マンガ
コロナ明けたらしたいこと、漫画に「殺伐とした空気を1ミリでも…」
収束したとき、あなたがやりたいことは?
漫画家の夢をあきらめられず、思い切って会社を辞めて「マンガ1本」に絞った途端に見舞われたコロナ禍。そんな中で漫画家うえはらけいたさんは、幼なじみ二人の成長と恋模様を描いたマンガをツイッターに投稿し始めました。「ふれ合える幸せ」を描いた作品は反響を呼び、『コロナが明けたらしたいこと』として書籍化。「殺伐としていたネットの空気を『1ミリだけでも、漫画の力で変えられないだろうか』と考えた作品です」と話します。
『コロナが明けたらしたいこと』(アスコム、2021年8月出版):主人公の男の子・おさむと、幼なじみの女の子・つかさの日常と成長を描く作品。1993年4月、保育園の入園式で出会った二人は手をつないで写真を撮ります。その後、小学校、中学校、高校、大学を経て、新型コロナウイルスが“おおむね収束”した現代までの約30年が描かれています。うえはらさんがSNSに投稿したマンガの書籍化。
「投稿し始めたばかりの頃は、こんなにコロナが長引くなんて思ってもみませんでした」
うえはらさんがTwitterにマンガを投稿したのはコロナ禍で緊急事態宣言が初めて出されたばかりの2020年4月。殺伐とした空気のSNSを見て「何かできないか」という思いがあったといいます。
「人と会う機会がすっかり減ってしまった今こそ『ふれ合える幸せ』を描きたいと思いました」
登場する二人の名前は「収束」からとって「おさむ」と「つかさ」。10話に1回はハイタッチや握手・ハグといったふれ合いやスキンシップを描きました。MDやたまごっち・フィルム付きレンズといった、特に30代には懐かしいアイテムを盛り込みます。
「現代につながる話にしたかったので、過去に流行した物を積極的に出そうと、卒業アルバムを実家から持ち帰ってエピソードを描きました。自分の人生を振り返るような思いもありましたね」
小児ぜんそくで身体の弱かったといううえはらさん。小さな頃から絵を描くのが好きで、友人に「漫画家になりたい」と話していました。しかし実際には「現実的ではないな」と考え、大学卒業後は広告代理店でコピーライターとして働きます。
ただ、同じチームで働くデザイナーの働きぶりをみているうちに「絵の仕事がしたい」と27歳の頃に退職。美大に編入して絵を学び、卒業制作で初めて本格的にマンガを描きました。
卒業後は広告代理店でデザイナーとして働きつつ、副業としてマンガを描いていましたが、30歳になると「時間が足りない」と焦りを感じるように。31歳のとき「マンガ1本にしぼろう」とフリーランスになりました。
「会社員を辞めて漫画家になった先輩漫画家に話を聞くと、みんな『漫画家になるのに最適なタイミングなんてない』と背中を押してくれました。僕も『思い切ってやるなら今かな』と挑戦しました」
しかし「マンガ1本」の道を選んだ2020年4月は、まさにコロナ禍が始まったばかり。漫画業界がどんな影響を受けるのか不安もありました。
家から一歩も出てはいけないような雰囲気で、友人とも全く会えず、在宅で働くうえはらさんは「人と会わないことってこんなにメンタルにくるんだな」と感じたといいます。
「これが数カ月以上続いたら、人肌恋しくなるだろうなと思って。その大切さをテーマにするべきだと考えました」
「殺伐とした空気をなんとか和らげたい」「少しでも明るい気持ちになってほしい」と考えると、自然と『コロナが明けたらしたいこと』の原作となる「コロナ収束したら付き合うふたり」のマンガを描けたといいます。
「コロナ収束したら付き合うふたり」
— うえはらけいた|漫画家 (@ueharakeita) April 7, 2020
第1話 pic.twitter.com/KU5AFRK0kz
うえはらさんは「会社員気質の僕は〝自分のため〟にはマンガが描けなかったんです。〝誰かのため〟だったら描けた」と振り返ります。
4カ月ほどかけて連載は完結。「これで作品を終わらせてはもったいない」と考え、マンガ賞に応募したり、個展を開いたり……。
地道に発信を続けていたところ、マンガのSNSを運営する「コミチ」のコミチ漫画賞を受賞。編集者から書籍化を打診する話がきたといいます。本にするにあたって、結末を少し変えたり、全ページに修正を入れたりしたそうです。
「私もコロナが明けたら何がしたいかなぁと考えた」「コロナ後の世界のことを思うための一冊になった」――。1冊の本になったことで、ネットの連載時とは違った反響や連絡が寄せられたといいます。
一番嬉しかったのは、小学校時代の友人からの連絡でした。
「漫画家になる」という夢をずっと覚えてくれていて、大人になってからも会うたびに「いつ漫画家になるの」「早くマンガ描けよ」と背中を押してくれていました。
「出版を報告したら、『マンガ本編では泣かなかったけど、おまえが漫画家になったことに涙が出た』とLINEをくれたんです。じーんとしましたね」
ほかにも「介護職の人に読んでほしい」といった意外な感想も寄せられ、「自分の意図の外側に届いている感覚でした。『これが作品をつくる』ってことなのかなと思いました」と振り返ります。
マンガは「コロナがおおむね収束した」と発表され、エンディングを迎えます。
うえはらさんは「現実ではようやくワクチンの接種者が半数を超えたところ。現実はきれいな幕切れにならないんだろうなと思っていて、マンガでは前向きに、分かりやすく描きすぎているなという反省はあります」と話します。
うえはらさんの好きな音楽ライブは今も無観客開催が多く、“その場の勢いで誰かと飲みにいく”ということもありません。「後ろめたさもなく、ライブやフェスといった生のエンターテイメントを楽しめる日々に早く戻ってほしいです」と言います。
「描いた当時は『早くこんな収束を迎えてほしい』という思いもあり、二人の関係性を優先して物語を描きました。次に似た話を書くとしたら、『分かりやすい収束の日なんて来ない』ことや、人間社会の複雑さやカオスさをもっと描きたいですね」
会社員を経て漫画家になる人は多くありません。うえはらさんは自身の経験をいかして、「『仕事がつらい』と感じる働く人たちを励ませるような、働く人が主人公のマンガを描きたいです。僕もつらい時期はめちゃめちゃあったので……」と話します。
iPadひとつあれば誰でもマンガを描けるし、SNSやネット上で発表できる今。「制作のハードルが下がり、発表の場が増えて、漫画家の絶対数も増えています」
うえはらさんは「いい時代とも、大変な時代ともいえますが、『発表して世に出すだけで可能性が広がる』ということは、僕のマンガの書籍化で証明されたと思います」と笑います。
「マンガに限らず、副業も出来るようになってきていますし、悩むよりもいったんやってみることって大事だと思います。自分のマンガが、そんな人の背中を押す作品になったらいいですね」
うえはらけいた:1988年、東京都生まれ。コピーライターとして勤務していた株式会社博報堂を2015年に退職。翌年に多摩美術大学グラフィックデザイン学科に編入し、以降マンガを描き始める。しばらく広告会社でデザイナーをしながら活動していたが、2020年4月にマンガ家として独立。現在はSNS、WEBメディアを中心にマンガ作品を発表。『コロナが明けたらしたいこと』が初の単行本化作。
ツイッター:https://twitter.com/ueharakeita
note:https://note.com/keitauehara/n/n6fed0c6bb57b
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