちは夫もこだわらないんです。だからラクで。夫がごはんにこだわる人できれい好きな人だったら結婚は無理でしたね(笑)。夫は姉がふたりいるんですよ。姉がいる人って女性にあまり幻想を抱かないと思います」とは望月さんの持論。取材日は仕事で夫さんがおらず、お話を聞けなかったのが残念だ。
「夫は料理上手。私よりひらめき力があって、仕事が忙しくてもうまく切り替えて料理にかかれる」
私はそうはできない、と望月さん。現在、望月家の料理担当は主に夫さんだそう。
望月さんは、夫婦でコンサルティング会社を経営している。銭湯などの温浴施設に関するコンサルティングが専門だ。各地でリノベーションされた銭湯が増えているが、簡単にいえばその際のアドバイス業務を行っている。
「銭湯って今、高齢者のコミュニティエリアになっていることが多いんです。そして経営者は若い人も増えてて、彼らの意見やアイディアも新鮮で。コロナになって、『どこも開いてないから』と今まで来なかった層が銭湯やスーパー銭湯に来て、その楽しさを知ったという人も増えているんですよ」
仕事の話になって、望月さんは目を輝かせた。いろんな年代がひとつに集う場所の開発、そこに携われるということにやりがいを強く感じているという。
「旅行が自由になったら、海外の浴場を訪ねていろいろと勉強してきたい」
目下の夢である。
取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター。「暮しと食」、日本の郷土料理やローカルフードをテーマに執筆。主な著書に『にっぽんのおにぎり』(理論社)『ジャパめし。』(集英社)『自炊力』(光文社新書)などがある。ツイッターは@hakuo416。
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