マンガ
「これから忙しくなるからな…」震災直後、写真館の経験をマンガに
誰もが深く傷つく経験から考えたこと
今年3月11日で、東日本大震災が起きてから10年。災害の記憶が徐々に風化する中、発生当時の体験を生々しく描いた漫画が、ツイッター上で注目を集めています。東北地方の被災地で、「写真」を通じて犠牲者の遺族と関わってきたという、作者の願いとは? 切実な思いについて、取材しました。(withnews編集部・神戸郁人)
2月11日、震災をテーマとした13ページの漫画が、ツイッター上で公開されました。
主人公は、東北地方の震災被災地に住む女性です。2011年当時は二十歳過ぎで、専門学校を卒業後、地元の写真スタジオに勤務していました。
3月11日午後2時46分、強烈な揺れが故郷を襲います。自宅と職場は、幸い地震や津波の被害を受けることなく、1~2週間後に仕事も再開できました。
沿岸地域の被災状況を伝えるニュースを見ても、どこか現実感を持てない女性。災害の爪痕の深さを実感するのは、しばらく経ってからのことでした。
「これから信じられないくらい忙しくなるからな」。職場の上司が、神妙な面持ちで女性に語りました。理由を尋ねると「遺影写真の依頼が来るんだよ」
背景にあったのは、絶え間なく行われる、震災犠牲者の葬儀でした。膨大な数の人々が亡くなり、地元葬儀事業者の業務が逼迫(ひっぱく)。更にインターネット回線の復旧が遅れ、遺影制作も追いつかず、写真スタジオに依頼が舞い込んできたのです。
最初に担当したのは、若い男性でした。「若いのに亡くなってしまって気の毒だなぁ」。女性は、遺族から提供を受けた写真を、淡々と遺影に仕立てていきます。
それから幾日か経った頃、入学記念の撮影の申し込みが入りました。進学シーズンだったため、女性は何ら疑問を抱かず、当日の業務を請け負います。
「こんにちはー、今日はよろしくお願いしまーす」。スタジオにやって来た母親と女の子に、女性は笑顔であいさつします。しかし、ほどなくして、大きな衝撃を受けました。母親が、あの男性の遺影を手に持っていたからです。
「私は 亡くなったその人に どんな背景があるのか 全く考えていなかったのです」。直後のコマに、そんなモノローグが差し込まれます。
本来なら親子3人、明るい雰囲気で臨めたであろう撮影会。しかしカメラの前で、女の子が笑みを浮かべることはありません。女性は涙をこらえて職務に徹しつつ、自らの浅はかさを後悔します。
「なんて馬鹿だったんだろう……」
その後も、遺影作りは続きました。
車で外出中、津波に飲み込まれた親子3人を、一つの写真に収めるよう望む人。息子の死を受け止めきれず、何度も作り直しを要求する人。解像度が低い家族写真しかなく、「もっと撮影しておくべきだった」と悔いる人……。
女性は、様々な依頼者の悲しみに触れました。中でも、とりわけ心が痛んだのが、かつて撮影に立ち会った人々の死です。
「去年七五三の撮影に来た女の子、震災で亡くなったみたいで」。ある日、同僚がそう告げました。その瞬間、女性の脳裏に、笑顔の少女のイメージが浮かびます。
「あんなに楽しく撮影したのに」。家族と避難する途中、津波に流されたのだと、後に知りました。
2011年当時、津波からの避難に関する認識は、人によってまちまちでした。マニュアルも十分に整っておらず、学校で待機中の子どもを親が迎えに来て、帰宅途中に被災してしまうケースがあったのです。
こうした状況下、一組の親子が女性のもとを訪ねました。父親に付き添われてきた女の子は、母親と生まれて間もない弟を、津波で亡くしています。スタジオでの撮影中、彼女が笑うことは、一度としてありませんでした。
震災後、袴(はかま)を着て行うはずだった卒業記念撮影を、キャンセルした小学6年生。津波の影響で自宅に帰れず、学校で犠牲者の遺体運びを手伝った高校生。
大人だけでなく、子どもの心も深く傷ついている。女性は仕事を通じ、そんな現実を知るに至りました。
その後、10年の時を経てもなお、過酷な日々を忘れられない状況が描かれます。そして「図々しくはありますが」と前置きした上で、被災地に住む立場からの「お願い」がつづられ、物語は幕を閉じるのです。
10年前の3月11日、同市の職場にいたという、あいしまさん。しばらくの間、揺れなどの影響で、電気やガスなどの生活インフラが寸断されました。母親の実家が津波に流されたため、水や食料は配給でまかないつつ、母方の祖父母の捜索などに奔走したそうです。
生活の立て直しに努めながら、写真スタジオで遺影制作に取り組んだ日々について、あいしまさんは振り返ります。
「私が最初に遺影を手掛けた男性の、ご遺族が来られた時期について、はっきりとは覚えていません。ただ、震災発生から間もない頃だったと思います。その後、一日に10件以上、制作の申し込みがありました。ほとんどが葬儀事業者経由の依頼です」
「つらかったのは、依頼者の方々が胸を詰まらせながら、ご家族について語っていた点です。『津波で行方不明になったままだ』とか、『こんな状態で見つかった』とか。そんな話を聞く日々が続き、とにかく終わりが見えない状況でした」
依頼者それぞれの心情に寄り添う上で、持ち込まれた家族の写真を、できる限りきれいに遺影として仕上げる。あいしまさんは、常にそう意識していたそうです。
漫画で描いた依頼者のエピソードはどれも、あいしまさんの中に、強烈な印象を刻んでいるといいます。
あいしまさんは当時、撮影アシスタント・デザイナーとして、卒業アルバムの制作などを担当。自ら写真作りに携わった人物が、災禍の犠牲となるケースは少なくありませんでした。作中に登場する、震災前年に七五三のスナップを撮りに来た女の子も、その一人です。
「とても笑顔が可愛い子でした。ドレスを着て撮影したのですが、ピンク色がすごくよく似合っていて。白いイチゴのブランコに乗っていたことを、今でも覚えています」
写真の中に収まる、年齢も、人生背景も異なる人々。その一人ひとりと依頼者との関係性に、あいしまさんは遺影制作を通じ、思いをはせ続けました。
「遺影を作ることで、家族の死を実感してしまう人。できあがった写真を見ても、実感がわかない人。それぞれだったと思います」
今回の漫画には、25日時点で18万以上の「いいね」がつき、8万回以上リツイートされています。ずっと心にしまっていた思い出を、なぜ世に出そうと決めたのか? あいしまさんに尋ねてみると、こんな答えが返ってきました。
「震災から10年が経ち、私も子どもを持つ母になりました。わが子は、今年で6歳。そのせいか、当時を思い出すと、以前にも増してつらい気持ちになるんです。悲しみを繰り返さないためにも、思い切って描いてみようと思いました」
今年2月13日、最大震度6弱の地震が東北地方を襲いました。自然の脅威から、いかに命を守るか。そのことについて考える大切さを、いま一度実感したという人も、多いかもしれません。
こうした状況を受け、あいしまさんは次のように話しました。
「先日の地震で、私の住んでいる地域でも、水道が止まる被害が出ました。しかし備蓄していた水などがあり、復旧するまで何とか過ごせました。あのタイミングでの地震で、心底驚きましたが、日頃の備えは本当に大事だと実感しました」
「少しだけでも構いません。漫画を読まれた方々に、防災に興味を持ち、家族間で話し合って頂きたいと思います。大人にも、お子さんにも。きっといつか、役に立つはずです」
来月で東日本大震災から10年経つという事で
— あいしま@原稿中 (@setup_setup) February 11, 2021
ずっと自分の中にしまっていたんですが、自分の経験した事を描いてみようと思い形にしてみました。読んで頂けると幸いです。
(1/4)#東日本大震災から10年 pic.twitter.com/ZTGDIsCWPE
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