マンガ
極悪人が求めた「救い」ツイッターに投稿した漫画が異様な盛り上がり
魂を揺さぶる、いにしえの物語
このどうしようもない人生を、何とか肯定できないものか――。誰もが一度は抱くであろう、切実な問いに斬り込んだ漫画が、ツイッター上で静かに感動を広げています。古典を下敷きとして、ドラマティックに展開される人間模様が、読み手の心をわしづかみにしているのです。取っつきづらいイメージもある、いにしえの物語を、なぜ現代によみがえらせようと思ったのか? 作者の胸の内に迫りました。(withnews編集部・神戸郁人)
※漫画の一部に暴力描写が含まれますので、ご留意下さい。
8月30日、29ページの漫画がツイートされました。
題名は『人殺しの悪人が僧になって旅する話』。平安時代末期に成立したとされる、日本最大の説話集『今昔物語』に収められた小話、「讃岐国多度郡五位聞法即出家語(さぬきのくにの たどのこおりのごい、 ほうをききて すなわちしゅっけせること)」が原作です。
その昔、讃岐国多度郡(現在の香川県善通寺市と多度津町近辺)に源大夫(げんだいぶ)という男がいました。気性が荒く、連日のように山賊行為に明け暮れ、人を斬り捨てるのにもためらいがありません。近隣の村人たちからは、ひどく忌み嫌われていました。
ある日、山中で子分と盗みを働いた帰り道、講(お坊さんが説教をする集会)の現場に立ち会います。「面白い、見てくる」。源大夫は突然、建物へと押し入り、講師に刀を向け言い放ちました。「坊主、俺にも腹に落ちる話をしてみろ。でなければ、ただではおかぬぞ」
おびえつつ、講師が答えます。はるか西に進むと仏様がいること。心が広く、長年罪を重ねた者でも、改心し「阿弥陀仏(あみだぶつ)」と唱えれば、必ず迎え入れてくれること。「人殺しが納得するものか」。出席者たちは、どんよりとした雰囲気で見守るばかりです。
「この俺も憎まれたりしないのか」「その名を呼んでも答えてくれるのか」。意外にも、源大夫は興味津々。心を尽くせば、反応してくれないはずはない。講師が答えるが早いか、何と髪の毛をそり、さっさと僧衣に着替えてしまいました。
追いすがる子分の手を振り払い、源大夫は旅立ちます。金も力も手に入れ、好き勝手過ごす極悪人が、仏様に何を求めるのか――。会場に居合わせた人々には、不思議でなりません。
「阿弥陀仏や、おうい、おうい」。野山を越え、川を越え、ひたすら仏様の名を呼ぶ源大夫。頭の中では、これまでの記憶がめぐっていました。
道すがら、女性を暴行する男を石で殴り、死なせてしまったこと。ほどなく村中にうわさが広がり、「人殺し」となじられ、家族の命を奪われたこと。古里を追われ、放浪の旅を続ける中、生き残るために殺人や強盗を繰り返してきたこと……。
「この世は霧の中だ。誰もが見当つかぬ道を歩いている」「どこかで間違ってしまった。気付いたら、もうどうしようもなくなっている」。たとえ人の道を外れたとしても、その生き方しかできないなら、弁解も反省もしない。孤独な歩みが、モノローグで振り返られます。
自分は報われないし、この先には地獄が待っているだけ。そんな諦めを打ち砕いたのが、講師の一言でした。過酷な日々は、確かに意志によって選んだものかもしれません。それでも、運命に翻弄され続けたがゆえに、納得できないという思いがあったのです。
誰か一人でいいから、格好がつかない人生を見て、ただ一度うなずいてほしい。「これが俺の人生だ」と、引き受けるきっかけを授かりたい。源大夫は両目を見開き、滝のような涙を流しながら、体を芯から振るわすように叫び続けます。
「阿弥陀仏や、おうい、おうい!」
途中、老僧から食料を分けてもらいながら、源大夫は岬にたどり着きました。木に登り、仏様の名を呼ぶ様子は、これまでと変わりありません。1週間が経ち、老僧が彼を訪ねると、笑顔で出迎えます。「阿弥陀仏が答えてくださったので、ここでお呼びしているのだ」
いぶかしむ老僧の前で、源大夫は声を上げました。「おーい、おい。阿弥陀仏よ、どこにおられます」。すると、大海原のかなたから、こんな言葉が返ってきたのです。
「ここにいる」
感動のあまり、泣き出す二人。源大夫の頼みで、更に1週間後、老僧は再び岬へと足を運びます。しかし彼は木の上で、既に息絶えていました。口の中から、仏様の象徴である、美しいハスの花を一輪生やして。
「これまで散々人に迷惑をかけてきたけれど、救われた気がした」。漫画には何件ものコメントが寄せられました。「いいね」は5日時点で4万近くに達し、リツイート数も1万5千回を超えています。
作品を手がけたのは、沖縄県出身でカナダ在住の漫画家・瀬川環(たまき)さん(28)です。代表作にきょうだいの成長物語『僕は兄になりたかった』などがあり、雑誌にも読み切り作品を多数投稿してきました。
「最初に読んだときは、矢が勢いよく飛んできて、胸を貫いていったような感覚でした。源大夫と自分が重なって、号泣しながら目を通したことを覚えています。どうしてそこまで響くのかわからず、何度も何度も読み返しました」
そして今年になって、漫画化を決意します。荒くれ者の源大夫が、なぜ仏門に入ったのか。原作においては詳しく語られていません。そのため人物像を練り上げていく上で、自らの生き方に納得できず、もがき続ける存在という、岡さんの受け止めを土台にしました。
「岡さんは著書の中で、古典とは『生を肯定するきっかけをいっしょに探してくれる仲間』である、などとつづっています。本の書き手が原文をどう読み、何を思ったか。いわば『生きた感情』が一番心に突き刺さると考え、その形をなるべく崩さないよう、意識しました」
「勝負は最初の5ページ」と考えた、瀬川さん。人の命を平気で奪ってしまう男が、講師に「腹に落ちる話をしてみろ」と迫るという、手に汗握るやり取りを冒頭に据えます。その直後、書道が得意な友人が書いた、原作名の力強い題字を示し、読者をぐっと引き付けました。
悪事の限りを尽くしてきた源大夫について、瀬川さんは「『救われたい』とすら思えないほど、自分の醜い部分を知っている」と推し量ります。
他人を傷つけ続け、もう引き返せないところまで来てしまった。そのように過酷な状況下であれ、たった一人でも、これまでの行いを見届けてくれる存在がいてほしい――。魂の叫びを上げながら、源大夫が阿弥陀仏を呼び続ける場面は、絶対に盛り込みたかったそうです。
これと共鳴するように、姿なき阿弥陀仏が「ここにいる」と答えるシーンも、欠かすことはできませんでした。「原作を読んだとき、頭の中にブワッと広がった景色。そのままのイメージを描きたいと思っていたので、うまく形にできてよかったです」
「人生をよりよくするため、あがくべきと気付きながら、どうすることもできない。そんな状況に陥り、自分自身を誰よりも責め立てている。私もそうですが、恐らく皆さんの中にも、源大夫がいるのではないでしょうか」
瀬川さんの作品は、一般になじみが薄くなりがちな仏教を扱いながら、たくさんの人々の心をとらえました。そのことについて、こう話します。
「仏様のお陰とはいえ、源大夫が自分で自分を受け止めることができたからこそ、私は泣いてしまいました。苦しみとどう向き合うか、という普遍的なテーマが、読んで下さった方にも響いたのかもしれません」
「心が折れそうになったり、潰されそうになったりしたとき、気持ちを支えるお守りとなるような存在。それを形にできたらと思い、漫画を描きました。今回の作品が、皆さんに寄り添うようなものであったのならば、うれしく思います」
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