親しみやすいうさぎのキャラクターで漫画を発表してきたusaoさん。小学校の教員として「子どもの役に立ちたい」と熱意を持って働いていましたが、コロナ禍の中でうつ病に苦しみました。この春、退職を選びましたが、周囲にSOSを出すのはなかなか難しかったそうです。そんなusaoさんが、生きづらさを抱えている人たちに伝えたいことは?SNSで発信を続ける理由は――? 今の思いを聞きました。
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usaoさん:1991年大分県生まれ、福岡県在住。小学校の教員をしながらTwitter(@_usa_ooo)で漫画を発表、2021年3月末に退職。著書にうさぎのキャラクターが登場する『usao漫画』『usao漫画2』、夫のK氏との日常を描いた『なんでもない絵日記』(いずれも扶桑社)。2021年3月に『usaoの先生日記』(東洋館出版社)を著した。漫画の他にアクリル画の作品なども発表している。グッズを
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――学校現場の子どもとの日々を描いたコミックエッセイなど、子どもとの真摯な向き合い方が印象的でした。この春の退職は大きな決断だったのではないかと驚きました。どういった経緯があったのでしょうか?
コロナでいつも通りに過ごせないことが増えました。また、さまざまなことが重なって、「自分だけじゃ何もできない」という無力感をおぼえました。
それでも子どものために頑張ろうとしていました。ですがだんだんとアンパンマンが自分の顔を食べさせるかのように、わたしも自分の体を削って働いているような感覚になっていて、ついに昨年11月ごろ、急に電源が落ちました。
――マンガに描かれていましたが、心療内科を受診するのは勇気が必要だったそうですね。
「何か超えてしまう」気がして怖かったですね。「自分は弱いんだな」「くじけているから行くんだ」と思ってしまって許せなくて……。
心療内科で淡々と自分の体験や思いを話しているとき、涙が止まらなくって「もうダメなんだな」と思いました。
先生からは休職を勧められましたが、自分の中でまだ「頑張りたい」「最後まで子どもの前に立ちたい」という思いがあって、その後心療内科へ通うのをやめました。
――もうすでに限界だったんじゃないかと想像します。ご自身でも「休んだ方がいい」と思えたのはいつごろだったのでしょうか。
ある日、ふと気づくと動けなくなってしまったんです。
買い物ができなくなったり、物の名前が頭からどんどん落ちていくような感じで思い出せなくなったり。「電源が切れちゃった」という状態でした。
もう頑張れない自分を自分で知ってしまって。「休まないと危ないな」と思い、休職することにしましたが、それでも「投げ出した。まわりに迷惑をかける」と自分を責めていました。
――責任感の強い人ほど「自分が悪かった」と責めてしまうんだと思います。仕事を休んでいるときも、心は休まらなかったんですね。
それまでバリバリ働いていたことを急に手放したら「自分には何もなかったんじゃないか」と感じたんです。
子どもの前に立つ自分でありたかったという後悔とプライド、仕事を諦めきれないところがありました。
休職した自分の代わりに誰かが入ってくれていること、子どもは毎日頑張っていること……自分だけが外野にいて座り込んでいる気持ちになりました。誰も自分を責めていないのに、誰からか責められている感じがしました。
しかも、首に痛みが出て、1週間ほぼ動けず寝たきりになって、自分を表現する絵さえ描けなかった。私は何をしたらいいんだろう……という思いも重なって、本当に苦しかったです。
――誰かに自分の苦しみを相談したり、助けを求めたり……というのは難しかったのでしょうか?
SOSを出せる人はいっぱいいました。でも、大切な人だから一緒に背負ってほしくなかったという思いがありました。弱い自分を見せたくない、話しても変わらない、いやな気持ちを広げたくないとも思いました。
ヘルプのつもりで言ったのに「頑張れ」「大丈夫だよ!」と言われちゃうこともあって。お互い「優しさ」からなんですが、「頑張った方がいいのかな」と思っちゃう。それが聞きたくなくて相談しなくなりました。
――つらい気持ちが明かせないのは苦しいですね。
同僚や両親に話すと「必要だから戻ってきてほしい」「教員という仕事は続けてほしい」と言われたんです。その期待に応えようとしてしまう。正直、誰の為に教師をしているのかわからなくなって、一度離れないといけないなと思いました。
「待っている人がいるのがつらい」「誰かにブレーキを踏んでもらわないと自分では辞められない」という気持ちの中で、夫が「辞めていいんだよ。」と言ってくれて、色んな方に申し訳ないですが、辞めました。
――子どもの気持ちを知ろうと幼稚園生の先生まで経験されて、子どもの心を大切に思う気持ちが著書からも伝わってきました。そんな中で、退職は大きな決断だったと思います。一番の原因は何だったと振り返っていますか?
120%子どものせいではありません。
「自分と出会った人は幸せにしたい」という気持ちが原動力になって、子どもと出会ったからには、「その子の役に立ちたい」「誰にも言えない言葉を届けてあげたい」と思っていました。
でも、忙しい学校現場の中で、自分の無力さを感じてしまった。仕事の多さや環境など色々原因はあるかもしれませんが、誰のせいにもしたくないので……うーん、ここはまだうまく言葉にできません。
辞めてみて分かったんですが、学校の外からは頑張っている先生たちの努力も、子ども達の姿も、学校現場で何が起きているのかもなかなか見えません。その叫びすら届いていません。
誰にも見せないままの心の傷を、みんな抱えているんだと思います。
――新型コロナウイルスの感染拡大が影響したことは大きいですか?
それはとても大きかったです。マスクで表情が見えず、子どもも先生も心が見えない状態で、子どもに「愛が渡せない」と感じていました。
表情の8割がなくなっていて、目だけだと気持ちを隠せちゃうから、心配したり、疑ったりしてしまうこともあって。難しかったです。
――今は退職を決めてよかったと思いますか?
「もしかしたら他の方法があったかも」と悩んでしまうので、まだ「これでよかった」とは思えていませんね。
「先生の自分」も好きだったし、現場が輝いて見えるので、そこにいられないのが悔しい気持ちもあります。
けれど、この道だからこそ、今歩いていけているんだなという感じです。
――usaoさんがうつに苦しみ、少しずつ元気になっていく時に、一番必要だった物は何でしたか。
一度、「教員」という自分を忘れたことです。
ゆっくり起きて、「早起きは低血圧でつらかったな」「ゆっくりした時間の方が自分に合ってるな」と振り返っています。
自分のからだと心に合う時間になじんできて、「人間の私」に戻ってきました。
――そんなusaoさんにとって、ツイッターでの発信はどんな意味がありますか?
「それでも良い」と誰かにいってほしくて発信しているのだと思います。さみしがり屋なんでしょうね。
人を幸せにしたいし、相手の気持ちを分かってあげたい、寄り添ってあげたいと思うけど、誰かに寄り添ってももらいたい。だから試行錯誤して発信しています。
――今回の退職の報告を含めて、SNSではどんな反響がありましたか。
退職やうつをテーマに描いたので、「私もきついです」「どうしたらいいですか。助けてください」「漫画に背中を押されて私も辞めました」という声もあります。
返事はそれぞれですが、私は誰かの人生のハンドルは握れません。「自分がどうするかは、自分で決めてほしい」「発信することで、その決断の支えになれたらうれしいです」と伝えています。
――今後、usaoさんはどんなことを計画しているんですか。
絵を描いて発信することに救われてきたので、展示会を開いて、これまでメッセージをくれた方に直接会いたいです。少しでも力になりたいし、「ありがとう」って言いたいですね。
そして、いつか教育現場には戻りたいと思っています。「マスクのない世界」になったらすぐにでも、と思うほど。自分に合った教育現場を見つけるか、もしかしたら自分で教育の場をつくるかもしれません。
年齢にかかわらず落ち着いて学べる場所。「わたしは、わたしのままでいいのだ。」と思える場所。
――usaoさんのように、生きづらさを感じている方が社会にはたくさんいると思います。どんなことを伝えたいですか。
自分が一番大切にしたいものは何かを考えてほしいです。
私が一番大切にしたいのは「教え子」でした。人って大切な人のためなら頑張れます。ですが、今は自分を大切にすることに切り替えています。
悩み始めると「自分なんていなけりゃいいのに」って考えてしまうこともありますが、あなたも大切な人なんですよ。
私は、「こんな弱さだって素敵でしょ」と漫画を描いて、「それでいいんだよ」と伝えています。
できないこと、つらいことも含めて、自分を大切にしてほしい。大切なものを増やしてほしいですね。
◆usaoさんの展示会の予定
・福岡県福津市立図書館 6月25~7月4日
・東京都杉並区高円寺「BLANK」 8月17日~29日
自分を形づくる重要なひとつでもある「仕事」をいったんお休みするという決断は、大きなものだっただろうなと思います。でも、無理をして自分の心が壊れてしまう方が大変。休んで心身のエネルギーをチャージしたら、また同じ道を選ぶことだってできるし、別の新しいことに挑戦する道もある。「できないこと、つらいことも含めて、自分を大切にしてほしい」というusaoさんのメッセージがとても染み渡りました。
コミュニケーションがオンラインに偏り、なかなかSOSを出すことが難しい環境でもあります。記者自身も「同じ場所にいたら、顔色のすぐれなさやいつもと違う表情、色んなことに気づけたかもしれない――」と感じることもあります。
「こころの耳」という働く人のための相談窓口などもありますが、生きづらさ・しんどさを感じている人たちがホッと弱音を吐き出せるような場や関係性の大切さを改めて感じたインタビューでした。