ブラック・ライブズ・マター(BLM)をはじめ、人種問題についての議論が活発になる中、世界的な人気作品の「主役交代」が注目を集めました。アメリカを代表するヒーローである「キャプテン・アメリカ」が白人のスティーブから黒人のサムに引き継がれたのです。「わかりやすい敵」がいなくなった時代、ヒーローが果たす役割とは何か? 「キャプテン・アメリカ」シリーズ新作『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』監督のカリ・スコグランドさんに話を聞きました。(withnews編集部・朽木誠一郎)
※以下、同作と『キャプテン・アメリカ』『アベンジャーズ』シリーズおよび関連作品のネタバレが含まれます。鑑賞前の方は十分に注意してください。
「キャプテン・アメリカ」は、第二次大戦中に特殊な血清で超人兵士となったスティーブ・ロジャースが現代で復活、ナチスの流れを汲む秘密結社「ヒドラ」などの悪役(ヴィラン)と戦うという設定の人気映画シリーズ「マーベル・シネマティック・ユニバース」(MCU)の一つです。
その名前の通りアメリカを代表するヒーロー。初公開時に世界累計興行収入トップを記録した『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019)などで、クリス・エヴァンスさんが演じるスティーブの姿を見たことがある人も多いことでしょう。
投げれば武器になり、敵の攻撃を防ぐ――そのヒーロー活動を象徴するのが、星条旗の色に塗り分けられた盾です。そして、前述したエンドゲームでは、ファンを驚かす展開が。同作でスティーブは引退。ヒーローの象徴である盾が、アンソニー・マッキーさん演じるサム・ウィルソンへと渡ったのです。
そして、キャプテン・アメリカとしての役目も、続編となるDisney+の連続ドラマ『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』(2021)で正式にサムに引き継がれました。この「権限移譲」には二つのポイントがあります。
一つ目は、サムが「特別でない」ヒーローであること。スティーブはスーパーパワーを持つ超人兵士ですが、サムは現代でそんなスティーブとジョギング中に出会って意気投合した元兵士のカウンセラー。後に様々なヒーローで結成されるアベンジャーズの一員になったときは、高性能のフライトスーツの力を借りて「ファルコン」として戦います。
二つ目は、スティーブが白人、サムが黒人であること。サムのキャプテン・アメリカとしての活動は原作コミック『Captain America: Sam Wilson』(2015 - 2017)でも描かれますが、人種問題を背景に、黒人であるサムがキャプテン・アメリカを襲名することに対して民衆の間には賛否両論が巻き起こります。
かつては戦争の相手国や、アメリカ国内の犯罪者、地球を侵略しに来た異星人など、ある意味でわかりやすい敵と戦ってきたキャップ(キャプテン・アメリカの愛称)。しかし、新シリーズの舞台である現代社会において、二代目は根深い人種問題の中、SNSで影響力を持つ「極端な思想を持つ人たち」と向き合うことになります。
エピソード5には印象的なセリフがあります。サムとバッキー(=「ウィンター・ソルジャー」/スティーブの旧友で本作でのサムの相棒)が盾の話をしているときに、バッキーが人種問題について発言。「スティーブが僕に(キャプテン・アメリカをサムに引き継ぐ)計画について話したとき、僕らは黒人に盾を託すことがどんなことが理解していなかった」というものです。
「星条旗を背負う黒人」を描く上で、どんなことを意識したのでしょうか。カリ監督は「あれは重要な会話だった」と振り返ります。
「もちろん、キャップの盾はアメリカ国旗のメタファー。それを見る一人ひとりにとって『何か違うもの』を意味している。登場人物もそうだし、視聴者のみなさんにとっても」
カリ監督はこう続けます。「バッキーにとっては長年に渡るスティーブとのつながり」「本作のヴィラン(悪役)であるカーリという少女にとっては、それは廃れた、時代遅れの、暴力のシンボルです」。監督の言葉は、MCUでは長らく「正義の象徴」だった盾への絶対的評価が、人によって変わってしまう相対的なものになったことを示します。
「そしてサムにとっては……彼はそれを与えられたけど、それは彼のものじゃなかった。だから一度は手放した。なぜならそれは、今日の世界において、ただちに必要とされるほど彼との『関連性』がなかったから」
カリ監督はこの「関連性」こそ「現代社会の大きなキーワード」だと指摘します。
「つまり、みんなキャップの盾、赤と白と青の星条旗を通して、自分にとっての“正義”について考える。そして現代社会における自分との関連性を顧みるの。自分にとって“これ”は何を意味するのだろう、って」
分断が指摘されるアメリカ社会において、自分の“正義”を捉え直す過程は不可欠ともいえます。そしてそれは「“ヒーロー”とは何か」という問いに言い換えられる、とカリ監督。
「キャプテン・アメリカが、反ファシズム運動が起きていた戦争の直後に出てきたら、それはファシズムに反対するファイターを代表していた。ヒーローは、出かけていって、良いことのために敵を打ちのめす人だった。でも、それは変わった。9.11や、それ以降に起きたさまざまな世界を変えるような出来事。このコロナ禍も含めてね。
今、“ヒーロー”はファースト・レスポンダー(消防隊などの第一対応者)であり、フロントライン・ワーカー(最前線で働く人たち)でもある。画一的なヒーローは存在しない。ヒーローもまた、相対的なものになったと私は思う」
カリ監督は、だからこそサムは「新しいヒーロー」だとします。なぜなら彼は「すべてにおいて戦う」というアイデアを受け入れないから。
「彼のアイデアは『どうしてこうなったか』を発見して、調停して、前進するか、あるいは他のやり方を考える、ということ。これは極めてタイムリーです。“ヒーロー”とは何かというテーマがシリーズ全体の核になった。そして、私たち(制作陣)がそれをすべてきれいに解決していないことを願っている。
なぜなら、私たちのアイデアはあくまでも『OK、私たちはこうして会話をスタートした』ということだから。そして、その会話は続いていく必要がある。今回のシリーズを通じて描いた『黒人のキャプテン・アメリカがいる』ということについても」
本作のヴィランである、カーリをリーダーとする組織「フラッグ・スマッシャーズ」は、『アヴェンジャーズ インフィニティ・ウォー』『エンドゲーム』で「世界の半分の人間が消滅した」世界の方が良かった、という極端で危険な思想を持つ人たち。
その主張は、一度消滅した後、(スティーブらヒーローたちの活躍によって)数年後に命を取り戻した人たちの方が、結果的に社会で優遇されており、生き残った自分たちの方が損をしている、という、現代の移民問題などにもつながるものです。カリ監督は「社会においてとてもリアルな存在」とした上で「忘れないでほしいことがある」と言いました。
「サムは、エピソード6(最終)でカーリと相対したとき、戦わないことを選択したでしょう。私はこれがとても大切なことだと思っている。なぜなら、私は彼に、どんな状況でも『良い方向にエネルギーを動かす』という彼のアイデアを続けていってほしかったから。
たとえ彼女が、許されない程に過激化していても、その答えは、ただ彼女を殺すだけじゃないはずだから。そして、これは超人血清を打たず、スーパーパワーを持たないままのサムならではの発想なのだと思う。力では解決できないことが前提にある」
日本でもSNSなどで度々、問題視される「極端な人たち」。どのように向き合っていくべきかのヒントもここにあると、カリ監督は説明します。
「多分、『極端な人たち』をただちに排除しようとするのではなくて、彼らが何のために戦っているのかを理解しようとすることなのでは。それはすごく難しいことだけど、もしかするとそこにあるのは、二つの相容れない世界じゃないかもしれない」
そこで最終話のサムのスピーチを思い出してほしい、とカリ監督。「なぜあの少女が、あれだけ多くのフォロワーを持つことができたのか? 彼女は、彼らが聞く必要があったことを言っていたに違いない。そして、彼らはあなたたちにそれをやってもらう必要がある」――サムが戦わなかったからこそ、このセリフに説得力が出てきます。
「彼は彼女を理解すること、彼女を自分の考えの中に連れてくることを諦めなかった。彼はまた、彼女が彼によって殉死者になることを許さなかった。ただし、結局のところ、カーリはヴィランとしてたくさんの人々を殺した。そのためか、基本的にサムに対して『あなたは私を殺さないといけない』と言っている。
でも、彼はそうすることを拒否する。彼女はずっと間違った、取り返しのつかない選択をし続けた。そして、それがどんな選択だったのか、彼女は彼のおかげで、きっと最後に自分でも気づくことができた」
そして、このような姿勢は、作品自体にも反映されていたことを明かします。その一例が本作のファイティング・シーンです。
「すごくたくさんあったでしょう。でも、気づくと思うけど、銃を使うところはとても限られている」「私たちは、伝統的な武器に頼ることを減らして、アクション・シーンを新たに作ろうとしたの」――カリ監督は「『他のやり方を考えた』のよ」と言って、笑います。
「サムの“ヒーロー”としての姿勢もまさに同じ理由によるもの。今、こんな状況だからこそ『もし私たちのヒーローが、ヴィランと戦うことを拒否したら?』ということを描きたかった。そして、それは最終的には、見事な“戦い”になったと思う」